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自由主義史観研究会の『教科書が教えない歴史』執筆者の「『祖国と青年』(日本青年協議会)」関係一覧表を作成した。(全敬称略)

産経新聞に連載していた『教科書が教えない歴史』執筆者81人の内、1/3以上の30人が、日本青年協議会(日本会議の事務局組織)の機関誌『祖国と青年』に執筆していた。
教師が多いが、おそらく右翼教師会である日本教師会や日本教育研究所などの参加者であろうと思われる。「日本教育研究所」や「日本文化研究所」は、日青協が造った組織であり、入川智紀、多久善郎が「日本教育研究所」の一員であったことが判明している。

また『教科書が教えない歴史』の執筆者紹介覧で、「団体職員」と書かれていた人物たちに対しても調査してみた。
解説はいずれ詳しくしたいが、自由主義史観研究会が唱えていた「右でも左でもない」がまったくの誤魔化しであったことがよく分かる。


『教科書が教えない歴史』執筆者の「『祖国と青年』(日本青年協議会)」関係一覧表
名前(職業・所属等)
著作した『教科書が教えない歴史』の巻数
『祖国と青年』登場数(登場初年)
あ行
占部賢志(福岡県教諭)
1、2、3、4
7(1992~)
小笠原幹夫(作陽音楽大学)
1、2、3、4
上原卓(元千葉県校長)
1、2、4
1(1995-12)
安藤豊(北海道教育大学)
1、2、3、4
安達弘(横浜市教諭)
1、2、3、4
入川智紀(日本教育研究所)
1、2、3、4
7 (1995-6~)
上杉千年(歴史教科書研究)
1、
2 (1991~)
江崎圭伊子(川崎市教諭)
1、
1 (2000-3)
打越孝明(大倉精神文化研究所)
1、2、
7 (1996~)
小笠原直美(主婦)
1、
入川ひとみ
1、4
占部暢子
1、
稲田朋美(弁護士)
赤野達也(大阪市教諭)
2、3、4
小川毅(埼玉県教諭)
2、4
井上宝護(広島県教諭)
2、
江間史明(山形大学)
上島嘉郎(雑誌編集者)
越智美香子(元教諭)
3、
小長根久雄(仙台市教諭)
3、
2 (1980~)
石井信博(日本大学学生)
3、4
奥村明美(フリーライター)
3、
浅井しのぶ(東京都教諭)
越智薫(東京都教諭)
15 (1985-8~)
つづきは

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宮尾登美子は岩伍覚書』で、女衒のセリフを

・・・・一時は根絶やしかと思わましたもぐりの業者が近頃ではまたおおっぴろげに横行しはじめ、あこぎな方法で軍隊の慰安婦を狩りだしているやに聞き及びます。
『宮尾登美子全集』「岩伍覚書」p90〜p91)
書いている。

これは文学作品だが宮尾の父親は、高知県の芸妓娼妓紹介業者であり、エッセイではその父親への反発と共に稼業の内幕も書き残している。

『生きてゆく力』によると

 「父が亡くなったのは昭和26年・・・(父の書いていた)日記は昭和11年から14年間、1日もかかさず天候気温、来信発信まで克明につけてあり、驚いたことにはその14冊の余白という余白に、赤インクでびっしりと感想を書きなぐってある。この赤字はすべて戦後書いたもの」「(それは)悉く戦争を推進した日本の首脳部に対する恐ろしいまでの憤激と、自分自身への深い悔恨の思いからだった。このひと、女の身売りは親兄弟への最高の献身愛、と信じ、大正の中ごろ、その善行を助けるため、として芸妓娼妓紹介業の看板を掲げ、以来、家業を嫌う娘の反抗もものかは、ひたすら家業に励んできたのだった。とくに戦争酣のころは、大陸の戦士を慰労するため多くの女性を送り出し、また自らもたびた び出向いては意気軒昂たる姿だったのを娘は目にやきつけている。そして思いもかけぬ敗戦。日本のあらゆる価値基準は逆転したり消去したりのなかで、親孝行の介助行為が実は残忍な人身売買という行為であったと知ったときのこのひとの衝撃は、いかばかりであったろう。赤字の文章は至るところに『己の愚かさよ。東条英機に騙されて』或いは『軍部に踊らされて』などの文字が行間から怒りが噴出するほどの激しさで記されてある。明治生まれの無学な男だっただけに、己れの過ちはいかにしても許せなかったにちがいない」(p192〜193)


「戦争のころは、大陸の戦士を慰労するため多くの女性を送り出し、また自らもたびた び出向いては意気軒昂たる姿だったのを娘は目にやきつけている。」

『めぐる季節を生きて』(講談社)によると

「戦前、芸妓の紹介人が人助けであると胸を張り、大いばりで仕事に精出ししていたものが、終戦を境に人身売買の残酷な職業に下落してしまったその憤ろしさを、父は(遺品の)ノートにめんめんと書き綴ってあった。無学な人間だったから、国家体制にひたすら協力し、戦争中は外地へ女たちを送ってお国のためと自己満足していたのに、戦後すべてが暴かれてみると、いかに自分が軍部にだまされ踊らされていたか、口惜しさ限りない思いであったに違いない」(p239)
「私の家で、満州と取引がはじまったのは昭和11、2年ごろからで、父はしょっちゅう、たくさんの女たちを送り出し、また向うからも、保養を兼ねて女たちの雇入れに来ていたものだった。大連、奉天、新京、吉林、ハルビンが主な取引先で、その妓楼の楼主たちは、札束をふところにしてやって来、いく月も滞在しては命の洗濯をしてまた向うへ帰ってゆく」(p268)

と書いている。
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「私の家で、満州と取引がはじまったのは昭和11、2年ごろからで、父はしょっちゅう、たくさんの女たちを送り出し・・・」


宮尾の著作には、国粋主義的な父親への反発とか、いろんな要素が書かれている。戦争中は、羽振りもよく「胸を張り、大いばりで仕事に精出ししていた」女衒の父親が、敗戦後は「(東条たちへの)憤激と、自分自身への深い悔恨」に変化し、それまで毛嫌いしていた”西欧的なるもの”を受け入れるようになった。世の中の価値観が大きく変化し、頑固な国粋主義者も変化したのである。
そう言えば、戦前の遊郭業者は、売春を「我が国体」と呼んでいたり、廃娼運動家を右翼を雇って潰そうとしたようだがhttps://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64489695.html遊郭に関わる多くの人達の価値観は「国粋主義、日本主義」だったのだろうと思う。


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慰安婦資料としてあまり引用されたのを見たことがないが『鴨緑江に題す』(中原 雄一)という本がある。(たぶん引用したのは高崎宗司の『植民地朝鮮の日本人』(p182)ぐらいだろう)
熊本県退職警察官の機関誌『あけぼの』に昭和38年から長期連載したものをまとめたものだ。
著者は、国境警察官として鴨緑江の北朝鮮側に配属される。
元警察官の機関誌に掲載されていただけあって、かなりキレイ事で書いている感があるのだが、その中に「慰安婦募集に微力を致す」という小見出しがある。
「北支方面に江界美人を、皇軍慰安婦として引率活躍、要員を募集するため隅々厚昌邑内に帰省した「軍属」金原始彦と面接の機会を得たが、兵隊のおかげで活躍できる事思いを致すとき、一人でも多くの娘子軍を集め、戦力増強に寄与しなければと覇気満々たるものがあり、彼の壮行を祝福した。変な処でも聖戦完遂に添える道がある事を認識、改めて半島人女性の挺身をより多くと、陰ながら応援した鴨緑江解氷前後の日々が偲ばれる。」と書かれている。
さて情報を整理すると

①北支方面に皇軍慰安婦を連れていく業者がいたということ。故郷周辺から女性を連れては慰安所に送りこんでいたのであろう。

②「帰省」と書いているので、金原始彦はおそらく朝鮮半島出身者だが、「軍属」であったということ
「軍属」が軍の意思に従って女性を集めたのである。
(▼業者は「軍属」または「軍従属者」であった https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65462350.html

③対して警察官の筆者は彼を応援し、「より多く」集めることを願った、ということ。
「聖戦完遂」が絶対の価値観のように叫ばれていた時代なので、全てはそのために正統化されており、文章からもそれが読み取れる。

④女性を慰安婦にすることを「半島人女性の挺身を」と表現している事。これは当時の人々が「挺身」という言葉と「慰安婦」を結びつけていた事を示している。
(▼これについてはすでにここでhttps://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/65237164.html


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Z

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一部の人々は、菅野完を日本会議研究の権威のように見なしています。当会は、菅野の様々な発言、著作『日本会議の研究』も併せて、菅野には多くのデタラメがあることを指摘して来ました。その後、菅野には準強姦裁判が起こされ支持者は減少しましたが、現在でも騙される人が多いようです。
菅野の主張に関しては山崎雅弘のこの指摘が的確だと思います。

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              【再掲】菅野完のデタラメの考察


菅野完の『日本会議の研究』には、日本会議の裏方に、谷口雅春(生長の家創始者)の影響を受けた人物たちが暗躍している事を世間の人に、分かり易く示した・・・という功績がありました。その点に関してはなかなかの勉強ぶりだったと思います。
しかし、神社の日本会議への関わり方などについては、おそらく菅野氏自身の内面の理由により、かなりデタラメな発言をメディアやツイッター等で繰り返しています。
そこで問題点を指摘しておきましょう。




               1、 菅野完の発言内容

まずこの動画を見てみましょう。
菅野が、デモクラTVに出演した際の発言です。

    (デモクラTV 6月23日https://www.youtube.com/watch?v=SDD7J4t_deU

4:50〜5:50

「僕たちが宗教リテラシーが低いので、日本会議と言えばすぐに神社本庁とか言いたがるんですが、僕ね、神社本庁本丸論が大嫌いで、神社本庁てほんとう弱いんですよ、人いないんですよ。そもそも。で、お金も無いんですよ。明治神宮は金はある。靖国神社は金はありますけど、明治神宮は御存じのように神社本庁とケンカしたりしますし。まず日本会議を見る時に注意しなければいけない。あるいは右派運動を見る時に注意しなければいけないのは、中央に何か宗教的な情熱を持っているおどろおどろしいおじさんたちがいて、その人達が運動を差配しているというようなイメージはまづ頭から消しさらないと何が起こっているかわからない。」

7:18〜7:40

「神道政治連盟て、神社本庁とイコールかというとイコールではないし」
  「あ、そうなんですか?」
全然、違います。」
   「そうなの?」
「で、力があるかと言ったら、自民党の人がほぼ全員入っています。ほぼ全員入っているということはすなわち何でもないって言うことです。」


さらに、ツイッターではこんな事を述べています。

日本の有権者は右傾化なんかしてない


菅野ツイッターは現在凍結されているので、彼のTWIIOGから画像を掲載しておきます。
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「国家神道の復活を目指す連中がいる」「神社本庁が運動の中核にいる」とする考え方は間違っている。


神社勢力が改憲運動の中心にいるとさえ思わない

菅野ツイッターは現在凍結されているので、彼のTWIIOGから画像を掲載しておきます。

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山崎雅弘は、思い込みで取材をはじめ、現場に行かず、事実よりもストーリーを優先し、陰謀論に陥っている。

菅野ツイッターは現在凍結されているので、彼のTWIIOGから画像を掲載しておきます。
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このほとんど全てが、デタラメな事実関係と理屈を述べている。
一つずつ検証します。


                2、 検 証 その1

まずは、②の
「神道政治連盟て、神社本庁とイコールかというとイコールではない」

「全然、違います。」

という発言について。

神道政治連盟は、神社本庁が造った組織であり、ほとんど一体です。

菅野のお友達である宗教学の塚田 穂高(国学院)も、その著作の脚注にこう書いています。


(赤線は当「河野談話を守る会のブログ」による)

                                                        『宗教と政治の転轍点』  p68 
                                                                                          ↓
 
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なお設立時から「私共は本庁と不離一体となり」(上杉一枝発起人代表・会長)とされ[神政連十年史編輯委員会 編一九七九一九]、その後も主張・方針・人員・施設等に一体性があることから、本書では[神社本庁=神道政治連盟]と表記することをことわっておく。
(『宗教と政治の転轍点』  p68 )

と書いている。

つまり、塚田は「主張・方針・人員・施設等に一体性があるから神社本庁=神道政治連盟」としているわけです。

神道政治連盟は神社本庁評議委員会が満場一致で可決して造りました。
神道政治連盟組織準備委員会は、林神社本庁事務長が委員長になり、1969年の9月には上杉一枝氏が神道政治連盟設立発起人代表になりました。上杉一枝氏は、11月8日の設立総会の時に神道政治連盟の初代会長に就任し、記者会見を開いて上で塚田氏が書いているように、「私共は本庁と不離一体となり神社界が背負っているこのような問題の内、政治的なものを一つ一つ解決し・・・」と語っているのです。

2006年には、宮崎義敬神道政治連盟会長がやはり、「・・神道政治連盟は神社本庁と表裏一体の関係である。」「神社本庁が表で、神道政治連盟は裏方を務める・・」と話しています。
またインタビューに答えて、その事務局が神社本庁にあるとも述べています(『神社新報』2006年6月19日

地方の場合、神政連の地方支部はたいていは、その地方の神社庁に置かれています。例えば、神政連石川県本部,の住所は 「金沢市小坂町西44,」ですが、http://www.sinseiren.org/shinseirentoha/shinseirenntoha.htmそこは石川県神社庁の所在地ですhttp://www.ishikawa-jinjacho.or.jp/about/index.html神社庁は神社本庁の地方出先機関であり、神政連の支部は神社庁よって運営されています。京都では京都神社庁のホームページのトップに神道政治連盟と日本会議が飾られていますhttp://www.kyoto-jinjacho.or.jp/。ここも神社庁の住所[京都市西京区嵐山朝月町68-8]がそのまま神政連支部の住所となっていますhttp://shinseiren-kyoto.jp/%E7%A5%9E%E9%81%93%E6%94%BF%E6%B2%BB%E9%80%A3%E7%9B%9F%E3%81%A8%E3%81%AF/また神政連を説明して神政連は、神社本庁内に中央本部を置いており・・」と書いています。


つまり、神道政治連盟は神社本庁が造り、本部が神社本庁内にあり、地方でも一体化しており、その会長たちが「不離一体」「表裏一体」と述べており、宗教学者も「一体である」と書いているものを菅野完は、「全然、違います。」と断言してしまったのです。

これは有り得ないことでしょう。
私たちは普通、自分のよく知らないことについては黙して話さないのではないでしょうか?
よく知らないことでも話したい時もありますがそういう時には「・・・ではないかと思う」などの曖昧な表現になると思います。

しかし、ここでは菅野はまるで自分がその方面の権威のように断定口調で、他の意見を押さえつけるように語っています。
自分がよく知らないことを断言してしまうのは、ハッタリ屋さんか、嘘つきというしかありません。


               菅野完と塚田 穂高の関係

ちなみに菅野は『日本会議の研究』の巻末文献リストで「特記資料」(!)として、塚田 穂高氏の宗教と政治の転轍点について書いていますから、これを読んでいるはずなのです。

塚田も喜んでこうツイートしています。(これを菅野もRTしています)


つまり、菅野完は塚田の著作を読んでいるはずなのに、なぜかそれは無視して、
「神道政治連盟て、神社本庁とイコールかというとイコールではないし」
「全然、違います。」
と述べているわけです。
まともに読んでいないということなのでしょうか?
もしくは異論があるのかも知れませんが、異論があるなら、きちんと論拠を述べなければなりません。何も根拠を示さないで断言するところに、ネトウヨとよく似た部分を見出してしまいます。

この二人は大変仲がよくて菅野はしばしば塚田 穂高のツイートをRT(リツイート)し、また対談もしているのです。



ではなぜ、菅野は「神社本庁と神道政治連盟の一体性」を否定したのでしょうか?
それは冒頭の山崎雅弘の指摘にあるように、菅野自身が天皇を崇拝し、「国体思想」に共鳴している右翼だからです。
いわば、神道の信者さんなわけです。

そこでできるだけ、神社界には批判が及ばないように努力しているのでしょう。
これは昔、西尾幹ニの『保守の怒り』を読んだ時にも感じたことですが、日本会議は批判しても、神社本庁への批判は、保守には不可能のようです。それは彼ら自身が多かれ、少なかれ神道の信者さんだからでしょう。


【ウンチク】

上杉一枝の息子はやはり宮司となった上杉千郷と高校教師となった上杉千年(ちとし)です。上杉千年は慰安婦問題に関係している人物です。1993年のごく初期にその著作『検証・従軍慰安婦』で吉田清治否定と慰安婦問題否定論を結びつけた人であり、その理屈は秦郁彦や小林よしのりに影響を与えており、広く右派に拡散しています。

当ブログが、上杉一枝について調査したのも、上杉千年の慰安婦論の調査をキッカケとしています。南京事件否定論や慰安婦否定論などの歴史修正主義に神社勢力はこれまで主体的な役割を果たして来ましたので、その流れを知る必要があったからです。

                 ↓ につづく
神道政治連盟・神社庁の所在地・電話番号一覧表




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萩生田光一特集1


萩生田副官房長官時代記者会見)
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           萩生田光一特集 1

これは2014年9月号『文芸春秋』紙上での萩生田、秦郁彦、櫻井よしこの香ばしい対談
3年前、萩生田のこの発言を読んだ時、政治家はバカだと確信した。
『河野談話』に「強制連行」という文言が無いことぐらい、読めばすぐに分かることだ。
読めばすぐ分かることを知らなかったという事は、自民党の中で、『河野談話』攻撃の急先鋒だった萩生田さえ、『河野談話』をロクに読んでいなかったという事が分かる。
副官房長官時代、まるで慰安婦問題に熱意の無い菅官房長官に代わって、記者会見を引き受けていた萩生田だが、こんなレベルだったわけだ。これには驚いた。
こんな連中が『河野談話』を攻撃し、河野洋平を国会に呼ぼうとしたり、「慰安婦」問題自体を否定していたのである。
そして慰安婦のメモリアルを残そうとする他国にも攻撃的になっているのである。

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我々は、自民党の政治家たちに関して、考え方を変える必要がある。
彼らは、声が大きいだけの幼児である。自己顕示欲が肥大化し権力はあっても、知的能力は子供だと考えた方がいい。

『河野談話』に「強制連行」の文言が無いことさえ把握できないような連中を相手にまともな論争などできる訳がない。












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