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なんとか、なるかな。
少しでも力になれたら・・・

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私は前世がドイツ人だったのではないか?と思うくらいビール好き。
 
おつまみはなくてもOK。
 
美味しいビールとゆっくり寛げる場所があればあとは何もいりません。
 
だからドイツは大好きな国なのですが・・・
 
 
 
お仕事で行くと困ることが多々発生します。
 
 
 
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これはバンベルク風ハンバーグ。
 
ハンバーグはタタール人が食べていたタルタルステーキ(生ひき肉料理)を
 
ドイツ人が焼いたのが始まり。
 
ハンブルグの人がアメリカに移民して広めたので
 
英語でハンバーグと呼ばれるようになりました。
 
バンベルク風ハンバーグは玉ねぎの中にひき肉を入れて
 
オーブンで焼いています。
 
付け合せはフライドポテトではなくマッシュポテトでした。
 
 
 
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こちらはポークコルドンブルー。
 
ポークカツの中にチーズが入っています。
 
つけあわせはポテトコロッケ。
 
日本式の草鞋型ではなく俵型。
 
 
 
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ドイツに行けば必ず出てくるポークソーセージ。
 
付け合せはキャベツの酢漬け(ザワークラウト)とボイルドポテト。
 
 
 
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ドイツではロールキャベツも定番です。
 
ワイングラスの持ち手がごつごつしているのもドイツだから。
 
ナイフとフォークを使ってお料理をいただくということは
 
13世紀のイタリアから始まりました。
 
16世紀になってフィレンツェ・メディチ家のカトリーヌ公女が
 
フランス王家へのお嫁入り道具にナイフとフォークを持っていきました。
 
マナー大国フランスでもそれまでは手づかみで食べていたのです。
 
中央集権国家だったフランスではナイフとフォークを使うということは
 
あっという間に広まりました。
 
ドイツは小さな諸国の集まりだったため
 
ヨーロッパの中でも最後までフォークを使って食事をいただくということが
 
広まらなかったのです。
 
今でも「騎士の宴」として中世風に食事をサービスするレストランがありますが
 
そこの食事はナイフ一本でいただくというもの。
 
ごつごつした持ち手のワイングラスは
 
肉をつまんだ指でワインを飲むときに滑らないようにするためです。
 
そしてここでも付け合せはボイルドポテト・・・
 
 
 
 
 
ジャガイモは南アメリカ・アンデス高地が原産地。
 
1492年コロンブスが新大陸を発見したことによって
 
新たな作物がヨーロッパに入ってきました。
 
ジャガイモもその一つ(他にトマト・ひまわり・トウモロコシなど)
 
ジャガイモは新芽に毒があるため
 
長いこと花を観賞用として用いていました。
 
それを食用にしたのはプロイセン(現在の東ドイツ)のフリードリッヒ大王。
 
マリア・テレジアがハプスブルク家の家督を継いだときに
 
「女なんかに任せておけるか」
 
と戦いを挑んだときにジャガイモを兵糧にしたのです。
 
ハプスブルク家の兵糧はパン(小麦粉)でした。
 
ジャガイモは日持ちもするし持ち運びも簡単。
 
対してパンは日持ちしませんし、小麦粉は持ち運びも不便。
 
この戦争でプロイセンはハプスブルクと互角に戦い
 
尚且つシュレーゼン(現在のポーランド領)をマリア・テレアジアからもぎ取ります。
 
この18世紀からジャガイモがヨーロッパで食用として認められるようになりました。
 
ドイツではジャガイモが主食です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
と、いうわけでジャガイモが出てくるときは、パンのサービスがないことがほとんど。
 
お願いすれば無料で出してくれるレストランもありますが
 
有料のところもあります。
 
このときは一人分80セント(約110円)でした。
 
予算に余裕のある第1・第2ブランドならいいのですが
 
第3ブランドではパンのサービスはありません。
 
日本ではお米が主食ですから、お米がでたらパンのサービスはありませんよね。
 
ヨーロッパのほとんどの国では
 
お米は温野菜と考えられますからパンが出てきますが
 
ドイツではジャガイモが主食。
 
パンをいただきたいときはご自身で注文いただく場合もあることを
 
覚えておいてくださいね。
 
 
 
 
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ミュンヘン・ラーツケラー
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王宮の隣に建てられた宮廷教会。
 
ここにはマックスが自らの墓所と定めた柩が置かれていますが
 
彼自身はここに葬られていません。
 
ウィーンの南に位置するウィーナーノイシュタットのザンクトゲオルグ教会で
 
若くして亡くなった母親と共に眠っています。
 
 

 
こちらは2012年3月に訪れたザンクトゲオルグ教会。
 
 
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マックスは人生の最後に
 
母エレオノーラ眠るこの教会での永眠を
 
願ったのです・・・
 
 
 
 
 

 
 
ザンクトゲオルグ教会は現在オーストリア軍事学校になっているため
 
見学には許可が必要ですが、宮廷教会は一般公開されています。
 
 
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この時代は柩の上部に置かれる像は仰臥像が一般的でした。
 
マックスは古代ギリシャのような立像を置きたいと考えていましたが
 
当時としてはあまりにも常識はずれになります。
 
そこで作られたのが祭壇に祈りを捧げる像でした。
 
そのかわりというわけではありませんが
 
教会内には28体に及ぶマックス所縁の人々の立像が並びます。
 
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左からイギリス王アーサー。
 
ハプスブルク家とは縁も所縁もありませんが
 
マックス自身が尊敬していた人物として鋳造されました。
 
隣はマックスの母親エレオノーラの先祖にあたる
 
ポルトガル王フェルディナンド。
 
その隣(右から2番目)はマックスの祖父エルンスト。
 
一番右はゴート王テオドリッヒ。
 
やはりマックスが尊敬した人物です。
 
これらはすべてマックス存命中に製作されました。
 
28体の像のうち半数以上はマックスの意向に沿って
 
彼が亡くなった後に作られたものです。
 
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マックス不肖の息子フィリップ。
 
こちらもマックス存命中に
 
製作されたものです。
 
 
美公と呼ばれた彼は28歳の若さで亡くなりました。
 
 
 
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左からマックスの曽祖母にあたるエリザベート。
 
隣がマックス最愛の妻ブルゴーニュ公女マリー。
 
その隣(右から2番目)がアルブレヒト1世の妻エリザベート。
(アルブレヒトはハプスブルク家がスイスから追い出されるきっかけとなった大公。
私は好きではありませんが、マックスにとっては大切なご先祖なのでしょう)
 
一番奥がマックスの妹クニグンデ。
 
彼女はバイエルン公国へお嫁に行き(これもドラマチックなお話です)
 
その息子のヴィルヘルム4世がビール純粋令という法律を作りました。
 
 
 
 
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ハプスブルク家の始祖ルドルフ1世。
 
 
 
マックスが存命中に鋳造されたのは、
 
ほかにルドルフ1世の父であるアルブレヒト伯爵くらい。
 
娘のマルガレーテも、2番目の奥方であるビアンカも
 
共に彼の死後に完成しました。
 
他にフィリップ美公の奥方であるファナや
 
その父親のアラゴン王フェルナンド(イザベラ女王はありません)
 
ブルゴーニュ大公女マリーの父親シャルル突進公と
 
その父親のフィリップ善良公も。
 
ここは妄想の宝庫です。
 
 
 
 
 
 
 
 
ここまでおつきあいいただいてありがとうございます。
 
仕事中はこんなご案内はしません。
 
お客様の興味のなさを目の当たりにしているからです。
 
面白く観光を楽しんでいただくには冬季オリンピックの話が一番。
 
入場見学のない格安ツアーではこの教会の話もしません。
 
入場しないのに素晴らしさをご案内しても「絵に描いた餅」だからです。
 
格安ツアーのお客様はご自身で代金を払って見学なさることをとても嫌がりますから・・・
 

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