平成中野学校

トランプ政権こそ国防軍創立のチャンス

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昨夜はグッスリと眠ったせいか目覚めは快適でした。

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(部屋に持ち込み再び車に積み込む二人分の荷物。カメラケース・衣装かばん・パソコンケース・酒とつまみ袋など。車には他にこの3倍ほどのキャンプ用品などが積まれている。)

今日は呉まで足を伸ばすのだが、めぐちゃんが希望していた江田島の海上自衛隊・第一術科学校(旧海軍兵学校)への訪問は時間的に難しい事から今回は割愛しました(厳島神社もパス)。ここには旧帝国海軍時代の古いレンガ造りの建物などがそのまま残され、戦後もその伝統としての流れが(時空間)唯一継承されていると思われる場所です。
めぐちゃんは、このあと訪れた海自の「てつのくじら館」で高価な第一術科学校の写真集を求めていました。

我々もその時空間に触れてみたかった…(次回への楽しみ)

「温故知新」によって自己修養と学術研鑽の資とするため…として存在する術科学校の教育参考館の展示内容を見ると、我々がこだわった『東郷元帥の遺髪』に関する記述・展示がありません。
第一術科学校には『東郷平八郎元帥の遺髪』『山本五十六長官の遺髪』『ネルソン提督の遺髪』が存在すると思っていましたが、『東郷元帥の遺髪』は横須賀に保存されている戦艦「三笠」の長官室を訪れたほうが確実なようです。

広島港の駐車場に車を置き、我々はクルージング・フェリーと称するスーパー・ジェットに比べるとグッと安いほうの、広島−呉片道¥900(この日はなぜか¥800)を利用する事にしました。
ターミナルと称する船附場の一番端の桟橋から乗り込む。


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(瀬戸内海方面に向う海自潜水艦。めったに見られない光景と興奮する我々だが…)


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(早速ですが…とスーパー・ジェットが追い抜いていく。)

バックに見える船影は前進停泊?している「おおすみ型輸送艦」自衛隊では輸送艦とあいまいな名称だがLST−4001の艦種略号が示す通り国際的には戦車揚陸艦。LCACエアクッション揚陸艇2隻、90式戦車10両、兵員330名の他、スマトラ沖地震援助に従事した際は陸上自衛隊の大型ヘリコプターCH−47など5機を運用した。
多数の島々で構成される我国領土の防衛には必要不可欠の装備といえるでしょう。


◆呉海軍基地

明治22年に呉鎮守府として設置され、明治36年には呉海軍工廠も設立され、帝国海軍の主要な基地として発展してきた歴史があります。

<戦後は海軍省廃止にともなって、呉鎮守府は閉庁されるが、米軍が瀬戸内海など航行量の多い水域に多量にばら撒いた機雷の除去のために、昭和27年に海上警備隊として掃海作業に着手し、昭和29年の防衛庁設置と海上自衛隊創設と同時に海上自衛隊呉地方隊と司令部としての呉地方総監部が、呉鎮守府跡の現在の場所に置かれ現在に至る。>

海上自衛隊としての位置づけは呉地方隊として、護衛艦4隻、掃海艇7隻を配備。また第四護衛艦隊群の所属として旗艦「ひえい」など護衛艦7隻が配備され、潜水艦は海自保有全16隻のうち9隻が呉所属になっています。その他、第一掃海艇群として掃海艇11隻。唯一の練習艦隊として練習艦4隻が配備されています。

フェリー上から目撃しただけでも、掃海艇や護衛艦に混じって「おおすみ型輸送艦(戦車揚陸)」の『おおすみ』『しもきた』、「補給艦(給油)」の『とわだ』、「施設艦(機雷施設)」の『もろと』、「潜水艦救難艦(救難母艦)」の『ちはや』などの珍しい艦艇を確認できました。尚、潜水艦は航行中の一艦の他に「ちはや」の隣に停泊している一艦を目撃しました。

海上自衛隊呉基地では週末などに護衛艦などの一般公開などもを行っているようで、平成16年4月18日に呉にて行われた護衛艦の見学会では、イージス艦、支援艦含め24隻が係留、一部が一般乗艦公開されたようです。

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(世界の海軍の中でも保有が珍しい、潜水艦救難艦『ちはや』。)


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(借用図:「ちはや」が搭載する深海救難艇DSRVによる海底捜索のイメージ図)

潜水艦は水中を行動することができるため、通常の船とは異なり、遭難しても潜水艦の中で乗員が生存している可能性が考えられることから海上自衛隊には潜水艦救難(母)艦が装備され、常時、遭難潜水艦が発生した場合に備えています。「ちはや」は2000(平成12)年3月に就役した最新鋭の船で遭難潜水艦の脱出用ハッチと密着して、潜水艦乗員を高い水圧にさらすことなく救出するための小型の潜水艇である深海救難艇(DSRV)を装備しています。このDSRVは正、副2名の操縦員が操縦し、1回の潜航で12名の潜水艦乗員を救出することができます。また、遭難潜水艦の脱出用ハッチ付近の異物を除去するなど、DSRVの運航を助けるための装備として水中カメラと物をはさんだりすることのできる2本のマニピュレータを備えた遠隔操作の無人潜水装置(ROV)と深海での潜水作業を最も効率よく行える飽和潜水を支援する深海潜水装置(DDS)を持っています。
ハワイ沖で米海軍原潜と衝突し沈没した「えひめ丸」の船内捜索は、水深約600mの海域に沈没した総トン数約500トンの「えひめ丸」を水中で吊り上げ、安全な潜水作業を行うことができる水深(35m)の海域に、約25km移動させて行うというものでした。
災害派遣で派出された当初、「ちはや」も8月10日、母港である呉を出港し、10月下旬には呉に帰港する予定でした。しかし、現代のサルベージ技術の限界に近い作業は、海底の状態などの影響を受け、当初予定していた吊り上げ方式を変更せざるを得なくなりました。当初の予定から約1か月半遅れたものの、10月12日、吊り上げに成功しました。

海自隊員による最終確認のための潜水は8日間で101回、約70時間に及び、確実に船内を確認するとともに、多くの個人所有物を発見、回収しました。


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(佐世保の三菱重工のドックはガラ空きにみえましたが、ここ呉のIHIマリン・ユナイテッドでは大型タンカー三隻が同時進行状態で建造されていました。)



◆「てつのくじら館」<海上自衛隊呉資料館>道路右側 入場無料

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「伝統墨守 唯我独尊」と気質を称される海上自衛隊さん!
それにしても凄い展示館を(こんな場所に)ぶっ建てたものです。

<ちなみに陸上自衛隊は「用意周到 動脈硬化」、航空自衛隊は「勇猛果敢 支離滅裂」との事>

フェリーターミナルからデッキを伝って初めてこの光景を見た時には…私ゃあぶっ飛びました(笑)。
向かいの「大和ミュージアム」に負けてないどころか…勝っている…と思いましたよ。

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(まんまの…潜水艦「あきしお」をくぐって入るエントランスで茫然自失?の小生…笑)


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(シュールな!あまりにも非日常的眺め…)


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(海自発足の礎、機雷掃海に関する展示=各種機雷)


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(掃海作業の為のシステム展示)


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(湾岸戦争では、木造のこんな小さな艇で灼熱のペルシャ湾まで行ったのですね。ご苦労さまでした。)


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(展示潜水艦「あきしお」艦内の中心・発令所、左奥には操舵席が見える。)

キャップを被って黄色のベストの説明員にめぐちゃんが色々と質問していました。

め:透明アクリルから床下に見える魚雷発射菅室を見ながら…「魚雷は何本積み込んでいるのですか?」
説:「それは…軍事機密ですので、お客さんの想像にお任せします」
め:「バッテリーでどの位の時間潜っていられるんですか?」
説:「それも…お客さんのご想像にお任せします」

俺:「めぐちゃん!中国人(軍関係者)に見られているんじゃないの(笑)」
め:「・・・」
説:「・・・」

この後、めぐちゃんは、資料館のショップで海上自衛隊のキャップを買って被っていました。

俺:「めぐちゃん!これで今後、自衛隊関係者みたいに見てくれたりして…」
め:「多分…ああ、そのキャップ呉の資料館の売店で売ってましたね…って言われるよ!」
俺:「あ〜そうか!(大笑)」
め:「笑」


◆「大和ミュージアム」<呉市海事歴史科学館> 有料

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ちょうど「てつのくじら館」と道路をはさんで向かいあっている。
道路側に帝国海軍戦艦の主砲の40センチ砲身が一本ド〜ンと置いてありますが、大和の主砲は46センチなので、これは違いますね。

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腹も空いたので入館する前に芝生広場側にある、こじゃれたレストランに入り、海軍=カレーの発想から、わりと安易にカレーを頼んでみましたら…こじゃれたカレーが出てきました。
正直、あまり美味しくありませんでした。なんか出来損ないのシチューみたいで…。

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ま…いうてみれば…戦艦大和の1/10の模型がドドーンと展示してある訳ですが、やはり模型は模型で人物などが写真に入りこまないとスケール感がありません。
別室にゼロ戦や大和の各種砲弾の展示と共に、特攻兵器「回天」の10型(試作品)というものや、特殊潜航艇「海龍」(後期量産型)というものが展示してあって興味深いものでした。

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「回天」(写真一番奥の細い奴)は海軍の青年士官の提案によって呉海軍工廠で研究開発され、平均21歳の100名程度の若い命がこれによって散ったそうです。米国のソナー技術は帝国海軍より進んでいましたから、早期に発見され沈められてしまったケースが多いのではないでしょうか。
真珠湾攻撃でも、最初に接敵し沈められたのは特殊潜航艇でした。

「海龍」(写真左側)は飛行機のように翼を使って自由に潜航・浮上する事を目指して呉海軍工廠などで潜航実験や研究・開発が行われた小型潜水艦だそうで、よくよく近寄ってみると造りの荒さが敗戦間際の苦肉さを現しているように感じました。

8月30日(土)広島−福岡<332km>

狭い関門海峡を一気に渡って、九州に上陸したのは午後5時頃、これから博多までは約100kmある。
6時すぎには何とか駅前のホテルにチェックインを済ませ、博多の夜の街へと繰り出す。

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仙台にも屋台はあるが、一代限りの営業許可という施策の為に年々減少している。
博多の屋台は活気があって懐かしい…

めぐちゃんが目を付けていた魚介料理の店はあいにく(日曜の為?)開いておらず、適当に入った店はイマイチで何となく気分が醒めてしまった。

最後に博多ラーメンだけは美味しい奴を…としばらく歩いて「だるま」というお店でラーメンを食す。
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なかなか美味しいラーメンで、ビールを飲んで〆た。

最後良ければすべて良しで、本日は中々楽しい充実した一日だった。
これからの九州の旅に互いに胸が膨らむ。
結局…B級グルメの旅にもなりそう…笑。

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閉じる コメント(6)

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呉に立派な海事博物館が二つできたのですね。自衛隊と大和などの展示と、それぞれできたのですか。私がいた20年前は造船と製鉄が傾きかけて景気が悪そうでしたが。港にあったのは大和を造ったときの壊れかけたクレーンだけでした。よい写真を見せていただきました。

2009/9/22(火) 午前 10:57 [ 蓬莱島山人 ] 返信する

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蓬莱島山人さん、私が訪れるのは今回が初めてですが、20年前とは様変わりしたのですね。そういえば両博物館も隣接する大型ショッピングセンターも比較的新しいものでした。

知名度としては最近の大和ブームもあって、大和ミュージアムのほうが高く、呉市としてはそれを観光の目玉政策としたのでしょうか。

旧帝国海軍に比べは、戦後の海上自衛隊の規模など比較になりませんし、20年頃前はバブル崩壊の影響と共に、韓国などに造船業が逆転された頃なのかもしれませんね。

地域に差があるのでしょうが、呉の造船所は少し活気があるように見受けられました。

2009/9/22(火) 午後 5:56 koudookan 返信する

思い出しますね〜

しかしここのカレーは おしゃれですね^^傑作

2009/9/24(木) 午後 9:15 naomi_shararan 返信する

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ナオミさん、そういえば一年前に江田島に行ったんでしたね…。
そして「海軍カレー」食べてきたのですね。
TBありがとうございます。
うらやまし〜

大和ミュージアム・芝生広場にあるレストランのこのカレーは、お勧め出来ません(キッパリ)。見掛け倒しですよ(笑)。
それより第一術科学校売店食堂のカレーの方が絶対いいです!
(食べたことないけど…)

2009/9/25(金) 午前 8:48 koudookan 返信する

海自潜水艦を見られるとは、うらやましいです。

ラーメンの後からビールですか?
変わっていますね。(変なことろに突っ込みますが)
私は空き腹に飲む主義なので。(^-^)

面白かったです。

傑作

2009/9/26(土) 午後 11:25 tarismanaspect 返信する

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tarismanさん、書き方がヘンだったようですが…言いたかったのは、それまで刺身と焼酎などを飲んでいたのですが…最後はラーメンとビールで〆ました…という意味でした。
すきっ腹に飲むというのは、酒を一番美味しく飲む方法であり、tarismanさんが相応の呑み助である証拠でもありますが、散々飲んだ後に麺類などを食べながら飲む〆のビールもオツなものですよ。
もっとも…これは健康上あまり良い習慣とはいえませんが…。

ハワイの真珠湾には「ボーフィン潜水艦博物館」など、前大戦時の古い潜水艦を展示(内部も)している所もありますが、現代の潜水艦を展示(内部も)しているのは、機密の多い潜水艦の性格上、非常に珍しいのではないでしょうか。事実、私は最初に見た時には本物をそのまま飾っているとは思いませんでした。

貴重な経験でした。

2009/9/27(日) 午前 0:42 koudookan 返信する

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