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人間は、人の間(はざま)と書きます。
「あいだ」では意味が少し解りづらいと思いそう書きました。
人は個である故に、自ら社会を形成しないと生きていけないのです。
人は動物と違い個である事を強く認識します。
本能では、正常に群れる事が出来ない生き物なのに、本能に任せて群れを作ってそれで良いものと勘違いした民族がいます。
それが、私たち日本人です。
日本という国は、歴史上一度もその国の民衆全てに社会的な基盤を与えるだけの期間、一つの近代宗教を用いて統治された事がありません。
近代宗教とは、隣国と共存共栄出来る宗教の事です。
自然崇拝、祖先礼拝、神々の物語り、これ等の宗教は原始宗教にカテゴリー分けされています。
近代宗教であるキリスト教等が基盤となった共産主義思想も、その基盤を持たない民族には理解されない。
中国以外の共産主義思想を掲げる社会主義国は、過去にソビエト連邦と共に消えていきました。
日本の共産党も、信教の自由を認める事が出来ず時代に取り残されました。
宗教と哲学との違いは、そこに民衆の実践があるか否かです。
人の幸福は、人と人との関係が全てだと思います。
人が望む価値は多くは相対的なものだと思います。
それは一人の人が強く欲しているモノを他の人が強く望むとは限らない。という事です。
ただし、その価値の基準におく事が出来る普遍的な物差しは在ります。
牧口先生の価値論では、次の様に価値の基準を立てています。
1.善(善悪)
2.利(損得)
3.美(美醜)
人も動物である故に、誰でも多少の贅沢な暮らしはしたいと思います。
本能とは我が儘な心ですが、生活を向上しようという活力にもなります。
贅沢で美しい暮らしをしたいと思っていても、大人になれば自然と多くの民衆はほどほどで幸福に成れる事に気づきます。
気付かないのは、金の亡者たちだけです。
昔、テレビに出ていたお爺ちゃんの言葉です。
世界は一つ人類は皆兄弟。
このお爺ちゃんは、国が認める賭け事である競艇関係の偉い方でした。
賭け事、勝負事というのは、本能故に禁止する事は無理だと弁えた上で競輪の振興をされていた。
2011/9/26 18:00 お姉さまより指摘があり、競輪→競艇に修正しました。
ごめんね、おじいちゃん。
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