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koubejyunntarouのブログ
お山に行きましょう(^^)/

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ちょいと 行ってくるわなー。腰、痛ててっ。
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ギンギンに痛いし、痺れるけれど、本日は丹生山(515m)にチャレンジ。。。って、サミットまで登れる気はしないけれど・・・
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えっ? コレ ・・・銃弾でないかい・・・アポロ・・・こんな登山道で狩かぁ?
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河童が出そうな池を超え・・・
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9(ナイン)を超えて・・・
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腰の痛みと 下半身の痺れで ダウン・・・コレ、サミット(頂上)まで、絶対に無理やなぁ。
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お気に入りの雑木林に到達すると・・・
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こういう姿勢になると、挟まった脊椎管が広がって また歩けるようになるのが、脊椎管狭窄症の典型的な症状です💦
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あかん・・・ココで、ノックアウトです。カウントが入ります。
1.2.3.4.5.6.7.8(エイト!)ファイティングポーズ。
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何とか カウント8で 立ち上がりました💦
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春ですねー。私の春はあるのかぁ? っと・・・いや、前向きに行きましょう。
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こんな何でもない所でも、今の私にとっては岩登りⅢ級レベルですっ( `ー´)ノ
がんばれ!
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ふぅ・・・やっと第一峠に着きましたが・・・限界ですっ。えらい病気になってしまったもんやなぁ・・・3年前は29分で山頂まで駆け上っていたのに・・・。
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標高325mが今日の限界。富士山で言うと5合目当たりになるかなぁ・・・
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でも、もう少しだけ 頑張ってみます。
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八丁と言うことは、8合目かぁ? ここからキツイのは、丹生山も富士山も同じレベルに感じますっ。
雨も降っていますし、誰も居ないし、下山は大丈夫なのかっ(ー_ー)!!
どうする? 8合目・・・。
まぁ、富士山みたいにアイスバーンでないし、気温も風も大丈夫・・・腰の痛みと痺れに耐えられるかどうか・・・ですっ。
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あの、切り株で 休もう!
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ふぇー。脊椎管よ 広がれぇー! 流れろ髄液、広がれ神経の束っ!
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六地蔵様・・・2体は 行方不明か・・・石で補っていました。元気なころは、気づかなかったなぁ。
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コルの手前の尾根に こういう所があったんですねー。立ち寄ったのは今回初めてです。
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ふぅ、根性で標高480mのコルに着きました。山頂は、あっちです。
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あれ?この辺りが伐採されて スキッとしたんですねー。明要寺跡か・・・ココは、悲しい歴史のある山塊ですから。
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あれ?道がない・・・元気だった頃だと 飛び降りでいましたが・・・ごそごそ。右側の石垣の切れ目を 痺れた足で降ります。足の感覚があまりありませんので、この高さでも危ないです。
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「丹生神社」の鳥居をくぐります。もう少し、もう少し・・・ここを上がればサミットです。ファイト!
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あれ? 2月なのに正月のしめ縄が残っています。お正月気分かっ。いや、腰の限界でそんな気持ちにはなりませぬぅ。
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山頂直ぐ下の広場に着きました。この木は なつかしいなぁ。
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でかい うろ。 何かが棲んでいそうですが、巣の気配はありませんでした。
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娘がまだ 小さい時に 一緒に登ったなぁ。ここに乗せてあげたのを思い出しました。
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2000年の写真です。もう19年前ですかっ・・・人生は長いようで短いかも?
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ここは、相撲大会が行われていましたが、今も土俵は残ってます。いつも通りの独り相撲です。突っ張りを入れていますが、腰が引けてますっ(ー_ー)!!
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小屋で休みますっ。
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木のベッド・・・に見えたので・・・
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あー・・・もう、限界値超えました。腰を休めます。ふぃー💦 💦 💦
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やっとサミットに着きました。腰が良くなりますように・・・受験生の皆様に春が訪れますように・・・。
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標高515mサミットからの 展望ですが・・・小雨が降っていてもやっています。
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雪がココだけに残っていました。いつ降ったのかなぁ?さすがに標高500mを超えたら、先日の雨が「雪」に変わっていたのですね。
雨は夜更け過ぎにー♪ 雪へと変わるだろう♪
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腰が悪いので瓶は重かったのですが、なんだかコレが飲みたくって・・・担ぎ上げ?ましたっ。
オロナミンCの気持ち。
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さて・・・下れるかなぁ・・・それが 心配。なんせ 今の私にとって 標高500m越えは、3000m級のアルプス並みですから。
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標高400mの岩場で ちょっと 心配な自分。何を想ふ?
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upすると 衝原湖に架かる赤い橋が見えました。降りれるのかなぁ・・・痺れた足とキンキン痛む腰で。
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うわっ、ここの下りは 私にとっては岩場のⅣ級クラスになりますっ。
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足の裏が 痺れていて感覚が無いですから、本当にヤバいです。この病気になりますと、何でもない場所が チャレンジルートに変わってしまいます。
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「シダの滝」と勝手に命名しています。 この山塊は本当にシダが多いです。バリルートの藪漕ぎでは、こいつに苦労します。今は、フツーの下り道で苦労していますがっ(ー_ー)!!
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お気に入りの雑木林で 休みます。新緑の季節が待ち遠しいです。
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お約束  激痛のレッツリンボー
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サイクリングターミナルは、廃墟になりましたが、トイレだけは使えます。
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たわわ。
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はい、たっち。生きて帰れましたっ。(決して大げさではありません)

復活するには、やはり手術しかないと 思いました。
この痛みと痺れでは、山登りが楽しくないです。コレは、痛みと痺れとの闘いに挑んでいるだけです。

丹生山系は、秀吉の明要寺焼討ちにまつわる悲しい話が残っています。丹生山にかつて明要寺という大伽藍(※だいがらん・大きな寺院)がありました。

天正6年(1578)、織田信長は播磨地方平定の命令を羽柴秀吉に出したのです。
しかし、明要寺は信長に反旗を翻した三木の別所氏に味方してしまい、三木城への食料補給ルートになっていたことを秀吉軍がかぎつけました。

羽柴秀吉と別所氏のはげしい闘いが起こり、秀吉は弟秀長と大軍を率いて三木城を包囲し、兵に犠牲者を出さずに籠城攻めを何年も行ったのです

この時に明要寺は焼討ちに遭い、闘う準備をしていた僧侶たちの多くは逃げ場を失い深い谷へと落ちていきました。
また、寺には多くの稚児(子供)もいたのです。
戦が始まり、これらの稚児たちは、みんなかたまって北東の尾根伝いに逃げて行きましたが、遂に現在の稚児ヶ墓山の山上辺りで秀吉軍に発見され、切り殺されました。。
犠牲者は数千人に及びました。・・・雨の夜だったと伝わっています。

ふぅ、明日は仕事・・・仕事も山も 肝心要な腰がコレですから、しんどいです。腰の痛みと両足の痺れもキツイですが、これからの事を思うと メンタル面の方がシンドイです。

でも、コレは自分に与えられた試練。
人生って そんなに 甘くはないですねっ。



  • 辛い山登りだけど、ところどころに思い出があったり、歴史を振り返ったり。
    やっぱり、山に呼ばれるのかもしれませんね。
    私の周りには、同じ病気の人が多いので、色々調べてみますね。
    ちなみに一番身近な姉は、ルームサイクルで、家で自転車がいいと聞いて、毎日、漕いでます。

    [ あゆくま ]

    2019/2/3(日) 午後 9:47

    返信する
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    > あゆくまさん おはようございます。
    ホント山登りと言うより、修行?って感じでした。それでも歩いた方が気持ちはいいです。対処療法は所詮痛みを取るだけですので、手術しかないかと思っています。
    立つと痛いので、ルームサイクルは座って運動できますので、良いですね(^^)/
    では、いってきまーす。

    koubejyunntarou

    2019/2/4(月) 午前 6:41

    返信する
  • 顔アイコン

    内緒さん 従寺八丁は、そういうことだったのですね。ありがとうございました。

    koubejyunntarou

    2019/2/5(火) 午後 10:29

    返信する

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