日本の民主主義は、戦前、戦後を通して、基本的に官僚指導型で、民意を優先した事はない。 戦前が、民主主義と言うと、違うと異論をもたれる方もおられるだろうが、一応、普通選挙が行われ、 議会制民主主義の形態を有している。 戦後、アメリカ型の民主主義が導入されて、本格的な制度が出来たと思う方もられるだろうが、 現実には、官僚制度を戦前のままに、残した関係で、官僚支配による民主主義が、続いている。 官僚達は、選挙で選ばれる事も無く、人事院による以外の、人事を受け付けないところから、 その腐敗振りは、一向に改まる事は無い。 この官僚が日本を支えた等と、言う連中もかなり多いが、それは、戦前までの事であり、現実に、 戦後の政治に於いて、凡そ、この官僚制度は、機能していないのである。 焼け野原になった日本が、早々に立ち直ったのは、日本人の持つ、悲しいばかりの、勤勉性で、 官僚が、その法体系で保護したからでは無い。 逆に、政治的な権力を楯に、経済界、技術界に 圧力を掛けて、足を引っ張った程である。 選挙で選ばれた、代議士を誘導し、慣例と言う背景を持って、その指導を否定し、国家の権力を 好き放題に、恣意に任せた改革と言う名の自己保全に、予算の大半を無駄にしてきた結果が、 今の日本の姿である。 カリフォルニア州より狭い国土に、アメリカの数倍に当たる、公共事業投資を入れながら、いまだに がけ崩れの危険性が指摘される、国道や公道は、2万箇所にも登り、1時間当たり100ミリを超える 降雨があると、決壊する川は、1000箇所以上にも登る、一体この膨大な、事業投資は、何処に 使われたのか。 必要も無い、箱物を作り続け、必要も無い空港を設備し、自分たちの天下り先を 確保する為に、特別会計より膨大な予算を付けた、恣意に任せた、無駄使いは、筆舌に致しがたい。 この様に、官僚による行政制度は、民主主義とは程遠い状況で得あるのに、政治家はその制度の、 抜本的な改革を、するつもりも無い。 小泉が、行革とお題目のように唱えるが、現実に官僚の 既得権益を取り上げる事は出来ない。本来、国家予算より、遥かに膨大な特別会計等と言う、国会の 決議を受けずに高官だけの意思で、使える予算が存在している事が、民主主義の思想に反する。 この特別会計を国会に取り上げて、何が今の日本に必要であるのか。 国民の投票による、代議士の 見識に任せる事が、まず最初の改革であり、郵政の民営化など、この特別会計の存在より、遥かに 微小な問題であると言わざるを得ない。 もし、本気で改革を断行するのであれば、人事院の廃止、特別会計の廃止を実行しなければ、本末転倒 である。 国民の意思が反映できない、民主主義とは、どう言う存在であるのか。 隣の国を随分と、非難する 論調の意見を良く目にするが、 現実には、民主主義が機能していない、日本こそ恥じるべき存在である この事を、理解せずに、やたらと、他国を批判してみても致し方ない。 共謀罪の事も、同様で、欧米型の人権意識が、為政者や官僚にあるならば、欧州並みの共謀罪を、成立 させても問題は無いが、日本の場合、この高官たちの人権意識は、凡そ、隣の国と左程の違いが無い この事が、野党をして、権力側がなし崩しに、拡大解釈をして、いつ、何時牙を剥くかもしれない と言う危惧を持つから、その詳細に渡って、法の執行を規定しようとする訳である。 要は、官僚たちの身から出た錆が、この反対運動となっているのである。 つまり、官僚指導型の民主主義は、民主主義では無く、見せ掛けのものである事が理解できる。 検察が、その取調べを透明化するために、ビデオを導入する事をほぼ決めたが、警察は拒否している 隣の、日本人が嫌いな国ですら、警察の取調べに弁護士の立会いを、義務付けているのに対して、 日本の警察は、根拠の無い理由を言い訳に、取調べが出来なくなると、屁理屈を言っている。 先進諸国や大韓民国などは、この制度を、認めてから、その検挙率が下がったと言う、事象を否定してい るのである。警察の言い分は、科学的な根拠も無く、寧ろ、如何に今まで、違法な取調べが行われたのか を疑わせるに充分な証拠であろう。 被疑者に対する、誘導や強制、精神的な圧力など、これが冤罪に繋がっていると言う事実を、全く反省 せずにいる。 この一つを見ても、如何に日本の官僚達が、国民の人権を蔑ろにしているかの証左で有ろう事か 理解いただけるものと思う。 結論を、申し上げる。 日本には、本来の民主主義は機能しておらず。その官僚支配の政治形態は、 人権を無視した上に、歪な国家を作っていると言える。 |
本論1
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(5)民主主義の限界と国益の相関 ここでは、資本主義と、民主主義の相関について、語って行く事にする。 究極の資本主義形態である、アメリカ、元祖、イギリスの双方が、現在、あらゆる 意味に於いて、その矛盾にのたうち回っている。 所得格差による、犯罪の増加、 富の偏在による、テロ被害、青少年教育の崩壊、など数え上げたら、枚挙に暇が無い 刑法を厳格に適用し、厳しい罰則を科してなお、犯罪は減少せず、寧ろ悪化している。 教育に至っては、その所得による格差に、反比例するかのように、低所得者の区域に ある学校は、概ね授業そのものが、崩壊している現状、G8に代表される、富の集中化 による、富の偏在化は、その差を広げ、結果として、テロの横行、これを防止する為に、 国防費を縮小できず、その結果としての、福祉の切捨て、テロを、無くすためにと、 言い訳しての、軍事行動、これが、更に次のテロリストを育てるという、悪循環、 民主主義国家が、国民の信任を得て、始める戦争だから、正しいと言う、思い込み。 民主主義が、まともに機能しなくなって、逆に資本は増加する。 国益に適った戦い、 資本主義は、利益しか考慮しない。 アメリカの大企業である、GMの前のCEOが 利益の12%にあたる金額を、紛争被害者である難民基金に、寄付を決めて、実行した。 寄付の好きなアメリカ人であるから、役員会もそれを支持したが、結果、株主達から 訴訟を起こされて、敗訴結果として、CEOは、辞職に追い込まれ、役員の半数が、 職を追われた。 寄付するくらいなら、配当を増やせと言うことである。 富の偏在が、テロを生んでいる事に、アメリカ人の大半が、無知である。 本来、テロの撲滅を考えるなら、この富の偏在を、是正する事を、模索しなければ、 ならない。 しかし、現実には、ごく一部の裕福な者たちへの、利益還元に終始する。 富の偏在に大いに力を発揮している、日本が、テロのターゲットにならないのか、 それは、日本は、武力によるテロの撲滅に、肯定的でないと言う印象が、世界には 有るからだ、ODAにしろ、膨大な資金供与をしている事実、ユニセフへの資金導入 など、富の偏在に対して、効果の程は兎も角、努力していると思われているからである。 しかし、平成不況に入り、少しずつその資金の供与が減少し始めるのと同時に、自衛隊 海外派兵を実行した。金を出さずに、武を与えることを選び始めた。 湾岸戦争の折 顔の見えない国と揶揄されたことに対する、為政者の感情任せの結論と、アメリカからの 強要による。結果、日本は、アメリカが歩んだ道を、歩むことになってしまった。 最早、平和を享受し得ない状況に、為政者は、国民を誘ったのである。 武器と言う商品を、買って貰う為には、消費して貰わねばならない、さらに、敵を 過大に評価し、新兵器を導入させなければならない。 資本主義の国家は、納税してもらわねば、その国体を維持できない。つまり、民意を、 誘導して、危機感を粉飾し、結果、軍備の刷新と、拡大が消費を生む、つまり、民主主義が 崩壊すればするほどに、資本家は利益を増大させることが可能であるのだ。 そして、その利益は国益となり、更に強大で歪な、国家が出来上がるという事になる。 国益とは? 国民の為にあらず、一部の利益誘導を受ける企業群とその、資本家達である 国民を誘導せず、公正な情報を与えて、判断させれば、テロ撲滅のために何が必要である のか、国民は公平に判断するものである。 しかし、現実は、大本営発表の様な、偏向した 情報を与え続け、さらには、捏造した資料の開示をはかり、誘導し、洗脳する。 これが、民主主義の崩壊プロセスであり、現在、日本に於いても侵攻しているのである。 我々は、耳心地の良い、ナショナリズムを高揚させる資料や発表は、必ず、調べる必要が ある。そして、その方法論は、難しいものでない。 ほんの少しの努力と、公平な意識を 育てるだけで良いのだ。 |
(4)民主主義絶対と言う、洗脳教育 (1)(2)(3)で、語ったように、民主主義は、為政者の意思で、容易にその輿論を誘導出切る 事から、鑑みると、国政の手段として、必ずしも絶対的なものではない、事が理解できると 考える。 とすると、教育現場に於いて、民主主義に疑問を挟む余地が無い様な、教育を施している、 現状を、どう捉えるか。 自国の体制が、民主主義であるからと言って、それが、全てに於いて正しいと言う教育を、 している現実が、他の体制下にある国家に対する、否定となって、差別を生むのである。 序論でも述べたが、民主主義をひもとくと、ギリシャに行き着くのだが、ここまで、遡ると、 同様の次元で比較できない、つまり、似て非なるものと考えた方が、良いので、ここでは、 ギリシャは、語らない。 自由民主主義、共和主義、立憲君主議会制民主主義、など多くの体制が存在するが、基本的な 思想は、難しいものでない。 基本は、国民が、選挙権を行使して、行政や司法、立法などの、為政者を選出し、その選出 された、為政者が、国民に変わって、国政を行うと言うことである。 国民と言う民衆が、正しいと判断する主張に投票する訳だが、その民衆が正しい判断を、 必ずすると言う保証はない。 民衆の判断の基準になる、世論調査などの結果が、必ずしも正論とならないのは、情報の 偏在にある。 為政者が、民衆に知らしめないならば、当然、民衆の意思は、偏向する、この偏向した、判断 によって選出された為政者は、民主主義から大きく逸脱した存在となるが、民主主義の手順を 踏んでいれば、否定できない。 つまり、民主主義は、一種の入れ物であり、何を入れるのかによって、その本質が変化する、 と言う事である。 国民が、もし、絶対王政を、選挙で主張する人に投票し、この人が当選した場合、民主主義の 手順を踏みながら、体制は、絶対王政になり得る。 つまり、民主主義とは、多数決の理論をツールとした、制度に他ならず、この手段が絶対である と言う、教育は問題がある。 しかし、現実は、この民主主義が、絶対視されており、その弊害や、矛盾点は教えない。 これが、違う体制に対する、差別意識を生む事となり、理由の無いナショナリズムを形成する。 教育と言うのは、公平性が求められる。 その公平性は、他国の制度や主張を、同時に学ばせ、その一つの制度が民主主義である、と 教えなければならない。 そして、その判断は、学んだ本人が、結論を引出すしかないのである。 現在の状況は、民主主義を洗脳している様なもので、他の制度を否定した上に存在する。 この様な、政治上の教育は、公正、公平を持って、由とするのだが・・・・・・・ 到底、行われては、いないのである。 これが、悪平等をつくり、正論を封じる根源となっている。 民主主義とは、思想ではなく、政治を行う為の一つの制度でしか無い、と言う事実を、教える事 が必要である。 |
(3)多数決の限界 民主主義でその採決は、この多数決がもっぱら使用される、唯一の制度と言って良い。 しかし、(2)で述べた様に、世論が誘導され易いものであるとすると、この制度は、 破綻していると言わざるを得ない。 何故なら、誘導された多くの民による総意は、為政者の決定を、盲信した結果であるからだ。 先の大戦を、自衛戦と言う、主張を良く耳にするが、これも、歴史を自国にとって、耳心地 の良い、拾い読みによる、認識が是認されているからである。 戦後、GHQの司令官を罷免された、ダグラス、マッカーサー元帥が、米議会で、先の大戦は、 日本が、自衛戦争として、やむなく開戦したのだ。と発言したのを受けて、作り上げられた、 いい加減な史観である事は、論を待たないが、現実に、先の大戦に於いて、その前提段階として 始まった、日中戦争などは、どう見ても自衛が目的などと言う様な、綺麗ごとではない事は、 余程、歴史を曲解している者以外には、考えないであろう。 しかし、この開戦に際して、 日本の輿論は、90%以上の賛意を、政府に与えている。つまり、中国と戦争する事は、 国民のコンセンサスを得られていた事になる。 この開戦によって、日本は、坂道を転げる 様に、破滅への道を歩んだのである。つまり、輿論は必ずしも、正しいとは限らないと言う 歴史的、事実が此処にある。 当時の右翼や、軍部の情報戦略によって、操られた輿論は、 体勢翼賛となって結実する。 支持率99%である。 この数値現実には、不可解な点が、 多く存在する。既に、始まっていた、思想統制等でも、この体制に疑問を持ち、反対していた 貴族院議員も、多くいたことが当時の議事録を閲覧すると、良く判るが、もし、そうだと すると、国民の99%が支持した等と言う、この数値は、大本営発表と同様に、辻褄が、 合わないのである。 だからと言って、その全てが操作されたものであると、結論する訳 には、行かない。 恐らく、過半数の国民が支持した事は、間違いないのである。 つまり、徹底的に誘導すれば、輿論などいつでも、為政者の都合よく作る事が可能である と言う事に他ならない。 今回の郵政民営化についても、与党議員の何人が、真剣にこの事を 考えたと言うのであろうか、大半の議員は、長いものには巻かれろ主義で、こと賛成に回った だけであろう事は、後の発言を聞けば、良く判る。 国民の投票によって、選出された議員 ですら、この状況で有るのだから、正確な情報が公開されない、国民は、判断しようが無かった のは、致し方なく。結果として、民営化は実行される事となった。 国民は、公正な情報に 接する事が難しい、与えられた情報が、何処まで公平な判断で、発表されたものであるのか、 調べ様が無い、結果、メディア戦略に長けた方が、勝利する事になる。 これが、多数決原理の限界であり、破綻である。 誘導され易い一般市民の、判断は、必ずしも正論ではなく、結果として少数意見に、その 正論が隠されている事が、多くなっている。 これが結果として、民主主義を破綻させ、 強いものだけが生き残る、弱肉強食の格差社会を生む原因となっている。 |
(2)民主主義政治は、世論迎合するかと言う命題について、考えてみる。世論あるいは輿論は、 基本的には多数決の原理と同様のものである。 国民が蒙昧な場合、為政者を盲信する為に 結果として、世論は、常に為政者側の意向を、受動的に反映する。 逆に国民が、高学歴に なり、自己思想を持つ様になると、為政者に対して、概ね批判的になり、結果として、為政者は 強権的な、独裁を選択するか、あるいは、その世論に迎合するかのどちらかとなる。しかし、 この世論ほど、いい加減な数値を示すものは無い。 <1> 世論誘導について 世論は誘導されやすいものである、と言う認識を持たねばならない。 第2次大戦前に 体勢翼賛が確立された時、その支持率は99%にも及んだ、本来在り得ない。しかし 数値そのものは、明らかに改竄されたものではない、つまり、国民の殆どが、日中戦争を 肯定し、侵略戦争を肯定した。石原都知事は、この事を持って、先の大戦の責任の一端は 国民にあり、A級戦犯だけに押し付けるのは、愚であると批判したが、それは、当時の 社会のあり方に対して無理解が過ぎる。当時、この体制に批判的な、貴族院議員も、 少数だが、存在しており、国会の答弁なども、アーカイブスとして保存されているが 陸軍大臣とのやり取りは、加熱し、挙句に、陸軍大臣が、議員を脅すと言う事まで に至っている。当時、一般社会でも、批判的な国民は多く存在したが、社会から見れば 少数派であり、結果、村八分、嫌がらせ、非国民のレッテルを貼られたりと、辛酸を 嘗め尽くしている。 これらの情報が反映して、中道的な国民の大半が、支持派に 回ったのである。 自分達は、その様な目に合いたくないと言う、一心である。 即ち、社会的な圧力に抵抗できず、その体制を支持すると言う事が、行われたからこそ 支持率99%なのである。 また、民主主義も同様で、戦後のGHQによる、明らかな 誘導があったからこそ、日本人は、民主主義を抵抗なく甘受したのだろう。 つまり世論と言うのは、正邪を判断するのでなく、利害あるいは、防衛本能による ものが大半であり、結果として、正しいとは言えない、結論を導く危険性の方が 多いのである。 <2> 民主主義政治の場合、近視眼的に見ると、世論に迎合せざるを得ない。つまり、 選挙がある為である。自らの利害(目先の利益)を考えると、個人にしろ党にしろ 選挙民にとって、誰を、あるいは、どの党を選ぶ方が、自らの利益に反映するか、 が問題視されてしまう為に、被選挙人は、その世論を無視できないのである。 世論が、偏向性の高い場合は、その偏向に気付いていても、その事に触れることは 落選に結びつく可能性が高い、結果として、組織票を持った、政党や個人は、浮動票の 取り込みを左程、考えずに済む為に、迎合する必要が減少し、結果、目先の利益誘導 せずに済むと言う側面を、併せ持つ、公明党が、世論に迎合せずに主張を続けられる のは、その組織力による。ただし、その組織に対する、何らかの利益誘導が為される 可能性は無いとは言えず、結果として、世論迎合せずに済む分、その他の組織に対して 利益誘導せざるを得ない事になる。 つまり、世論迎合は何らかの形で、民主主義を 腐敗させる結果となる。 この様に、世論が議員に圧力を与える可能性は、多大であるから、逆に、為政者は、自らに都合よく その世論を誘導する。誘導された世論は、最早、公平な判断が出来ずに、結果として、間違った方向に 社会を牽引する。 郵政民営化も、この誘導により、国民の大半が、その判断を誤ったのである。 郵政と言う、通信の根幹を、民営化すると言う、愚を行政改革の中心と思わせた、政府の勝利である。 郵政民営化については、後日詳細に、その是非を論じる事にする。結論を申し上げる。 世論は誘導されやすい、結果として、その世論に迎合した様に見せつつ、その実、その世論を、 作り上げているのは為政者であると言う事は、民主主義が機能していないと言う事になる。 民主主義の振りをして、独裁者が、その責任を個人で担保するのに対して、民主主義の為政者は、 国民の世論により、選出された代議士が決定したと言う、事を言い訳に使える分、無責任でいられる この様に、民主主義が、殆ど愚昧な、誘導されやすい世論の上に存在する事が理解できたと、 結論する。 (3)は後日記する事とする |




