わたし、ベルダーシュです。

ここは、ベルダーシュ(性同一性個性、性差に自由な個性)の方と生命の大切さを理解してくれる方のブログです。

仏法

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日蓮大聖人さまの仏法のお話し
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信心すれば治ります。


さて、頭破作七分(ずわさしちぶん)とは、

今世で出る一番重い仏法の説くホウボウの罰、十界互具で言えば、地獄の地獄に基底部がある生命の状態のはず。

基底部は地獄でも、人は縁によって六道を輪廻します。

地獄の菩薩になる事もあるのです。

学会員なら、地獄の仏に成る事が出来ます。


わたしの父もそうでした。

以前から、そうではないかと思っていました。
しかし以前は、仏法の生命論を知りませんでした。

正確には、仏法を理解していませんでした。今は知るだけでなく少しずつ理解しています。

まさか、頭破作七分が、今まで救えるとは思ってなかった。

父が救える事を知りました。

そして、父は頭破作七分でも、たぶん、軽く済んだんです。

それは、学会に入会してくれたからでした。理由はどうであれ、自分からすすんで、道を求めたのです。


それを知っていたら、たぶん、わたしは父をもっと早く叱りつけた事でしょう。

しかし、そうしていれば、自分の宿命転換はありませんでした。

結局は、家族も自分も救う事が出来なくなっていた。

頭破作七分とは、無明の別名かも知れません。

でも、一番酷い状態です。


えっと、色々する事が在ります。

また、書き込みます。

そろそろ、お出ましは?

来ないと本部に殴り込みます。

今のところ、忙しくて、すぐに本部に行けません。



公妙蓮カキコ

天上天下唯我独尊 ケータイ投稿記事

これは三千年前に釈尊の確信の言葉でした。

今のわたしは、唯、南無妙法蓮華経と唱え、信心根本行学の二道を要に、自分のするべき事のみをし、しなくて良い事はしてはならないと肝に命じ、唯、実践するのみです。


大阪幹部の○○さん、わたしが今、会いたいと強く願っているのは、わたしが入会した時に、たぶん男子部の区書記長だった方、その方と師匠だけです。

よろしくお願いいたします。


追加
一応親友や周囲には7年前から、せっついてます。

つまり切れた。と捉えても支障はございません。因みに切れた日は7月3日〜4日にかけての時間帯です。


公妙蓮

藪田公治
仏法の基本は、感謝の心です。

それは、法華経の比喩に、常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)の御振る舞いとして、説かれています。

わたしは、貴方を敬います。決して軽んじたりいたしません。

常不軽菩薩は、常に、人々に対して、礼拝をしました。

気持ちの悪い奴だ。と、石を投げられ、杖で叩かれ、これは我慢できない。と
思うと、一旦逃げていき、また、少し離れた所から、礼拝を続けました。

どんなに、蔑まれ、悪口を言われても、常に、感謝する。と言う事をやめませんでした。

創価学会の信心も、これと全く同じです。

南無妙法蓮華経、とは、感謝という意味です。


妙とは、女が少ないと書きます。

法華経以前の仏法では、女人成仏は約束されていませんでした。

これは、女人に限らず、一部の人が成仏(幸福)になれない事を意味します。

お葬式をするとき、お布施をたくさん包めば、全然違う宗派であっても、法華経を読経してくれます。
ご僧侶が知らなければ無理ですけど、まあ、商売熱心なご僧侶もおられるでしょうし、真面目に仏法を研鑽しているご僧侶もおられると思いますが、未だ、会った事はありません。

常不軽菩薩のように、振舞われているご僧侶

釈尊や日蓮大聖人さまのように、振舞われているご僧侶

一度、会ってみたいものだと思います。

創価学会には、たくさんいます。今、世界で、確か、1200万人だっけ?

僧侶とは、仏道修行をする人の意です。


このブログは、わたしの舞台です。
もし、このブログを見て、心配していただいている学会員の方がおられましたら、
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一念三千の一念とは、一瞬の生命のことです。(先ず分かりやすく十如是に現れるものと考えてください)

十界×十界互具x十如是×三世間=三千となります。要するに一念三千とは、一個の生命が十界・十如是・三世間の視点からとらえて初めて全体像が浮き彫りになることを示したもので、無限の生命が一つにつながっている。その全体を解明した法理であり、一つ一つの生命を解明した法理でもあります。

ゆえに、仏教ではなく、仏法なのです。ほんとは、釈尊はその幸福に成る為の法則を伝えたかったのです。

最初の基本は、十界論になります。

十界について、説明します。

地獄(じごく)、先ず、一番苦しい生活や境遇を強いられている状態です。これを人間性に当てはめるのは、難しい事です。普通は想像もつかないような悲惨な状態です。人間の心の状態に置き換えるのはとても悲惨で哀れであると言えると思います。でも、この生命も誰にでもあり、境遇によって人間は容易にそうなってしまう事があります。

餓鬼(がき)、子供の事をガキという由来ですが、見る方の視点の問題です。我侭、自分の事しか考えられない。飢えた鬼のように、最後には自分自身(我)を食らう鬼と書きます。そういう方は多くいらっしゃいます。
大切なのは、地獄に堕ちても金の亡者になるな。と言う事だと思います。

畜生(ちくしょう)、動物という意味です。一般的に言われる、本能のままに、一時的な快楽に身を任せる様。好き勝手に生きる様。自由に生きる様。あれ、自由に生きるの良いじゃない?自由に生きて、それが最終的に仏の視点から見たとき、幸福につながる生き方なら良いのだと思います。
ここまでの三つの生命を三毒と言います。基本目標にすべき状態ではないからです。

修羅(しゅら)、これは、より良い生活をしたいという向上心です。自分のそのとき思う理想に向かう心で、人間が立派に成ろうとするのに必要な生命です。ただし、生き方を求める。それによって、実際のありようは違ってしまいます。尤も、分かりやすい修羅の代表は、やくざ、格闘家、名誉を重んじる。体面を重んじる。自分は偉いんだと周囲に認めて欲しがる。向上心はとても大切で必要な生命なのですが、見栄や少し卑しい心根につながり、三毒と合せて四悪趣に数えられます。

人(にん)、平らかなるを人と言います。穏やかな人生、生き方、その人の心のありよう。なかなか難しいですね。
コウも。そうありたいと思っています。

天(てん)、歓喜。喜びにふるえる様。嬉しいって思う気持ち。満たされて幸福な境遇。みんなそうなりたいと願っている事が叶った状態です。

声聞(しょうもん)、声を聞いて、教えを受けて学ぶという事です。求道心。目標のため、生活の向上のため、勉強する生命です。学生さんが代表です。

縁覚(えんかく)、縁に触れて覚る(さとる)、科学者、芸術家、必殺技を編み出すと言うのも含まれるかも知れません。声聞と縁覚の二つの生命を合せて、二乗と言います。二乗の傾向が強い方は、人間の出来た方が多いとも言えますが、十界の生命は誰でも持っているので、稀にはとんでもない犯罪者もいるという事です。

菩薩(ぼさつ)、他人を救いたいと切に願って行動する様。一番それがよく現れるのは、子供の幸福を思う母の心です。一番好きな風景です。そうなりたいと願っています。

仏(ほとけ)、どんな境涯なのでしょうね、絶対的幸福境涯と言います。


十界互具について、説明します。

十界互具とは、十界に十界互具と言います。これは、何のために、どういう生命の状態になっているのか。という意味です。

例えば、子供を救おうと、泳ぎが苦手であるにも係わらず、勇気を奮い起こして川に飛び込まれた方、これは、菩薩の修羅と言えます。

自分の欲望の赴くまま、贅沢な暮らしがしたいためだけに、立身出世をした方、これは、餓鬼の修羅と言えます。裕福になっても、自分の事しか考えられないなら、餓鬼の餓鬼となり、一言で言えば、金の亡者という事です。

仏法では、人間、全ての生物、宇宙と言うのは、生命が仮に和合した姿だと説いています。
ゆえに、過去世があり、今世が終わっても、生命自体は不滅であり、また、生まれ変わります。
今世で、猫を好きな、コウは猫に生まれ変わるのでしょうか。猫をいじめた人は、今度はそのいじめられる気持ちを思い知る事になります。餓鬼道は、地獄のすぐ隣の生命の状態であるため、容易に地獄に堕ちる事になります。一番罪深いのが無間地獄です。何度も何度も辛い思いをする一生を何度も繰り返す事になります。それがいつ果てるとも知れない無限の間、続きます。
だから、少しでも高い境涯で、一生を終えるのがお勧めです。


十如是について、説明します。

十如是とは、十界の違いを示しているあらゆる存在に共通する十種の側面を示したもので、地獄界であれ仏界であれ、十界のいかなる衆生(人間、生物、宇宙)も等しく十如是を具えています。
十界という境涯には違いがありますけど、十如是を具えていると言う点では共通しています。

私たちが、朝晩、勤行している法華経の妙法蓮華経方便品第二に、「唯、仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等なり」とあります。
多様な顕れ方をする諸法も、実は、十如是という十種の側面から成り立っており、共通した法理を具えた存在であることが分かります。

如是相の「相」とは、「このような」という意味で、表面に現れた姿、形です。
「性」とは、内にある性質・性分。
「体」とは、相・性をともに具えた主体または本体
「力」とは、内在している力、潜在的能力。
「作」とは、内在している力が外界に現れた作用。
「因」とは、生命自身のなかにある変化の直接的原因。
「縁」とは、内・外にわたる変化の補助的原因。
「果」とは、因と縁が和合して生じた直接的な結果。
「報」とは、その結果が形に現れたもの。
そして、「本末究竟等」とは、始めから終わりまでが等しいということで、相から報までの九如是が、地獄界なら地獄界の九如是として、仏界なら仏界の九如是として統一性を保っています。
仏界から地獄界まで、十界のあらゆる生命は十如是という共通の構造をもっています。
しかし、十如是それぞれの在り方は十界それぞれの生命境涯に応じて異なるのです。


三世間について、説明します。

三世間とは、衆生世間、国土世間、五階世間(五陰世間)、の三つをいいます。
一般的に言う「世間」とは違い・差別(カテゴリー的な意味)のことで、
個々の生命の境涯の違いは、具体的にはこの三つの相(次元と考えても良いです。)に現れます。

衆生世間とは、一人の人間の生命の状態です。

国土世間とは、周囲の環境、国家、地域性における生命の状態を現します。

五陰世間の五陰とは、色陰(しきおん)・受陰(じゅおん)・想階(そうおん)・行陰(ぎょうおん)・識陰(しきおん)、
のことで、衆生の生命を成り立たせる五つの要素をいいます。
一切の衆生は、この五階が仮に和合して成立しているとされます。

 色階とは、生命体を構成する物質。
 受陰とは、六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)を通して外界や内面の物事を受け入れる知覚の働き。
 想階とは、受け入れたものを心に想い浮かべる働き。
 行陰とは、知覚し、思い浮かべたものを、行為へと結びつける意志や欲求の働き。
 識階とは、認識・識別する心。

要するに、衆生の身心が五陰であり、五階の働きが衆生の十界の境涯の違いによって異なることを「五陰世間」といいます。

例えば、
地獄界の衆生であれば五陰すべてが地獄界となり、仏であれば五陰すべてが仏界の五陰となるのです。
日寛上人は五陰の「陰」には「覆う」と「重なる」という二つの意味があるとしたうえで、九界についていえば善法を覆い隠し、生死の迷いや苦しみが重なっている故に「陰」といい、仏界についていえば慈悲に覆われ、常楽が重なる故に陰という、と述べています。(難しいですね。)

五陰が仮に和合した統一体が衆生であり、「衆生世間」とは衆生に十界の違いがあることをいいます。
一つの生命(衆生)が、それぞれ十界のいずれかに該当し、相互に異なっていることを指しています。
衆生とは九界だけでなく仏も含まれています。

日寛上人は、
十界の生命がすべて衆生といえるとして「仏界は是れ尊極の衆生なり」と言われています。
そして、衆生の住む国土・環境にも衆生の生命境涯に応じて十界の違いが現れることを「国土世間」といいます。

以上です。

なお、この一念三千の説明は、コウの意訳です。
コウを折伏してくれた、親友のあきちゃんのまとめてくれたものを修正して掲載しました。(無断で)
この子が、学者肌で、すごい、詳しいんです。(笑)
基本的には、こんなに詳しく憶える必要はありません。
十界論は、きちんと憶えてください。
十界互具も憶えましょう。
でも、十如是、なんか、そのようなもの。程度で構いません。
そして、三世間があること。を知っていれば十分です。

そして、以上説明したのは、一念三千の生命の状態についての説明でしたが、仏法では、その心理学的な階層についても説明されています。


九識論、と言います。

一識から、五識までは、一般的な五感と同じようなものです。

「六識」とは、表層意識です。通常は自覚できるのはここだけです。
「まな識」とは、心理学における潜在意識、生物の本能の部分です。
「あらや識」とは、業、習慣が身につくところの意識で、過去世から積み重なっています。
「九識」とは、仏界のゆげんするところ、自身の胸中にあります。和合しない形で存在している自身の生命が、ある目的を持って、仮に和合して、人間として生まれてきた。つまり、幸福になるため生まれてきた。その自身の本心があるところです。

潜在意識より奥は、自分自身では分からないのが普通の人です。信心すれば、自然とどういう人生を経てかは、人様々ですが、自分が生まれてきた使命を果たす一生を送れます。悔いのない人生と言うことです。

私たち、凡夫(普通の人の意)には、仏の境涯など解りません。
ゆえに、どんな心境なのかも解り難いものです。一番近いのが、菩薩の境涯です。母親が子供を愛するように、誰か他人の為に、私利私欲を捨てた生き方に共感して、自分も出来ることをする。しかないと思います。

でも、その普通の人に、仏の生命がある。普段は見たこともありませんけども。(笑)
ただ、創価学会(国際的には、創価学会インターナショナル、略称、SGI、と言います。)に入会して、南無妙法蓮華経と唱えれば、必ず、幸福な境涯に近づいて行きます。それは知っています。

生命の不思議3

妙とは、不思議という意味です。

つまり、解らないということです。

それは、生命とはそういうものだから、頭でいくら考えても解らない。ということです。
釈尊の弟子で、智恵第一と言われた、舎利弗でさえ、いくら考えても分かりませんでした。

それを知るには、自分の一生を使って、実験するしかありません。
コウは、それをしました。

そして、自分の子供の頃からの、夢、戦争をなくして、みんな幸福になるには、どうすれば良いのか。
その、答えを知りました。

高校一年のとき、知り合った親友に、卒業後、折伏されました。
この子もとてもナイーブな子で、それまで、コウに信心の話をする事が出来なかったのです。

コウは、ずっと、戦争をなくしたい。差別をなくしたい。いじめをなくしたい。と思って生きてきました。
小中学校時代、よ〜い、どん。という合図で一生懸命走ったことがありませんでした。
小学校4年のとき、いじめというものを知り、死というものについて真剣に思索して、毎晩お布団の中で震えていました。
中学校のとき、差別を知り、ディベートに凝っていました。(当時はその名前は知りませんでした。)

そして、高校一年のとき、ある歴史上の事件を知りました。
二千年前、イエスが、ゴルゴダの丘で磔刑にされた事件です。
それから、毎晩、布団の中で泣いていた時期があります。

やがて、議論は人を傷つけるということを知って、ディベートを捨てました。
自分には、何か、足りないものがある。高校時代ずっと悩んで思索していましたが、その答えを得る事は出来ませんでした。

高校を卒業して、社会に出る頃には、共産主義思想を持っていました。


仏法の生命論とは、釈尊が本当に説きたかった事とは、

それは、事の一念三千の生命論であり、仏教ではなく、仏法なのです。

事とは、実際に、全ての人が実践して幸福に成れるという意味があります。

ところが、当時の衆生は純粋だったため、時代が相応しくありませんでした。
真実の生命論を説かなくとも、衆生はそれなりに幸福に暮らせたからです。
三千年、待つ必要があったのです。

現在のインドから、中国に、時代の流れと共に、仏教は東方に伝わっていきました。
そして、最後に、極東の島国であるこの日本に辿り着きました。

三千年後の百法陰没の時代に、釈尊が法華経の中で、予言した、仏が現れました。

それが、日蓮大聖人さまです。

御書(日蓮大聖人様の認められたお手紙等をまとめたもの)には、当時の国家権力に敢然と意見を述べられたり、国家権力や既成の宗教団体、民衆からの迫害を受けた事が多く記録に残っています。

釈尊も、衆生に、教えを説いていた時代、同じように迫害に会っています。また、法華経のたとえ話には、迫害を受けるのが本物だという革命家的な思想が見られます。

三蔵法師によって、インドから中国に渡った、仏教の経典は、多くの僧により漢文によって整理され、天台大師は、この釈尊五十年の説法を、五時八教に立て分けて教化の意匠と教法の内容にまとめられました。
これが、理の一念三千の生命論です。このままでは、僧侶が研鑽して理解する事は出来ても実際に民衆に広める事が出来ませんでした。それは、未だ、時を待つ必要がありました。

法華経は、難しい。と、よく聞く事があります。それは、今の時代に必要とされる法華経の本当の解釈がなされていない。それだけの理由です。日本に法華経が伝わった時代、まだ、民衆も純粋でした。今の世の中のように、どろどろとしたものがなかったのです。母親が子供を殺したり、子供が親を殺すという事は、少なくとも感情に任せてされる事はありませんでした。当時の僧侶、一部の知識階級さえ理解できれば、一応良かった時代です。

その時代では、釈尊の説いた、天上天下唯我独尊(一人の人間の生命を最大に尊重する意)という事は、出来ない時代でした。民衆が搾取されるのが当たり前の時代だったのです。

そのため、釈尊が法華経を説いて、三千年後、釈尊が予言した時代に、法華経を研鑽していた僧侶が、その真実の意味に気づいたのです。それが、日蓮大聖人さまです。

釈尊は王家の出でした。仏道修行するのに恵まれた環境で育ちました。そして、自分は幸福なのに、多くの民衆が苦しんでいる事を知り、どうすれば救えるのかを知りたいため修行したのです。
日蓮大聖人さまも、法華経を研鑽していた時代、少なくとも恵まれた環境だったようです。
そして、釈尊と同じように、苦しんでいる民衆の中に飛び込んで、革命を起こしました。

ゆえに、血脈なのです。同じように振舞っているか。ということです。

現代において、創価学会は、同じように振舞っています。
戦時中、当時の軍部による思想弾圧により、初代会長(当時、創価教育学会)の牧口常三郎先生は、その弟子の戸田城聖先生と、投獄され獄死されました。
戦後、第二代会長の戸田城聖先生が、創価学会を再建されます。

当時、宗教団体の指導者が投獄されたのは、10人ほどでした。
宗教とは、人間が幸福になるためにあります。ゆえに、革命家的な一面を持ちます。つまり、その時代に本物がほとんど、いなかったということです。大半はキリスト教の指導者でした。仏教団体の指導者としては、初代、二代会長の他、一名だけでした。

釈尊や日蓮大聖人さまと同じように、国家に意見を述べて、迫害にあった歴史があります。
それが、血脈なのです。

日蓮大聖人さまの説かれた、現代の法華経、それは、正しい血脈において、ただ、南無妙法蓮華経と唱えることのみです。そして、その御振る舞いをお手本とすることです。
ゆえに、正しい現代の法華経の実践、幸福になるための法華経の実践は、創価学会に入会して、信心を根本とし、ただ、南無妙法蓮華経と唱えることとなります。
そして、御書に残された、日蓮大聖人様のご指導を拝察して、それを自分に伝えてくれた人、組織について、日々、信心根本、行学の二道を要として、生活の中にその功徳、福運を現して幸福になっていくことだと思います。

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