涸沼のほとりの歴史

涸沼南岸から北浦北岸及び霞ヶ浦北岸地域(東茨城郡南部・鹿行北部)の歴史 民俗のメモ

戦国領主の行方 鳥羽田家

(五)鳥羽田家  前述した(一)から(四)の家々は玉造地域を本拠地とした在地領主の一族である。一方で玉造地域に移住した領主の一族がいる。鳥羽田家は『水府志料』によると、「鳥羽田越中知行居村城之内雨ヶ谷ニ有之」とある。天正十八年、鳥羽田越中守・同大学助は佐竹家に敗れ主君江戸重通とともに結城へ向おうとしたが、途中の河原井(八郷町)の禅院にて重通から暇をもらって、鳥羽田へ帰村したと伝えられている(『茨城町史 通史編』)。 仮称『鳥羽田家系図』によると鳥羽田越中の子である鳥羽田大学宗義は慶安四年(一六五一)死、その子に鳥羽田作之と惣兵衛がいる。作之は「貞享元年死 下吉影エ川岸ヲ出」、惣兵衛は「羽生村住」とある。現在、茨城町鳥羽田、小美玉市下吉影、行方市羽生に鳥羽田を称する家がある。

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