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BIENVENU 海山ヒロの我が家へようこそ
旅写真日記「バルト三国・243名様歌唱の旅」連載中。

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確かにこれは、愛の物語なのだろう。

人間以外の生き物になった事がないので、そしてもし前世とやらがあったとして、そこで人間以外だったとしても覚えていないので、これは想像でしかないのだけれど。
この映画の題名、超越されることに恐怖するのは、人間だけだと思う。

他の生物も人間と同様に、未知のモノに怯える。
けれどそれは、未知のものが「安全」なのか、もっと言ってしまえば自分を攻撃し、殺し、食うかどうかわからないからだ。

相手がたとえ自分を喰らう天敵であっても、それが既知の物ならば対処できる。逃げるなり、かなわないまでも攻撃するなり選べるのだ。知らないモノには対処しようがない。
だから怯え、最大限の警戒をもってあたり、逃げるか、正体を探るかする。
生き残るために。

厄介な事に我々人間には、その本能だけではなく、己の身を滅ぼしかねない想像力もある。そして今まで先祖が営々と積み上げていた、記憶と記録が。
だから未知であり、かつ自分より、自分たちよりも「勝って」いるかもしれない、自分達を超越してしまうかもしれない存在が、自分たちに何をするか想像して、勝手に怖がるのだ。

何故なら自分たちがそれまで一番と思っていたから。
「霊長類の頂点」なんぞという馬鹿馬鹿しい言葉で自らを表現し、この地球上、そしていまでは宇宙にまで手を伸ばし、そこにあるなんでも、そう。なんでもだ。好きなように使ってきたから。不必要なほどに。
そんな権利なんて、誰からも「与えられて」いなかったのに。

そしてそのやり放題を、それが本当にヒトに備わっているかいまだにわからないけれど、良心とやらをちくちくと刺してくるのに対処する為、大文字のG、「神」を作った。
「君達は私の似姿、全てのものを生んだ私の愛し子。私が生んだ万物の頂点、だから全てを使っていいのだよ」と言ってもらうために。
異論はもちろんあるだろうし、あってもわたしは気にしない。

まぁそんな風に好き放題、やりたい放題していたところに。
もし。
自分達を「超越」するものが現れたとしたら?

そう考えれば、この映画で人工知能と融合し、万物を再生、進化させられるようになったNEWウィル博士を攻撃した彼らの心が判るだろう。
つまり彼らのしたことは、生き残るための闘い。万物のトップでいつづける為の、「現状維持」の為の闘い。自分たちのニッチを守るためにした事だと考えるならば、人以外の生き物がやっている事と何ら変わりはない。

だから悲劇と捉える必要もなければ、正義の、「人類のための」と高らかに宣言する必要もない。

ネタバレになってしまうが、いいだろう。

NEWウィル博士が映画の最後ごろ言っていたように、彼は本当に、妻が目指していた世界、環境破壊のない、クリーンな、誰もが、ヒトと地球を含めたすべての生き物が幸せになれる世界を作ろうとしていたのかもしれない。
そしておそらくそれは、彼の再生・進化能力をもってすれば実現しただろう。

しかしそれは、彼を止めた人々は嫌だったのだ。

何故なら自分たちがどうあがいても出来そうにない事を、出来る存在を受け入れることだから。
自分たちヒトが、自分たちが作ったもの・コンピューターの下位に甘んじることだと、認識したから。
彼らにとっては、地球が「良くなる」ことよりも、自分たちが「トップの地位」から転がり落ちないことの方が、重要だったから。

あぁ何とも生き物らしい。
嫌になるほど。

****

なんだか映画の内容そのものよりも、厭世的な事ばかり書いているようなので、最後に出演者について語るとしよう。

ウィル博士を演じたのは、御存知ジョニー・デップ。
今回はコスチュームもギークもなし。眼鏡をかけてはいるが、ほぼ素のままの彼である。
あ〜、タトゥーはメイクで消しているかもしれない。
顔立ちの整った彼だから、ちょっと感情表現の下手そうな、あまり人と話したがらない天才博士役も、その後AIと融合したNEW博士役も、良く似合っている。
そして困惑した様な、ちょっと悲しそうな顔は、彼の出世作である『シザーハンズ』を思い出させた。

彼の親友にして、彼が「再生」するのに一役買ったマックス博士には、ポール・ベタニー。
ポール・ベタニーは『ダ・ヴィンチ・コード』でアルビノの殺し屋・サイラスを鮮烈に演じた素晴らしい役者さんだが、彼はまた人間以外の役も素晴らしい。『アイアンマン』ではジャービス(AIの執事)の声を担当していたし、その後はインフィニティストーンの力でジャービスが進化したウルトロンを演じている。

そんな彼の役・マックスはこの物語中、最も可哀そうなものであるとわたしは考えるが、あなたはどうだろう?
マックスはテロの犠牲になり、ポロメリアで死にゆこうとしている親友を助けたいと、その妻エブリンの願いを叶えてあげようとしただけ。
そしてたぶん、不幸にもと言うべきなのだろう。彼にはそれができた。出来てしまった。
そしてそのせいで、ある意味「世界の終り」を招いた。

ポール・ベタニーもジョニー・デップと同じく犬顔だと思うのだが、彼の場合は見捨てられた子犬の顔ではなく、顔をくしゃくしゃにして泣く顔がこちらの胸を締めつけてくるけれど、よく似合っている。
もっと幸せな役をと思ったけれど、別にリアルでは幸せそうだから良いか。

そして最後は、彼らの恩師・ジョセフ役のモーガン・フリーマン。
彼は何だかこんな役ばかりしている気がするのは、わたしだけであろうか。
「こんな役」とはつまり、主人公たちの先駆者でありメンターであったけれど、いまは越えられ、その行く末を呆然と見るしかできない役、である。
映画を見ながら、スカーレット・ヨハンセンが主演した『ルーシー』の教授と役どころに似ているなと思った。
彼の深淵を見通すような、静かな目がそんな役を呼び寄せるのだろうか。

妻のエブリン役の彼女や、マックスを誘拐した元インターのテロリストの彼女については、あまり好きなタイプではなかったし、知らないからいいや。

ともかくこの映画は考えれば考えるほど深みにはまり、「ヒトってなんだ」なんて答えの出ない問いに行き着いてしまいそうな作品である。
興味深く、考えさせられ、感動すらするだろうけれど、ジョニーやポール、モーガン・フリーマンの知名度を持ってしても「売れ」なかったんだろうなと思う映画であった。


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