序文

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 「平等」に対する 「公平」についてその基本的な意味について 述べて行く

「公平」の公とは おおやけ と読む それでは 個に対する公の関係はどうなっているのだろう

公と聞けば 国や体制を 思い浮かべる方々も多いのではないか あるいは 表ざた 等の様に

広く知らしめると言う事を 考える人もいるかと思う しかし 本来の意味は そうでは無い

公は 不変 不動であるもの 宇宙の摂理 あるいは 自然の営み 凡そ 人の手の及ぶもので

無い そんな 存在が 公  一字で表されている 人が生まれて 女性である事 男である事

あるいは 生まれながらに障害を持つ者 その全てが 宿命であり その宿命は 基本的に

自らの意思や能力に関わらず 定まった事であり 変える事は出来ない こう言う 存在が

公 である そんな 公から判断して平等である事を 公平と言う

『男女平等』と言う言葉が あるが それは本来 性による差別を無くすを 目的に考えられた

ものだが 本当に 有り得るのか 遠い未来に於いて民主主義が完成したとして 本当に

性による 差別あるいは差は 無くなるのか 自然の摂理から逸脱すれば 可能かも知れない

しかし 女性が動物学上 牝である限り また 男が 牡である限り 原始的な本能に

於いて その差は 無くなりはしない 文明 文化が発達し 人間は その原始的な 本能を

否定する様な 制度を作り上げて来た その結果が 「男女平等」と言う言葉に収斂されている

もし そうだとすると スポーツなどが 男女別に開催されるのは どうしてなのか 体格差

体力差に応じて その別があるのだろう そうとすれば 男女平等では無く 男女公平と

表現すべきであろう 「話を聞かない男 地図が読めない女」と言う脳の性差を 科学的に

述べた書籍がある かなりヒットした書籍であるので 読んだ人も多いと思うが この中に

航空管制官と言う職業は 世界中の国々での調査で アメリカや西欧の様に 女性の進出が

著しい ジェンダーフリーが進んだ国々に於いてですら 9割以上が 男性である

採用試験などに於いて 特別に女性を排除していると言うのではない 空間を立体として

認識する能力が 女性は男と比較すると著しく劣っていると言う理由による 無論 全く

全員が男と言う分けでないから 中には少数を女性の存在もあるのだが その管制官女性の

ホルモンバランスを調査すると 女性の中では 男性ホルモンを多く持った女性が大半である

との結果がある つまり 空間を3次元的に認識する能力には 男性ホルモンが影響している

らしいとの結論が導き出されていた 無論 反論もあったが 資料を否定する事は 出来ていない

脳科学的には 確定的な論証は出来ていないとしながらも 調査結果が現実を表している

また 脳溢血や脳出血などの脳障害があった場合 失語する可能性は 圧倒的に男に多く

女性は 一時失語しても 直ぐに回復する人が多いと言う結果も紹介されている 脳科学者も

これは 現代医学でも 証明されているとする 男には言語中枢を司る脳の部分は1箇所しか

無いのに対して 女性の場合は 左右両方に存在する この為に 障害を受けた範囲が

異常に広範囲出ない限り 女性は言葉を失わない しかし 男の場合 その1つしか無い 部分に

障害を受けると 結果として 言語中枢が破壊され 回復が見込めない事が多くなる つまり

脳にも性差が有ると言う証左であろう この様に 基本的に男女平等は 有り得ない事が

理解頂けるものと思う それらの性差は 宿命であり 人間には 変える事の出来ないもので

ある その様な 差を認め 尚 その能力に見合った行動を 平等とするならば それは

「男女公平」と言う事に他ならない つまり 『平等』が有り得ないと言う意味が理解してもらえた

と考える この様に 平等と言う不自然で 非人間的な 言葉に翻弄され それが さながら

世の中の究極の目標であるかの如くに 考える 人や 国が存在する その実現される事

の無い 世界を追い求めても それこそ 空しい結果を生むだけで 達成できようはずは無い

政治や 司法 国際関係 歴史や 経済 そして家庭生活に於いても この『公平』が

理解できれば その判断に大きな間違いは生ずることなく 結果として 争いを回避でき

それが 紛争を無くし 結果平和な社会が訪れる事になる これで序文は終わりとするが

本文は 全て 「思う」「感じる」等の様な 曖昧な表現はしない 全てに於いて

その論を断定してゆく 読者の中には 不遜と感じる方々もおられると考えられる

また 不快に感じる方もいらっしゃると思うが その様な文書を読みたくないと 感じられたら

途中でも あるいは この序文の間に 読むのを中止して欲しい それは 不快感を有した

ままで 読まれても その感想は著しく 感情的に流されて こちらが 反論しようが無い

からである 理論付けられた反論には こちらも真摯に調査研究して 再反論できるが

感情論には反論のしようがないからである その様な建設的でない問答を繰り返す愚を

犯さない為に 最初にお断りしておく それでは 数日後から 本論に入る事とする

本論は 各分野に分けて その分野別に 「公平」と言う意味を考え結論して行く

それでは 公平と言うこと の始まりである 文頭にあたり 私を苦労して育てた 母と

自らの生き方で それを考えさせてくれた 亡父と 若くして病にて死んだ 弟に感謝する

                           竹原 渡風 

 「平等」・・・この言葉の響きに どれだけの日本人が 翻弄されただろう?

この言葉を否定する言葉は 2つ存在する 「不平等」「悪平等」である しかし

実際には、この2つの否定語は 「平等」を容認した上に成立している

本来 人間世界には 存在し得ない言葉なのである 容認する事すら 本来 不可能で

ある事に気づかず 主張し続けた結果として 否定的な 2つの言葉が生まれた

「平等」の反義語 それは 『公平』と言う言葉である 国語的な意味ではない

思想としての 反義である

明治維新後 それまでの 士農工商 と言う身分制度があった 明治になり 4民平等と言う

言葉となって 国民を喜ばせたが 現実に 4民平等などは存在しない 戦前まで 

それに 近い 否 それ以上の身分制度が存在していた 皇族 華族 士族 平民 新平民

である これは 戸籍にも記載され 例えば 読者の祖父母 あるいは 曽祖父母の

戸籍原簿の写しを取り寄せれば その記載を見ることが出来る 

大正時代までは 警察官 士官学校 兵学校には 士族以上の家の出身者しか入る事が

出来なかった 著名な 将軍達の全てが 旧武家の末裔である事を見ても 理解できる

戦後になって それらの 身分制度は 戸籍上なくなったが 現実に この21世紀に

於いてですら 地方の保守的な地域に行くと 嫁取り 婿取りに この旧身分制度が

ものを言う つまり 少なくとも 身分に関して言う限りに於いて 今尚 平等は

ありえない事が 理解できると思う しかし 都会や国際的な町では そんな事はない

と 仰る方々もおられるだろう それは 失礼な話だが 小生と同様に 家が決して

高い身分ではなかったと言う 証拠である 高いと言うのは 士族以上と言う様な

単純なものでない 例えば 小生の母方の実家は 熊本 細川藩の客分で 家老並 500石

を領していた 上士であるが 士族の中では 下級に入る 父方は 同じ熊本だが 細川藩の

支藩である小さな藩の代官で350石 下士である さらに下級の士族である この程度の

士族は 履いて捨てるほど存在するから 維新後概ね没落して 士族なんて言ってられる

状況になかった この程度の家なら戦後 結婚と言う時に 相手の身分等と言う事を

まず気にはしない しかし 数千石以上の上士や大名家 旧華族 等は 充分にその制度を

今尚 主張している家庭が多いのである これらの家庭が 裕福とは限らない 財産の多寡に

関係なく 相手の家の身分を充分に気にする つまり 平等と言われる今の時代に於いてで

すら その身分制度は 機能しており 決して平等などでは無い事が 判る 

更に 為政者が 機会が平等に与えられる社会と言うが 目標とする アメリカに於いてですら

そんな 平等は殆ど無い 精々 プロスポーツ選手や ハリウッドスター位が 機会としては

平等に近いかも知れないが これも 生れ落ちた 環境や もって生まれた才能によって

どうしようも無い 差が歴然と存在する 「輝ける子」と言う書籍に 100メートルを 

10秒で走れ と言っても 才能が無ければ 誰でもが 努力だけでは 走れない と記されている

その通りで 人間 生まれた時に既に 平等 等ではない事が 理解できる

勉強にしても 同様に 理解力の有る子 考える事が苦手な子 ようは 個性である

この個性を充分に認めた教育が なされているか 否 為されてはいない それに

不可能であろう 例はこのくらいにする つまり どの場面に於いても 平等は存在しない

それは 「平等」 と言う概念は 宗教から来た 概念であるからだ それも 一神教にのみ

存在する概念である 神と言う絶対的な あるいは 完璧で 人間を超越した存在から見た

人間 動物 草木の存在は 平等なのである キリスト教に於ける 神の元に 人は平等と

言う概念である しかし 神に近い超越した人間は存在し得ない つまり 現社会に於いて

平等と言う概念は その神の存在を認めない限り 成立しないのである 多神教の場合 その

神ですら 序列があり その序列によって 人の上に存在している つまり 一神教を

奉じない限り 平等と言う概念は 理解できないのである しかも 信じている人々であっても

その平等を達成する事は不可能である まして 日本の場合 八百万の神であり 仏教には

絶対的な存在たる 人間を遥かに超越した存在は無い 仏は 人間が目指す理想の姿であり

人間そのものの存在を意味する つまり 日本人は 一神教の概念を知らずして この

「平等」と言う言葉だけを輸入したのである その為に 平等と言う言葉に 振り回され

結果 その反省から 悪平等などの言葉が出現したのである

さて次は その反対のテーゼとしての「公平」についてその概論を述べるが それは 次回にする

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