長文書く用のブログ

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以前、経験則を絶対視することは危険だと書きました。
今回は、そことちょっと関わる”カテゴライズ”のお話です。

人は誰しも、万物を何かしらの”括り”の中に入れ込もうとします。
ネズミなら動物とか哺乳類、鉛筆があれば筆記用具と括るでしょう。この括ることを、カテゴライズといいます。カテゴリーに分けるからカテゴライズ。

人はこのカテゴライズにより、物事を分かりやすく捉え、整理することが出来ています。この能力が無ければ、頭に入る情報の整理が大変な事は想像に難くありません。デジカメで撮った写真は、数が増えてくれば増えてくるほど、ある程度フォルダー分けしないと、写真を探すとき大変ですよね。私たち人は、こういった個別の情報に、カテゴリーを付加することで、非常に整理整頓が出来ているわけです。
先ほどの例の写真なんかでは、タグ付け一つするだけで、検索する際に非常に楽になりますよね。そういうことです。

しかし、このカテゴライズは、時として、偏見に繋がってしまいます。
以前話したマーフィーの法則ですが、これは経験則が記憶に印象づき、この経験則を補足する記憶が積み重なっていくため起こることだと書きました。(確証バイアスとセレクティブメモリ)
これが例えば、自転車に乗った中年女性はマナーが悪い、という経験則が補強されていくとしたら、問答無用で、”自転車に乗った中年女性”というだけで嫌悪感や猜疑心を抱くことでしょう。しかしこれは、あるカテゴリーに該当するだけで考えなしに拒絶反応を示すことであり、社会性を築く人間としては、とても面倒くさい性質といえるでしょう。
恐らく、自然界においては、危険、不快感と言った感情を示すものをカテゴライズして記憶することで、効率よく危機や面倒ごとを回避することに繋がっていたのでしょうが、社会性が現代のレベルまで高くなると、この機能も一概にいいとも言えなくなります。

例えば、熱狂的なジャニーズ好きを表す”ジャニオタ”なんかは、”パーナさん騒動”(パーナはジャニーズユニットNEWSのファンの意)に代表されるようなモラルの低さのイメージがまとわりつき、そういったイメージをもつ人の前で「私はジャニーズのファンです」と言ったら、あまりいい顔は中々されないかもしれません。
このように、カテゴライズによるイメージの固定化とそれに該当する対象への拒絶反応というのは、人と人とのコミュニケーションを阻害することに成り得るのです。

別な例を出すと、『電車男』がヒットした直後はオタクのイメージは美少女フィギュアにドはまりするシャツインのダサいやつ、といったいかにもで想像し易い”ステレオタイプ”のイメージが流布し、それに拒否反応を示す人も多かったことでしょう。

しかし、現実のコミュニケーションでは、カテゴライズはそこまでコミュニケーションの阻害になっているようにも思えないと、私は感じます。
何故なら、人と人とのコミュニケーションの場合、カテゴライズによるイメージ以外の情報が豊富に得られる機会が多いためです。ジャニオタってカミングアウトしてきた女性でも、良識のありそうな女性と話していれば、少なくともその女性の前ではカテゴライズによるイメージなんて全く意味が無いことだと分かるでしょうし、もっと言えば、同性愛をカミングアウトされた場合でも、その人のことをよく知ろうと思えば、巷で笑い話やギャグのつまみにされる同性愛と如何に乖離しているか分かり、ここでもカテゴライズによる偏見というのは薄まると思います。

ただ、その一方で、インターネット上のコミュニケーションは別です。インターネット上のコミュニケーションの場合、多くは相手の人柄が見えませから、その人が特定の考えや趣向に至るバックグラウンドや、日ごろの行いなんかは全く分かりません。
そんな状態だと、その人を判断する場合に、カテゴライズによるフィルター(=偏見)が大きなウェイトを占めてしまうケースも少なくないように思えます。
特に、匿名掲示板はその最たる例で、書き込みの内容で書き込みそのものをふるい分けしていることでしょう。

そして、そういった空間でカテゴライズを繰り返すと、確証バイアスはどんどんと強まっていきます。先述の一般良識のあるジャニーズファンのような、経験則を薄めさせてくれるような機会を得ることが非常に難しいから、当然です。
なので、そうならないためにも、匿名の世界とはいえ、書き込み一つ一つに、向こう側に、自分の想像しているようなステレオタイプではない、そんな偏見では語りきれない膨大な時間を過ごしてきた人間がいるのだという前提を忘れてはいけません。

また、カテゴライズして強まる経験則は、やはり自身で疑っていくことも大事です。
人間の脳にはこういう仕組みがあるんだ、と理解していれば、それがあるレベルのセーフティになるはずです。
私はインターネット上の言論というものにそれなりに目を通しているつもりですが、お互いカテゴライズによる偏見で不毛な論争になっているのを散見します。
インターネットがそれらの論争がもう少し目立たない空間になるよう、祈らずにはいられません。

まとめ
・カテゴライズは人間の効率のいい情報処理能力
・しかし偏見に繋がり他人とのコミュニケーションを阻害する
・ことインターネット上ではそれが顕著
・自身の偏見を疑うこと、ネット上の言葉は向こう側に人がいることを頭に入れておく

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