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一,奥之院三宝摩利支真天と家康公の光明勝栗
光明山の摩利支天は古くから厄難除けとして、又戦の守護神として各武将の敬信と庇護を受け、延暦年間に坂上田村磨公南北朝時代の宗良親王等が戦勝の祈願に参篭していました。
戦国時代に入って今川義元公も深く帰依、又徳川家康公とは甲州武田勝頼が当山に陣を構え浜松城を攻めんと企てた際、当時の住職高継和尚が遣いを浜松城に発し、家康は一挙に武田勢を追討しました。これが赤豆坂の合戦と呼ばれるものです。
その後、高継和尚は乾栗を呈して戦の労を慰め、家康公これを光明乾栗則ち功名勝繰の兆候と大いに喜び奥之院に天下太平の祈願をし、その後高継和尚を伏見城に呼び、出陣の際自らの兜の内に入れて守神とした弘法大師作一寸二分丈の摩利支天像を光明山奥之院に合祀するように命じました。
そして光明山を徳川家代々の祈願所とするよう朱印を賜り、以後徳川歴代将軍の手厚い保護を受けることになりました。
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