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なんとか、なるかな。
少しでも力になれたら・・・

書庫マックスに会いに

ハプスブルク家マクシミリアン1世を訪ねたときの書庫です。

趣味全開なので流してください。
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 チュウチュウトレインはこんな道を走りました。
 
なだらかに見えますが、かなり急な上り坂。
 
ハイキングがてら訪れるオーストリア人もいましたが、私にはムリです^^;
 
 
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乗り場(乗用車用駐車場)から5分かからないで到着です。
 
実はここからほとんど写真を撮っていません。
 
嬉しくて嬉しくて舞い上がっていました。
 
建物入ってすぐ左側がチケット売り場兼売店のキャッシャー。
 
ここでチケットを購入してオーディオガイドを借ります。
 
「英語でいい?」
 
と言われ
 
「はい」
 
と受け取った後に、思い出して
 
「日本語はありますか?」
 
と訊いてみました。
 
このお城は日本語HPhttp://www.schloss-tratzberg.at/があって、そこに
 
「日本語オーディオガイドによる城内案内」
 
とあったのです。
 
チケット売り場の女性は「あら」という顔をして渡してくれました。
 
私は中国人か韓国人に見えたのでしょうか・・・
(アジアのオーディオガイドは日本語ONLYしかありません)
 
中庭手前で待つように言われます。
 
オーディオガイドを受け取っても、各自自由に見学できるわけではなく
 
ノイシュヴァンシュタイン城のように、城内ガイド先導のもとに
 
各部屋を訪ねることになっていました。
 
他のドイツ語圏の人々に交じっていよいよ中庭から入ります。
 
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テンションハイマックス!!
 
 
 
このお城は1500年に建てられました。
 
13世紀に最初のお城が建てられ、その後15世紀後半に
 
マックスの狩りのための館として使われるようになっていました。
 
それが1492年火災により焼失。
 
「ど」がつくような貧乏だったマックスは
(オーディオガイドは「金銭的に厳しい状況」と案内していましたが^m^)
 
お城再建をあきらめ、テンツェル兄弟の城と交換します。
 
この近くにはシュヴァ―ツという銀鉱山がありますが、
 
テンツェル兄弟はこの鉱山の管理者でたいへん裕福だったので
 
トラッツベルク城を現在のような形に再建しました。
 
外見は後期ゴチック様式。
 
内部はルネッサンス様式。
 
マックスはお城交換の後もここを訪れ滞在し、内装にも案をだしました。
 
そう。
 
ここで私はマックスが見たものを同じものを見ることができるのです。
 
 
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階段を上がり、中庭を眺めながらオーディオガイドを装着し
 
ガイドさんの説明を聞きます。
 
残念なことに写真撮影は中庭のみに限られていました。
 
でもいいんです。
 
私はここに来れただけで満足ですから。
 
 
そうそう、このお城は子供の見学者が多いことに気が付きました。
 
マックスはオーストリアでも人気の皇帝。
 
歴史的人物に触れることが出来るお城っていいですよね。
 
ドイツ語のオーディオガイドは子供バージョンもあるそうです。
 
 
 
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回廊には鹿の角と動物たちのフレスコ画。
 
ここが狩りのための館であったことを再認識します。
 
 
お部屋の写真は撮れませんから、絵葉書をアップします。
 
 
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これは「家系図の部屋」
 
ハプスブルク家の始祖ルドルフ1世から
 
マックスの息子フィリップ美公までがフレスコ画で描かれています。
 
肝心のマックスは切れているのが残念。
 
一番右端に女性がいるのがわかりますか?
 
彼女はミラノのビアンカ。
 
横に蛇の紋章があります。
 
彼女の横にマックス。
 
その横にブルゴーニュのマリー。
 
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これはHPからお借りしました。
 
マックスの胸から緑の枝が出ているのがわかりますか。
 
これは家系樹。
 
緑の枝はフィリップ美公とファナに続き
 
カール5世はうっすらと下絵が残されていました。
 
マックスが手にしている茶色い枝はマルガレーテに続いています。
 
実はこの部屋のオーディオガイドは
 
マックス自身が説明する、という設定だったんです。
 
男性の声で
 
「この部屋は私、皇帝マクシミリアンが案内しよう」
 
と聞こえたときは、大感激。
 
マックスの声は想像したことがなかったのですが
 
落ち着いた年配の声で(たぶん現地の日本人ガイドさんでしょう)
 
本当にこんな感じだったのかもしれない、と納得したものです。
 
 
 
 
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こちらの絵葉書。
 
1510年、マックスが利用していた寝室に書かれたものと言われています。
 
でもここは見学コースに含まれていなかったんですよね・・・
 
 
 
 
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この絵はトラッツベルク城にあったわけではありませんが
 
マックス博物館で紹介されていたので購入しました。
 
「インスブルックで狩りと漁を楽しむ皇帝マクシミリアン」
 
マックスは右下に青灰色の服を着て、馬に乗っています。
 
そのすぐ上の船では漁をしている姿も^m^
 
1500年に描かれた当時の様子がわかる貴重な絵。
 
私にとって宝物の絵葉書です。
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翌日はオーストリア国鉄に乗ってお出かけします。
 
今回の旅行の一番の目的地へ!!
 
 
 
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往路は運良く急行列車に乗れました。
 
日曜なのでガラガラの車内。
 
進行方向左側をず〜〜〜っと眺めて20分・・・見えてきました。
 
 
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私がずっと行きたかったお城。
 
今回一番の目的地。
 
4月から10月までしか内部公開をしていないトラッツベルク城。
 
今年のOPENは11月1日まで。
 
どうしても10月中にここに来たかった理由です。
 
 
 
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JENBACH駅の可愛らしい赤い駅舎。
 
トラッツベルク城へはここから約4キロありますから路線バスを利用します。
 
前日にお城のインフォメーションに電話をして
 
411番のバスを利用することは確認済み。
 
 
トラッツベルク城の日本語HPには
 
乗用車利用しかアクセス方法がありませんでした。
 
個人でおいでになるかたはオーストリア国鉄を利用してJENBACHで下車。
 
駅舎とホーム反対側のバス乗り場から411を利用します。
 
料金は€1.90、前払い。
 
「STANS TRATZBERG」まで約15分です。
 
私はここで大失敗したことに気が付きました。
 
日曜日はバスの本数があり得ないくらい少ないのです。
 
行きは5分の待ち時間で済みましたが、帰りは・・・
 
このお城は4〜10月は無休で営業していますから
 
公共交通機関を利用しておいでになるなら平日のほうが良いでしょう。
 
 
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路線バスも私の貸切状態。
 
小さな街イェンバッハを抜けていきます。
 
 
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到着したのは牧場・・・ではなく入口。
 
 
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 ここから遊歩道を歩きます。
 
わくわくわくわく。
 
実はここにはもう一つ
 
楽しみがあるんですよね♪
 
 
 
 
 
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チュウチュウトレイン♪
 
これもトラッツベルク城の名物なのだそう。
 
バス停から徒歩でお城まで山道を15分ほどかかりますが、
 
これならわずか5分ほど。
 
料金は入場料とは別になりますが(往復€3)
 
童心に帰って楽しめます。
 
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山の上のお城まであともう少し。
 
 
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やってきたのは「カフェ マックス」
 
ビジネスマンか地元民らしい老夫婦が食事しているところにハズレはない、
 
というのが私の経験です。
 
でもこの日は土曜日の午後2時過ぎ。
 
ビジネスマンの姿はなく、こんな時間に老夫婦も見当たりません。
 
ここは落ち着いた雰囲気がいいな・・・と入ったら
 
偶然名前が「マックス」だっただけです。
 
店主らしいおじいさんに
 
「皇帝の名前からつけたのですか?」
 
と訊いたら
 
「もちろんそうだよ」
 
と答えてくれました^^
 
 
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もちろんビールを注文します。
 
ヨーロッパではドリンクの注文から。
 
それからゆっくりメニューを選べばOKです。
 
でもここはカフェなのであまりメニューはありませんでした。
 
重い食事をしたくない私にはありがたいことです。
 
 
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注文したのはグヤーシュスープ。
 
これはハンガリー料理ですが、
 
ハンガリーはオーストリア領でもありました。
 
だからオーストリア国内でも名物料理。
 
パプリカで煮込んだこのスープは私の大好物♪
 
スープではなく煮込み料理になる場合もありますが
 
個人的にはスープのほうが美味しいと思います。
 
でも今回の食事で成功したのはこことあともう一か所だけ・・・
 
オーストリアの食事は本当に重いんですよね・・・
 
 
 
 
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食後に訪れたのは「マクシミリアン博物館」
 
内部は8年ほど前に訪れていますが、
 
あの時とは何か違うものが展示されているかも。
 
そんなふうに考えて中に進みます。
 
イメージ 11階段に貼られたポスター。
 
これだけでわくわくします。
 
でも内部は以前と違って
 
写真撮影禁止になっていました。
 
 
 
写真は前回のときに思いっきり撮ってきたから悔いはありません。
 
日本人は一人もいなかったけれど
(というよりこのシーズンのインスブルックに日本人はまずいません)
 
欧米系の女性数人がそれぞれ一人で見学していました。
 
マックスはオーストリアでたいへん人気のある皇帝。
 
日本の歴女のような女性がここにもいるのでしょうね。
 
 
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ここはマックスが騎馬試合を見学するお立ち台として建てたもの。
 
周囲の建物は当時と異なっていますが
 
同じ場所に立ったと思うだけで震えます。
 
バルコニーに出ることができないのが残念。
 
 
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でもここに怪しい日本女性が立っていたら興ざめですよね。
 
 
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お立ち台の下には木彫りのマックスと奥方。
 
向かって左側にマックスとその隣にミラノのビアンカ、
 
そしてブルゴーニュのマリー。
 
マックスが神聖ローマ皇帝としてこの地を首都に定めたときは
 
ミラノ・スフォルツァ家のビアンカが奥方でした。
 
ベルギーの旅のようにマリーがマックスの隣に立っている図柄は
 
ここではほとんど見かけません。
 
 
右側中心に立つマックス。
 
両脇の二人が誰なのかはわかりません。
 
調べることばかりが増えます。(それも楽しいのですけれどね^m^)
 
 
 
 
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下段に描かれた紋章6種。
 
 
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オーストリア             ハンガリー
 
 
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神聖ローマ皇帝            チロル(金羊毛騎士勲章)
 
 
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ブルゴーニュ(金羊毛騎士勲章)   ミラノ
 
 
 
一日に何回もこの下を通れる幸せを噛みしめていました。
 
 
宮廷教会からそのまま隣接するチロル博物館へ。
 
そう、私は博物館が大好き。
 
子供のころは絵を眺めるより博物館で想像を巡らせるのが好きでした。
 
チロル博物館もその一つ。
 
お仕事ではそんなことをしている暇はありませんから。
 
 
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チロル博物館内には昔の家を模した部屋があります。
 
私は古民家が大好き。
 
左端に置かれたのはストーブ。
 
奥の小さな椅子は昔、アラビア地方で馬の背に乗せたものを模したものです。
 
 
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台所。
 
煮物の鍋は五徳の下で薪を燃やしていたのがわかります。
 
 
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こちらはオーブン。
 
子供のころに読んだ「ヘンゼルとグレーテル」を思い出します。
 
あの頃は魔女をオーブンにいれて焼き殺す、という意味が
 
よくわからなかったっけ・・・
 
オーブンはオーブントースターのことだと思っていました(−−;)
 
 
 
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歯車で動くオモチャ。
 
このときは停まっていました。
 
 
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双頭の鷲の紋章がついた城門と郵便馬車。
 
ヨーロッパの郵便システムはマックスが始めました。
 
このオモチャだけでも私の妄想は暴走しています。
 
 
 
 
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こちらは展示されていた小椅子。
 
 
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面白い模様や紋章の中にマックスの紋章がありました。
 
もしかしたらマックス専用小椅子!?
 
説明文が何もないのが残念です。
 
 
 
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こちらは本棚。
 
 
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当時のローマ法王ピオ11世と
 
マリア・テレジアの息子で神聖ローマ皇帝となったヨーゼフ2世。
 
この本棚は誰が使っていたのか・・・
 
 
 
 
想像ばかり先走りして気が付いたらもう午後2時過ぎ。
 
チロル博物館を後にして食事にしましょう。
 
でもインスブルックをはじめとするオーストリアの食事は重いんですよね・・・
 
簡単に軽くでいいのだけど・・・
 
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宮廷教会にマックスは葬られていませんが
 
隣接する銀の礼拝堂にはハプスブルク家直系の人物が眠っています。
 
マックスの曾孫になるチロル大公フェルディナンドとその最愛の奥方・・・
 
マックスの孫であるカール5世は亡くなる直前に
 
広大な領土を二つに分けました。
 
スペインと新大陸、オランダ・ベルギーを息子のフェリペ2世に。
 
オーストリア領と神聖ローマ皇帝の冠を弟のフェルディナンド1世に。
 
フェルディナンド1世はハンガリーの王女アンナと結ばれます。
 
政略結婚でしたが、2人は愛し合い幸せな結婚生活を送りました。
 
長男は曽祖父の名を取り「マクシミリアン」と名付けられ
 
次男は父の名「フェルディナンド」と名付けられました。
 
アンナが息子の一人には愛する我夫の名をつけたかったからといいます。
 
 
ハプスブルク家の跡取りとして育てられた2人の息子は
 
もちろん政略結婚で一族を支えていくことになります。
 
それを拒んだのが次男のフェルディナンド。
 
彼は豪商の娘フィリッピーネ・ヴェルザーを愛したのでした。
 
 
貴賤結婚なんて今では死語なのでしょうね。
 
「玉の輿」「シンデレラストーリー」なんて簡単な一言ではすまない時代に
 
2人は極秘に式を挙げました。
 
そんな2人が眠っているのがこの礼拝堂です。
 
 
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フィリッピーネ・ベルザーの仰臥像。
 
彼女はチロルに貢献した女性でした。
 
 
 
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フェルディナンド大公は銀の祭壇左手前で眠っています。
 
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特徴のある顎。金羊毛騎士勲章をつけた胸元・・・
 
 
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実は二人のあいだにはこんな柵があります。
 
フェリッピーネの柩には触れるくらい近くまで行けますが
 
フェルディナンド大公には近寄ることすらできません。
 
フィリッピーネは結婚23年後に亡くなりました。
 
その後、大公は実の姪と再婚しています。
 
 
 
大公とフィリッピーネの愛のお城はこのあとに紹介しますね。
 
ハプスブルク家では政略結婚が当たり前でしたが
 
それを良しとせず、二人の愛を貫いたカップルは他にも誕生しています。
 
 
結婚が二人だけのものと考えられる現代とは違い
 
当時の王族の結婚は国家を左右するものでした。
 
「愛がすべて」
 
世界が平和で自由だからこそ言える言葉なのでしょう。
 
 

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