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なんとか、なるかな。
少しでも力になれたら・・・

書庫機内で読書

機内で読んだ本のこと。
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私が「くろふね」を読んでいるのを知った父が何気なく
 
 
「ジョン万次郎は良かったな。いい時代に帰ってきて。
あの人は(知り合いですか!?)通訳として新政府にとっても貴重だったろう。
その点、大黒屋さんは気の毒だな。
あと50年遅かったら、万次郎のように自由にできたかもしれないのに」
 
と言ってきました。
 
 
コウ「? 大黒屋って誰?」
 
父「大黒屋光太夫。 万次郎と同じように船で流されたけれど、あの人はロシアに助けられたんだ。
 帰国の許可を得るのに、はるか西にいる女帝に会いにまで行ったのに
 鎖国真っ最中の日本に戻ったら
 【見て来たものをしゃべってはいかん】
 と、幽閉生活を送らされた人だよ」
 
 
父は「なんだ、知らないのか」といった調子でした。
 
そういえば以前、両親とローマへ行ったときに眼下に広がるシベリアを見て
(JALのヨーロッパ線はシベリア上空を飛びます)
 
「大黒屋さんはこんなところを徒歩で行ったんだよな」
 
とつぶやいていたっけ。
 
さっそくアマゾンで調べ取り寄せました。
 
 
 
面白かった!!
 
 
天明2年(西暦1782年)12月13日、江戸へ向かうべく伊勢から出航した神昌丸は
駿河湾で時化に遭い、舵をへし折られて、そのまま北へと流されました。
翌年7月20日、神昌丸はようやく島へと到着します。
すでに水手一人が亡くなっていました。
島には現地人とロシア人がいましたが、神昌丸はその晩の時化で大破。
船頭・光太夫をはじめとした15人の船乗りがロシア人と共に
大陸へ渡ります。
当時のロシアでは来るべき日本との通商に備えて、日本語教師を必要としていました。
 
 
 
井上靖さんの淡々とした文章の中にシベリアの広大な地の風景が広がります。
 
そして光太夫の思い・・・
 
 
「俺はな、俺は、俺はきっと自分の国の人間が見ないものをたんと見たんで、
それを持って国へ帰りたかったんだ。
あんまり珍しいものを見てしまったんで、それで帰らずに居られなくなったんだな。
見れば見るほど国へ帰りたくなったんだな。
思えば、俺たちはこの国の人たちが見ないものをずいぶん沢山見た。
そして帰ってきた」
 
 
 
エカテリーナ2世の治世におけるロシア・・・
 
でもそれは口外できないものでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
私は鎖国によって、日本がキリスト教という名の下の列強支配に置かれなくてすんだのだと思っています。
 
16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパは宗教戦争の真っ只中。
 
神の名において侵略行為が行われていた時代です。
 
歴史にもし、はありえませんが
 
もし織田信長が天下統一を果たして、ヨーロッパと自由貿易をしたのであれば
 
今の日本で使われるのはどこの国の言葉になっていたでしょう・・・
 
キリスト教徒が行ってきたことは、すべてが善であったわけではありません。
 
キリストの教えが素晴らしくても、それを解釈する側が間違っているほうが多いのです。
 
 
大黒屋光太夫一行の中でエカテリーナ2世の帰国許可が出たときに生きていたのは5名。
 
そのうち二人はキリスト教徒になり、イルクーツクに残りました。
 
日本に戻った光太夫を含む3名のうち、小市は根室で亡くなります。
 
 
「俺は日本へ来たというより、アムチトカ島へ連れ戻されたような気がしてならぬ。
ここも日本かや。日本のうちかや」
 
 
1792年、流された日からほぼ10年。
 
どれだけ生きて伊勢に戻りたかったか・・・
 
生き残った光太夫も磯吉も伊勢に戻ることはできなかったのですが・・・
(磯吉は一ヶ月ほど伊勢滞在を許されたとありますが)
 
 
根室で越冬して江戸に着いたのが1793年8月。
 
当時の世界情勢までが盛り込まれた一冊です。
 
 
 
 
一人の男性が見てきた18世紀末期のロシア・・・
 
「点の記」同様の切なさを感じました。
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♪アルプス一万尺
 
 小槍の上でアルペン踊りをさあ踊りましょう♪
 
 
 
 
 
 
 
 
「アルプス一万尺」はスイス発祥ではありません。
 
父が子供のときに開国50周年を迎えた横須賀でアメリカの歌として歌ったことを聞かされたのは
 
いつのことだったでしょう・・・
 
 
 
 
榎本釜次郎(武揚)を知っていても、中島三郎助のことはほとんど知りませんでした。
 
黒船来航前の商船との対応から函館戦争までが書かれています。
 
1冊の本ですべてを知ることはできないと思いますし、ここで描かれている人物像は
 
【こんな一面もあるのか】
 
と思わせるものです。
 
釜次郎には好意的ですが、勝海舟にはかなり辛辣な内容です。
 
 
 
浦賀・観音崎・久里浜・・・私にとっては馴染み深い地名ばかり。
 
黒船が停泊したあたりは今でも数多くの船が運航されています。
 
 
 
 
ちなみに横須賀はクロフネ以前も有名な外国人が訪れています。
 
「ガリバー旅行記」のガリバー(もちろんフィクションです)
 
彼は小人の国、巨人の国、空飛ぶ島、馬の国といろいろな国を訪れていますが
 
実は日本にも来ています。
 
彼は江戸から南西50キロの「ZAMONSUKI」という地に到着するのですが
 
これは「KANNONZAKI」のアナグラムと言われています。
 
ガリバーは踏み絵を逃れて帰国しますが、ペリーはこの話を知っていたのでしょうか・・・^m^
 
 
 
身近すぎて浦賀も観音崎もそんな歴史の舞台であることを忘れていましたが
 
江戸湾の要であったことを認識しました。
 
浦賀奉行所跡は今でも残っているそうです。
(横須賀市のHPから)
 
 
 
 
 
 
 
 
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江戸時代は日本の歴史の中でも平和だった時代。
 
鎖国によってキリスト教の洗礼を受けず、独自の文化が培われた時代です。
 
(鎖国にはいろいろな見解があると思いますが、幕府が発足したときのヨーロッパは宗教改革の
嵐が吹き荒れていました。
私は個人的に布教活動すべてが正しいとはいえないと考えています)
 
 
杉浦日向子さんの面白くてわかりやすいお話と挿絵でとても楽しめる1冊です。
 
私は落語が好きなのですが、この本で熊さん・はっつあんの会話の内容が
 
もっとよく理解できるようになりました。
 
江戸人の言葉遊びに色男、美女列伝。
 
ひげの剃り跡が青いのは美しくないから、ひげが濃いと抜いていたなんて
 
当時の男性は今の女の子並みに身なりに気を使っていたのですね。
 
 
 
この本を持って浅草に行きたくなりました。

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ミラノにミラノ風ドリアはありません。

同じようにスパゲティナポリタンも存在しません。


この本でどちらもホテルニューグランドが発祥であることがわかりました。


ドリアはシュリンプドリアが始まり。


そして「イタリアにもアメリカにもスパゲティナポリタンという言葉は存在しません」
と書かれています。

開港以来の横浜と洋食の歴史を知ることができる一冊ですが、気になった点が数ヶ所ありました。


「中世の頃、イタリアのナポリでスパゲティは、トマトから作られたソースをパスタにかけ、路上の屋台で売られた貧しい人々の料理でした」


トマトは1519年にメキシコに渡ったエルナン・コルテスがヨーロッパに持ち帰ったものです。


1519年は中世最後の騎士と言われたマクシミリアン一世が亡くなった年。


中世は終わり、時代はルネッサンス期です。


またトマトがイタリアで食用になったのは17世紀になってから。



昔、デートでホテルニューグランドでお茶をしたことを懐かしく思い出しました。

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Montさんのお奨めで読みました。

実は本屋さんで立ち読みしたときに「中学生の作文のような文章・・・」と思って

興味が湧かなかった本でした。(人のことは言えませんが・・・)



面白かった。

ドラッカーの「マネジメント・エッセンシャル版」を購入予定です。
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