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近代宗教、特に仏法の祈りは、約束の事です。
似た言葉に、祝いと呪いという少し不気味な言葉がありますけど、この二つの言葉も原初の約束から出来た言葉です。 つまり、原始宗教の約束の言葉なのです。 近代宗教のキリスト教では、悪魔は契約を重視して人と契約します。 しかし聖書にある最初の神の言葉は、約束でした。 本来的にキリスト教の信仰者であれば、金の亡者にはなり得ません。 しかし、キリスト教から派生した民主主義思想にはその恩恵がありませんでした。 それは、共産主義思想も同じでした。 日本という宗教思想の基盤を持たない国土においては、金の亡者の共産主義者を産みました。 故に、学会から日本共産党は仏法の敵と判断されました。 当時の青年室長であった池田先生が、日本共産党の書記長と会談中に聴いた事です。 日本共産党は、宗教思想の自由を保証出来ますか? 書記長は答える事が出来ませんでした。 今は明らかに金の亡者の相を日本共産党は呈しています。 それは識者は知っている事実であり、元から筋道の通った宗教思想の基盤を持たず唯、理想主義に逃避した者の末路でした。 私自身がかっては共産主義思想の持ち主でした。 そしてその理想を実現する為の手段を少なくとも日本の共産主義者が持たない事を誰よりも良く知る者です。 自由な民主主義思想は、時代の要請なのは間違いありません。 日本人は今、初めて一部の識者でなく、民衆による平和革命を実現する時に来ているのではないでしょうか。 諸外国の革命で、血が流れなかった事は歴史上極めて稀だと思います。 確か何処かで一度だけあったと記憶しています。 だから、慎重な姿勢が必要だと思います。 平和憲法を掲げる国が、平和革命を成就する事は、そのまま、世界平和に繋がって行くからです。 だからといって、仮に血が流れてしまったとしても諦めなければ、必ず戦争を無くし、世界中の人が幸福に成れる世の中を実現させる事が出来ます。 負けない事。それは必ず勝つ仏法の方程式。 それは、法華経の兵法の一つです。 私は必ず勝ちます。勝って必ず戦争を無くします。 例えどんな事があっても必ず。 |
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私が結婚出来るのは、使命を果たした後の事かも知れません。
それは、私の使命には一切の妥協が許されないからです。
妻や子供を守る事すら後回しにする事があると知っているからです。
つまり、仏法に照らして、諸天に完全に守られる学会三世以降以外とは結婚する可能性が低く、学会三世以降はまだ幼いからです。
私自身は既に世界中の子供達を自分の子供と決めています。
故に、唯。縁であり成り行きだと思っています。
私自身は使命を優先します。
2011/9/27(火) 午前 4:15 [ コウ ]
なるほど、でも中道も仏教の教えですよね。
リラックス、リラックス。
2011/9/27(火) 午後 10:11 [ BOM ]
私は中道です。
私が中道に見えるか、神に見えるか、悪魔に見えるか
私を見る人の主観の問題ですから。
せめて、普通の公開プロフィールでコメントされたら如何でしょうか?
2011/9/28(水) 午前 5:17 [ コウ ]
契約のみを重視して、人の道を忘れた世知辛い世の中。
宗教基盤のないこの国で、この世の中を普通だと感じるのは、それは既に自分自身が地獄にいる事の証左だと思います。
テレビで普通に、消費者金融のCMが流れていて、それを普通だと信じている人は、餓鬼の国に自分が住んでいる事を知らない。
衆生世間は普通の人でも、国土世間が餓鬼地獄なら、やはりいつかは衆生世間その人自身の境涯も影響されて地獄に近づいていきざるを得ません。
その事実を自ら認識して、自身の慢心を自身で戒めなければ必ずそう為ります。
私には、その人は地獄餓鬼畜生の三毒の衆生にしか見えません。
純真な子供からは、父母が鬼に見える事もあるかも知れません。
実際に、二年前に近所の聖かちゃんは義父と実母に虐待されて殺されました。
普通の母だったと思います。
2011/9/28(水) 午後 4:26 [ コウ ]
コウさん、ごめんね。
私は自分のブログをやっていないのです。
地獄と天国は同じ場所にあって、それがそれぞれに分かれるのはその人の心のあり方にある気がします。
つまり、それを例えると。
地獄では長い箸を持って食事をします。で、長い箸で食事を摂ろうとしても箸が長くて自分で食事を摂ることが出来ません。「お腹が空いた」といつも苦しい状態が続きます。
天国でも長い箸を持って食事をします。でも、この長い箸で食べ物をつかんで、その箸で他の人に食事の手伝いをします。「次、何食べる?これ?はい、どうぞ。あ〜ん、してね」と食事を食べる人の手伝いをします。天国は人の為に役に立つ行動をします。
同じ条件で天国と地獄に分かれる訳です。
片意地張らず楽しく生きて生きましょう。全ての人の為にね!
2011/9/28(水) 午後 11:02 [ BOM ]
今晩は、BOMさん
そう言う事ですか。
ブログ持って無くてもプロフィールは普通に作れると思いますよ。^^
今使っているのは、旧プロフィールと呼ばれてるものでもないのでしょうか?
普通に、Yahoo!IDを作ってそのIDでそのままログイン。
大抵はそのIDに自己紹介などを記載してますよね。
BOMさんの言っているのは、その通りだと思います。それは法華経の喩え話ですから。
そしてその喩え話だけで問題が解消出来たのは、釈尊滅後二千年迄、正法と像法の時代迄でした。
二千年以降の末法においては、仏法と縁のある衆生が減って徐々に国土世間いわゆる群衆心理的な範疇にその影響が出てきました。
それは、日蓮大聖人様が立正安国論を著された時代もそうでしたが、今は更にそれが顕著だと思います。
末法の時代において必要な事は、世の中を変えて行く事です。
日蓮大聖人様がされていた宗教革命者の姿こそがその本分だと思います。
また、釈尊自身が末法においては自分の法華経はその功徳は無くなる事を明確に説いて末法の時代に新しい仏が現れる事を予言してます。
2011/9/28(水) 午後 11:39 [ コウ ]
私は自分自身を仏法の宗教革命者だと思います。
釈尊の予言した末法の仏である日蓮大聖人様が現した仏法を現代において実践する者の一人です。
私が実践する法華経は、日蓮大聖人様の血脈である日興上人、日目上人が立てた日蓮正宗から戦後に別れた創価学会の初代会長牧口常三郎、二代会長戸田城聖、三代会長池田大作の三代会長を広布の指導者としています。
血脈から離れた仏法に功徳がないのは、唯その時代の衆生を幸福にする力がないからです。
一人の人だけを見れば、古い時代の法華経の喩えも正しい。しかし人間は一人では生きていけない。それが全ての答えだと思います。
そして、今は未だ私自身に本当にその力があるかは創価学会が私を認めるか否かにかかっていると思います。
それは年内には必ず決します。
故に、今年は退転者が出かねない年との指導が私の親友の組織においてありました。
私が間違いを犯していた場合、きちんと罰が中ります。
私以外が間違いを犯していた場合も同じです。唯違うのはその人が私と違い仏法の実践者かどうか。故に私と対峙する場合に慎重にと書きました。
2011/9/29(木) 午前 0:06 [ コウ ]
私は中道である自分を認識しています。
唯、相手に応じ、時代や状況に応じて、その振る舞いは変わります。
それが、現実を見据えた仏法の実践だと思います。
親が子供を育てる事も同じです。
教師が生徒を指導する事も同じです。
社主が部下に接するのも同じです。
それを「主師親の三徳」と言うと思います。
私自身は、7年後に戦争を無くし子供達に未来を残す事しかありません。
その為に、日本の経済革命と政治革命が必要だと思います。
その為に必要な日本人の選別は日本人自ら認識しないまま地球規模でとっくに行われています。
私自身は被害が大きくならない様に祈り、無限地獄に落とさないその為に強く世の中を批判しました。
後はもう、勝手に地獄に落ちて行くしかないかと思います。
私の親しい人に対する折伏も昨日で終わりました。
私自身を折伏した親友は、私と絶交したいそうでしたが、多分、縁は切れないでしょうね。
まあ、後は暫く放置しておく。それが今は最善手だと思います。
これで少しのんびり出来るでしょうか。。。。。。
2011/9/29(木) 午前 0:41 [ コウ ]
「釈迦の教えで問題が解消出来たのは、釈尊滅後二千年迄」という話は聞いた事があります。
で、自分の直感では、釈尊滅後二千年迄は「釈迦の教えを活かしきれない時代」その後、釈尊滅後二千年以後、初めて釈迦の教えが活きる時代になると釈迦が考えたと思うのです。
つまり、「釈迦の教えで問題が解消出来たのは、釈尊滅後二千年迄」は間違って解釈、通訳したのではと自分は考えます。
釈尊滅後二千年以後こそが釈迦の教えが蘇る時代と自分は考えます。
そして、それは誰かの指導のもとでなく「個人一人一人が悟りを開く時代」「自ら悟ることが出来る時代」と自分は認識しています。
2011/9/29(木) 午前 8:21 [ BOM ]
感謝します。
間違いではなく、その時代の衆生にはその教えで良かった。という事だと思います。
釈尊自身が衆生に説きたかった本来的な意味は、滅後二千年以降に初めて衆生に得心出来る事だったんです。
その解釈については色々な説がありますけど、私たちは学者ではなく実践者だと思います。
今の時代、今の世界にとり必要な教えである事だけは確かな事だから
後はもう、現代の法華経、創価学会の法華経を実践するだけだと思います。
入会しなくてもその思想を学び実践すれば良いだけです。
信心にせよ、およそ全ての事はその人が幸福に成る為に在ります。
信心しなければ解消出来ない悩みを抱えてさえいなければ、する必要はありません。
一つ言えるのは、大きなお世話ですけど、子供が可愛いならパチンコは止めなさい。という事。
人は一人では生きていません。子供は親を見て育ちます。
親が餓鬼なら子供はどうなるでしょうか。
子供が餓鬼なら未来はどうなるでしょうか。
するなら人の領分でする。
私は必ず自分に勝ちます。先ずは自分の宿命と勝負です。
2011/9/29(木) 午後 1:03 [ コウ ]
すみません。意味が良く分かりません。
2011/9/29(木) 午後 11:18 [ BOM ]
概ねは合っていると思いますけど、大きな見落としがあります。
自分で得る悟り、理解出来る人は二乗の中の縁覚の生命が強い人だけです。多くの衆生はそれを望んでいません。
多くの衆生が望んでいない事を多くの衆生に求める事は出来ません。
戦争を無くすのに必要なのは、悟りでなく思想を学ぶ事です。
それが必要とされる時代になったという事です。
BOMさんは自分で理解出来る人、二乗の傾向が強い人だと言う事です。
話の後半は今、私の心を占める不幸に対する思いです。
2011/9/30(金) 午前 0:46 [ コウ ]
もう少し補足するなら、
悟り、この定義を宇宙生命の意識的な認識とします。
どう意識的とするかが問題です。
実は、仏法を知らず意識的に認識して悟りを得ている人間はごろごろと迄は行かなくとも、かなり多くいます。
仏法を知らず、認識した場合、それを認識するだけならまだ良い場合もありますが、活用しようとした時に誤った判断を下しかねません。
これは生命の法則性を知らない為に全体像が見えない事に依ります。
また、悪い場合、オウム真理教の様なケースも普通に考えられる事です。
BOMさんは、その名前が示す通りだと思います。
貴方には、きちんと、信心される事を勧めます。
2011/9/30(金) 午前 1:11 [ コウ ]
コウさん、私も縁あって如来壽量品を読む機会がありました。
コウさんが想う”地湧の菩薩”は「何か、どのようなものか。もっと推し進んで何者か?」のお考えを伺うことが出来れば嬉しいのですが。
そして、その者がなぜ”地湧の菩薩”と呼ばれる具体的説明があるともっと、嬉しいです
2011/9/30(金) 午前 8:17 [ BOM ]
地湧の菩薩は、衆生を救う為に地より湧いて出現する菩薩です。
私が思っている地湧の菩薩とは、SGIと創価学会の世界1200万人の同志はもちろんですが、同じく戦争を無くす事や人権問題に取り組んで行く多くの世界中の同志の事です。
菩薩行とは、他者の為にする事です。母の無償の愛情がそのお手本だと思います。
そこに悟りは要らず、ただ母の様に人類の未来と子供達の未来を守りたいというその一念が揺らぐ事がなければ良いだけです。
師匠曰く、仏の境涯は、ひらく。と考えるそうです。私もそう思います。
成仏とは、仏になるのでなく、その境涯を拓く。という事です。
私も一人の人として、菩薩行に徹して、仏の境涯をひらくだけです。
故に、信心は必要なければしなくて良い。ただ、思想を学ぶ事だと思います。
私の話より、創価学会の書籍を読む事の方が間違いなく為になると思います。
とはいえ、取っ掛かりとしての役目は果たせましたでしょうか?
2011/9/30(金) 午前 10:28 [ コウ ]
ありがとうございます。
「地湧の菩薩は、衆生を救う為に地より湧いて出現する菩薩です。」となっていますが、具体的にはどういう事と、お考えですか?
「地より湧いて出現する」という意味をどのように感じていらっしゃいますか?
2011/9/30(金) 午後 10:23 [ BOM ]
地より湧いて出る事、それについては意味を考える迄もなく、私自身が実感して知っている事です。
私も7年前より以前は意味を考えていた事があったと思います。
7年前より後の今の私は、人を見て、その人の境涯を考える迄もなく十界互具で立て分けてしまいます。私の理解の範囲でという事ですけど。
文章を読んでも同じです。
もちろん考えてる事は知りませんけど、善人か悪人か、どっちを見ているのかは判ります。
学会員の多くは学会員の見分けがつきます。
それは見ず知らずの相手でも何となく知る事が出来ます。
それは、たぶん、多くの学会員にとって必要な知見なのだと思います。
私自身、入会当初は何となくそう言う知見がありました。いつ迄そうだったかは覚えていません。
でも、今の私には学会員と学会員以外の区別はつかなくなっています。
それが、たぶん、私には必要な知見なのだと思います。
今のこの時代に、創価学会という宗教法人が、日本という国にある事はやはり地湧の菩薩としか表現の仕様がないと思っています。
言い得て妙。と言えるでしょうね
2011/10/1(土) 午前 1:14 [ コウ ]
このコメントを最後とします。
地湧の菩薩とは。
地湧の菩薩とは自分の命を存続する為、または生きる為に動物を植物を殺生をしてのみ、生きることが出来る業の深い生物の事です。その生物はまさに地球の地に栄養を求めます。そして、寿命がくるとまた地に帰ります。あたかもその生物は地から湧き出るがごとく存在します。
そうです、地湧の菩薩は、まさに人間そのものなのです。
アメリカ・インディアン(先住民族)の伝説に”虹の戦士”があります。その伝説には「今、まさに人類が滅亡に向かうとき世界中に現れ、その人々は自分の命をもいとわず誰の影響も受けず自分の意思のみで戦う。」というものです。
地湧の菩薩は何の制限も受けるものではなく、もちろんどんな組織も関係がありません。
愛がある人、全てがまさに”地湧の菩薩”そのものなのですよ。
2011/10/1(土) 午前 8:20 [ BOM ]
私は今は、ナチュラル・アメリカン・スピリッツという煙草を好んで吸う様になりました。
少し前にはキツイ煙草でないと物足りなく感じていましたけど、インディアンの煙草を吸う事の理由、平和への祈りは、私自身がピースという煙草を好んでいたのと同じでありその原点だと思いますから。
それは生きとし生けるモノだけでなく、宇宙という生命自体の宿業だと思います。
地湧の菩薩が現れる事は釈尊自身が決めた事とも言えますし、元々約束されていた事だと釈尊自身はその時に知った。という事です。
そして釈尊が法を説いた事で、その時に道筋が確定しただけの話しだと思っています。
私自身が学会に入会した時にある使命が決した様に、少し違いますでしょうか
私は私の使命を果たすだけ、後は自然と幸福に成ります。
全ての地湧の菩薩達と同様に
感謝します。
2011/10/1(土) 午前 8:37 [ コウ ]
今の方って、もしかしなくても、そうですよねぇ。
途中からインタビューの様な感じになってましたけど、最後は師匠の生命を感じました。たぶん、師匠に近い方だったのでしょうか。
はい、お喋りは私の個性ですけど、この文章を書く事だけはかなり悩みました。
しかし悪戯好きな私としては書くしか。笑
ありがとうございます。♪
2011/10/1(土) 午前 9:01 [ コウ ]