平成中野学校

トランプ政権こそ国防軍創立のチャンス

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(四本堂公園キャンプ場=母衣崎から見る大村湾)

ほぼ正面に旧帝国海軍・針尾無線塔が見えるがその辺りにハウステンボス(インド資本が買収とか)の花火が見えました。

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(今日も時間と距離に余裕があるので、朝食用に米を炊いてみた。)

これは優れもので、二重になった内側に米と水を規定量入れて二重部分にも水を入れ、蓋をしてアルコールバーナーにも規定量のアルコールを入れて火を付けておけば、後は自動的に米が炊き上がる…というもの。写真のように「米が立っている」事で上手く炊けている事が分かると思います。


9月1日(火)母衣崎・四本堂公園−長崎−雲仙・白雲の池キャンプ場<110km>


◆長崎原爆資料館+平和公園

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(資料館ホール、天井デザインが原爆ドームを連想させる。)

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(被爆時に破壊されそのまま時を停めたままの柱時計。)
第二回原爆投下作戦の第一目標都市は小倉市であった。 爆撃当日、先行して離陸していた天候観測機からの報告では天候に問題なく爆撃可能との報告を受け、ボックスカーは小倉爆撃を目的として作戦を開始していた。

しかし、ボックス・カーに同行するはずの写真撮影機(B-29ビッグ・スティンク号)が誤って高度12,000mまで上昇してしまい、ボックスカーは合流待ちのため屋久島上空で約45分旋回を繰り返した。しかしビッグ・スティングと合流出来ず、機長チャールズ・スウィーニー陸軍中佐はやむなく2機編隊で核攻撃作戦を行う事にした。

午前9時40分、大分県姫島方面から小倉市の投下目標上空へ爆撃航程を開始し、9時44分投下目標である小倉陸軍造兵廠上空へ到達。しかし爆撃手カーミット・ビーハン陸軍大尉が目視による投下目標確認に失敗する。その後別ルートで爆撃航程を少し短縮して繰り返すものの再び失敗、再度3度目となる爆撃航程を行うがこれも失敗。この間およそ45分。

この小倉上空での3回もの爆撃航程失敗のため残燃料に余裕がなくなり、その上ボックスカーは燃料系統に異常が発生したので予備燃料に切り替えた。その間に天候が悪化、日本軍高射砲からの対空攻撃が激しくなり、また零式艦上戦闘機10機が緊急発進してきた事も確認されたので、目標を小倉市から第二目標である長崎市に変更し、小倉市上空を離脱した。

長崎天候観測機(B-29ラッギン・ドラゴン号)は「長崎上空好天。しかし徐々に雲量増加しつつあり」と報告していたが、それからかなりの時間が経過しておりその間に長崎市上空も厚い雲に覆い隠された。

ボックス・カーは小倉を離れて約20分後長崎県上空へ侵入、補助的にAN/APQ-7"イーグル"レーダーを用い照準点である長崎市街中心部上空へ接近を試みた。スウィーニーは目視爆撃が不可能な場合は太平洋に原爆を投棄せねばならなかったが、兵器担当のフレデリック・アッシュウォース海軍中佐が「レーダー爆撃でやるぞ」とスウィーニーに促した。命令違反のレーダー爆撃を行おうとした瞬間、本来の投下地点より北寄りの地点であったが、雲の切れ間から一瞬だけ眼下に広がる長崎市街が覗いた。ビーハンは大声で叫んだ。

「街が見える!」 
「タリホー! 雲の切れ間に第2目標発見!」 
スウィーニーは直ちに自動操縦に切り替えてビーハンに操縦を渡した。工業地帯を臨機目標として、高度9000メートルからMk-3核爆弾ファットマンを手動投下した。ファットマンは放物線を描きながら落下、約1分後長崎市街中心部から約3kmもそれた別荘のテニスコート上空、高度503mで炸裂した(松山町171番地)。
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(借用写真:爆撃前と爆撃後の爆心地付近の空撮写真。この地区は住宅地と共に学校や病院などが集中していたが全てが完全に破壊されている。)

爆弾の威力は8月6日に広島県広島市に投下されたリトルボーイより若干強いが、長崎市は起伏に富んだ地形で、起伏が無い広島市に比べて威力が減殺され、破壊の度合いは広島市に比べると小さいものの死者約73,900人、負傷者約74,900人、被害面積6,702,300m2、全焼全壊計約12,900棟という甚大な被害をもたらした。


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(ファットボーイの?めぐちゃんと「ファット・マン」の構造模型。)
<ちなみに、ハーレーダビットソンの「ファトボーイ」というモデル名は広島投下のリトルボーイ(ウラン型)と長崎投下のファトマン(プルトニウム型)から名づけたという説がある。>

「ファット・マン」は中心の6.2kgのプルトニウム239の周囲を120kgの天然ウラン(U238)の球体が包んでいる。その周囲を32分割3層の「爆縮レンズ」と呼ばれる2500kgもの爆薬が包んでいる。本体重量の半分以上も占めるこの爆薬を32個の雷管によって0.1マイクロ秒以下の誤差で同時点火させる事でTNT火薬換算で22キロトンの核爆発が起きる(インプロージョン方式 implosion、爆縮)。1945年-1949年間に合計120発の「ファット・マン」が生産された。
現在は100キロトンクラスの核兵器でも直径30センチに収まるほどにまで小型化されている。


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(被災者の手の骨が張り付いたままで溶けて固まったガラス状の凝固物…。)

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(工夫を凝らした展示、重い足取りで出口に向う…)


『トルーマンが「けだもの」として灼殺した、一万人のキリスト教徒への記憶抹殺』

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(ツアー初日に訪れた広島で夕暮れの原爆ドームがライトアップされていたのは…NHKによる『特集:高瀬毅「ナガサキ 消えたもう一つの“原爆ドーム”」』という番組の為だが…それはこの本の番組化だった。)
ヒロシマの象徴が原爆ドームなら、長崎のそれは浦上天主堂の廃墟(のはず)だ。写真家・東松照明の写真で見た。わずかに残ったマリアの石像が天を見上げる。その面貌は熱線に灼かれて爛れている。

それをひと目見て置きたいと、長崎を訪ねた。ところが、それが現場にない。原爆資料館にレプリカとして再現されている。原状をそのまま残せば、何より原爆の惨状を訴える。それだけではない。キリスト教徒が同じキリスト教徒(推定一万人)を灼いた動かぬ証拠だ。なぜ、原状を維持しなかったのか、レプリカを見ながら疑問に思えた。

その疑問に答えるのが本書だ。戦後13年、原状は維持された。それを変えた人物が二人いる。著者はこの二人の動きと背景を追う。

一人は市長・田川務。原状維持派だった彼に、ミネアポリスのセントポール市から「姉妹都市」提携の呼びかけがある。招待に応じてアメリカを長期旅行した。帰国した彼はなぜか「心変わり」し、原状の撤去を主張する。反対した市議は言う。

「残っておったら世界遺産です。われわれ市民の力が足らなかった。悔まれてならん。あれは二十世紀の十字架です。キリスト教を信じとる国が、同じカトリックの信者の頭上に原爆を落とした。まるで作り話のような物語性を持った世界遺産になったとではないですか。立派な市長でしたが、アメリカで何かあったとしか思えん。」

長期旅行の費用(いまのカネに直せば800万円)はアメリカ側が負担した。

(略)

もう一人は司教・山口愛次郎。彼はセントポールの地元紙に「天主堂再建の資金を集めたい。爆破の傷跡を消し去りたい」と語り、アメリカで資金集めをした。出資に応じる側の心理が「傷跡の消去」にあったことは想像に難くない。

アメリカは先住民抹殺、黒人奴隷、原爆投下−−三つの原罪意識をひきずる。これらを何とか封印したい。05年、クッシング神父は広島・長崎を訪れ、アメリカ人として原爆投下の罪を謝罪した。ために彼は神父の身分を剥奪されている。それほどにも原爆ドームも浦上の廃墟もこの世から消し去りたい。

(略)

二人を操ったヒューズという男がいる。
彼が姉妹都市の提携を斡旋した。背後にアメリカの対日心理戦略がある。
かってアメリカは日本の歴史書7000冊を焚書・禁書とし、歴史の抹殺に狂奔した。

本書は日本人に向けたマインド・コントロールの一端を新たに発掘した。
大宅壮一ノンフィクション賞候補に推したい。 (評者:堤堯)
アメリカによる対日心理戦略はまだ続いていると思います。
広島の秋葉市長とスティーブン・リーパー原爆記念館理事長などはさしずめ田川務とヒューズの役割を担っているのではないでしょうか。

◇ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館での「エノラ・ゲイ展」は当初のマーティン・ハーウィット館長の展示方法(広島市と長崎市からの原爆被災者の写真展示や、米国にある原爆投下正当論に対する挑戦)に対して「アメリカ退役軍人協会」と「米メディア」と「アメリカ議会」が反対し、結局マーティン館長は博物館から追い出されてしまいました。

結局、「エノラ・ゲイ展」は2003年12月に被害の状況について説明せず、「すばらしい技術的成功」として展示を行いましたが…「エノラ・ゲイ」の本当の意味は、良く知られている、操縦者ポール・ティベッツの母の旧姓などではなく、イディッシュ語で<天皇を屠れ>という意味であるとユダヤ人・モルデカイ・モーゼの著書に書かれていると…以下の本で解説されています。
同様な落書きが、広島の原爆投下前にパラシュートで落とされた観測機器のような物体表面にも書かれていた<It's all over Hiro>と、広島編で紹介した『広島反転爆撃の証明』の著者、若木重俊氏も実際に当時それを回収した時の目撃談として述べられています。

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(この著書名が長いのが特徴の本の著者は、我国の近代史にロクな解説書が無い事に憤り、外資系貿易会社のサラリーマンを退職してから一念発起し、現在三冊の真実の近代史の著書を出しています。)

鈴木敏明氏が書かれているように、結局、原爆投下は軍事的には必要なかったのであり、それは当時の米軍指揮官・軍首脳の一致した考えでした。日本はすでに敗北しており政府は講和を求めて外交的働きかけを行っていたのです。わざと日本の無条件降伏にこだわったトルーマンは、スターリンに対日参戦を促し、原爆完成の報を受けると今度はソ連参戦前の日本降伏を急いだのです。

トルーマンの日本に対する無警告原爆投下の選択に対し、当時のウィリアム・リーヒー米大統領幕僚長・海軍元帥は回願碌の中で、「私の考えでは、最初に原爆を使用したことは、我々が暗黒時代の野蛮人と共通の道徳基準を採用したことなのです。私は、そんな野蛮な道徳基準で戦争するようには教えられなかったし、また戦争は女性や子供を殺して勝ち得るものではありません」…と語っています。

しかし、トルーマンは日本をジャップと呼び「けだものは、けだものとして扱わねばだめだ」…と原爆投下後の手紙の中で言っていたそうです。


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(平和公園にある爆心地碑。昭和20年8月9日午前11時2分、この上空502Mで22ktの核が炸裂し、ほとんど継戦力を失っていた日本の、罪の無い一般市民14万人が死傷しました…黙祷。)




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ご苦労様でした。
じっくりと時間をかけて読みますね。

2009/10/9(金) 午後 5:34 [ - ] 返信する

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にんじん畑さん、ありがとうございます。
まだ旅は半ばです(笑)

一応…広島・長崎ではそれぞれの米国の卑怯な行為を告発しています。
たとえ卑怯な行為が無くても、非戦闘員である一般市民に向けて爆撃する事自体が戦時国際法違反ですし、戦争犯罪です。

米国がこの事(日本全国の都市への焼夷弾爆撃も含め)について、正式に謝罪しない限りは、日本人なら絶対に許してはならないと思います。

この後は鹿児島の知覧と鹿屋の特攻隊基地を訪れます。
宜しくお願いします。

2009/10/9(金) 午後 6:46 koudookan 返信する

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被害者のお骨に手を合わせます

傑作

2009/10/10(土) 午後 4:09 naomi_shararan 返信する

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ナオミさん、戦争ですから悲惨な事があるのは仕方ありません。
例えば捕虜になったら虐待される事も、住民が戦闘の巻き添えになる事も、騙し討ちも当然あり得ることです。

しかし、最初から無抵抗の一般市民を殺戮する事を目的とした爆撃は、ナチスがガス室で民間人を灼いた事と変わらないと思います。

オバマ米大統領が、「核廃絶を目指したい」と演説しただけでノーベル平和賞を受賞しました。まだ何の具体的実績が無いにもかかわらずです。広島・長崎に原爆投下した国の大統領が演説しただけでノーベル平和賞を受賞し…広島の秋葉市長は、核兵器廃絶を望む世界の大多数を「オバマジョリティー」と呼びました。
この人はやたらと「世界の市民」と言うが、広島・長崎の被災市民は他の国の市民とは別である事を消し去ろうとしているように見えます。広島の市長として最もふさわしくない人物だと思います。
絶賛するのなら、何故、広島・長崎に来て「核廃絶」を誓ってくれと言わないのでしょう…?

米露の核兵器削減交渉を「核廃絶」と称し、広島市長という立場を自分の「運動」に利用する、この人達に物凄い違和感を覚えます。

2009/10/11(日) 午前 9:31 koudookan 返信する

最後が知覧ですね!!
知覧は、時間をかけて静かな過去の時間とそのときのわが国の置かれた環境と若者の日本を思う精神の世界と命がけの愛情の極致であります。我われの祖先の誇りである民族の魂の遺産が沢山形として、
<霊><魂><物>がこの眼で読み取れますからね。
同じ時代のひと時の命の糸を、引き継いで来てください。
記事のアップを期待しておきますね。

2009/10/11(日) 午後 3:10 [ - ] 返信する

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にんじん畑さん、知覧(陸軍航空特攻基地)と鹿屋(海軍航空特攻基地)とを訪れてきました。両基地を離陸した特攻機は約二時間半で沖縄周辺に居る米海軍機動部隊に接触・突撃したようです。

決死隊ではなく「必死隊」としての神風(しんぷう)特攻隊は、主観的選択ではなくいわば客観として必死の制度として生まれました。

従って小泉首相は「犠牲者」として涙したそうですが、私は彼らを単に犠牲者として扱う事に違和感を覚えます。
政治的に見れば犠牲者かもしれませんが、そうやって片付けてしまっては彼らの思い、二千五百三十名の青年の意志が全く伝わりませんし彼らが命に代えて伝えたかった意味を拒否する事になります。

是非を論ずる事は出来ませんが、現場で感じた事と特攻を生んだ背景などを少し考えてみました。

2009/10/12(月) 午後 4:19 koudookan 返信する

当時の知覧での思いが私の記憶の中から甦ります。
言葉文字に簡単には書けません。
大変ご苦労様でした。
記事のアップを又期待しておりますね。

2009/10/13(火) 午後 2:41 [ - ] 返信する

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知覧と鹿屋の比較も書いてみます。
お楽しみに…笑。

2009/10/16(金) 午前 11:30 koudookan 返信する

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