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現在九州新幹線と言いますと、山陽新幹線に乗り入れます、九州新幹線内では途中熊本・博多駅しか停車しない速達列車であります「みずほ」、九州新幹線内及び山陽新幹線直通でも運行されております「さくら」、そして九州新幹線内を運行します各駅停車の「つばめ」の3系統が運行されておりまして、それぞれの系統の姿が見られております。 使用車両も、ご覧の皆様もご存知のように、九州新幹線内及び山陽新幹線に乗り入れます画像1・最後の画像のN700系新幹線電車、そして画像2にもあります新八代〜鹿児島中央間の部分開通時より運行されております800系新幹線電車の2種類が運行されております。 3月17日改正の時刻表より引用しました、現在の時刻表の一部であります。画像は「みずほ」・「さくら」・「つばめ」の各時刻の姿が見られますが、九州新幹線内熊本駅しか停車しない「みずほ」、鹿児島中央〜熊本間各駅停車の「さくら」、全駅各駅停車の「つばめ」の姿が見られるのがお分かりいただけるのではないかと思います。このうち、画像にはありませんが「さくら」に関しましては「みずほ」が運行されない時間帯は途中川内・熊本・久留米・新鳥栖各駅にしか停車しない系統も存在しております。 (ちなみに画像の「さくら544号」は新大牟田駅にも停車します) さて、今回ご紹介しますのは、新八代〜鹿児島中央間部分開通時より運行されております800系新幹線電車のみで運行されていた頃に存在しておりました鹿児島中央駅の時刻表でありますが、現在では見られない姿もありましたのでご紹介してまいります。 この撮影は平成22年に鹿児島に訪問した時のものでありましたが、部分開通時は元々「つばめ」のみしか運行されていない頃でもありまして、新八代駅において博多駅発着(一部門司港駅発)の「リレーつばめ」に接続していた頃でもありました。 そのため、当時の発車標では新幹線としては新八代駅までしか運行されていなくても、「博多」と表示されておりまして、これら列車とも「つばめ」と「リレーつばめ」とが一体化していた事もお分かりいただけるのではないかと思います。やはり、この姿を見ましてもこの時に既に博多駅まで新幹線がつながっていたのかな?と思う所でもありましたけどね。 ちなみに、番外でもご紹介しましたように、博多〜新八代駅間の「リレーつばめ」の停車駅、また使用車両の787系電車でも行先は「鹿児島中央」と表示されておりました。この場合でも博多〜新八代間しか運行されなくても、鹿児島まで行くような感じが伺えていたのが懐かしい所でもあったでしょうか。 そして、画像4の時刻表をアップしました姿が画像の姿であります。この時刻を見ましても、途中新八代〜鹿児島中央間の新水俣・出水・川内各駅に停車する各停系統あれば(無印)、矢印(→)で表示されている新水俣・出水各駅を通過する系統(青印)、そして途中駅を停車しない最速の系統(赤印)もあるなど、「つばめ」の中にもこう言った系統があった事がお分かりいただけるのではないかと思います(尚、時刻表では新水俣駅は表示されていません)。 ((博多→)新八代→鹿児島中央) (鹿児島中央→新八代(→博多)) この列車のうち、私自身以前新八代→鹿児島中央間ノンストップ便に乗車した事がありましたが、やはり途中の3駅に停車しないと言う系統は上の画像の赤印の1往復しかなかった訳でもありますので、まさにこの時ならではな姿が良かったようにも思いますし、速達便としての役割を果たしていたのが懐かしい所でもありました。 冒頭でも述べておりましたように、現在、画像の時刻にもありますように、この「つばめ」自体は九州新幹線内・山陽新幹線(〜小倉間)の各駅停車として運行されるのみとなっておりまして、途中駅通過列車としての役割は果たしておりません。それほど、現在は他の「さくら」・「みずほ」に受け継いでいる訳でもありますが、かつて部分開通時が「つばめ」しか存在していなかった事を思いますと、わからなくはなかったのではないかと思ってならない所ではありますけどね。
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アーカイブス(鉄道)
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この延岡駅は、画像1のように現在建て替え工事が行われておりまして、画像2にあります旧駅舎とは大きく様変わりつつあります。また、この駅ビルは「エンクロス」と呼ばれる事になっておりまして、「TSUTAYA」などと言った店舗が春に開業予定となっておりますが、現時点で「TSUTAYA」などの開業は遅れているのが現状との事であります。 それでも、駅機能やコンビニの営業は既に行われておりまして、JR利用者には不自由がないようにはなっているようであります。やはり、駅機能まで乱れては利用者にも利用しにくいと言った動きも見えてしまいますからね。 さて、そんな延岡駅でありますが、実はかつてこの駅から高千穂まで結ぶ鉄道が平成20年まで存在しておりまして、この鉄道の名称は「高千穂鉄道」と言う鉄道事業者が存在しておりまして、建て替え工事前までは画像のような乗場跡さえ存在しておりました。 この高千穂鉄道は、平成元年にJR高千穂線から転換しました第3セクター鉄道でありまして、その前に国鉄時代が昭和62年までありましたが、それからJR九州として2年間保有しました後に、第3セクターの高千穂鉄道としまして19年間存在しておりました。 元々は、こちらも第3セクター鉄道となっております南阿蘇鉄道の前身であります、旧国鉄高森線と結ぶ予定でもあった訳でありますが、この区間も昭和50年に発生しました、現在は「高森湧水トンネル公園」となっております高森トンネルで発生しました異常出水事故や、その後の国鉄再建法の成立によりまして工事が凍結されてしまいまして、残念ながら双方の間を結ぶ事はできませんでした。したがって、結ぶ事ができなかった分、「盲腸線」と言う形となってしまっておりました。 その後、JR高千穂線から高千穂鉄道となりまして、後述のように国鉄時代から増発を行いまして、利用者の増加を図ったりもしておりましたが、平成17年に発生しました「台風14号」によりまして高千穂鉄道の各所で被害が発生した事から、以来高千穂鉄道全線で休止となりまして、運行再開を待っておりましたが、結局平成19年に運行再開を断念しまして、先に延岡〜槇峰(宮崎県日之影町)間が廃止となりまして、さらに翌平成20年暮れには被害が少なかった槇峰〜高千穂(高千穂町)間も廃止となりまして、結果全線が廃止となってしまったのでありました。 この廃止の理由も、以下画像の高千穂橋梁を含みます高千穂地区に関しましては被害は少なかった訳ではありましたが、延岡・北方・日之影地区に関しましては被害が多く、特に第一五ヶ瀬川橋梁・第二五ヶ瀬川橋梁と言った橋梁が流失するなど全線にわたって被害を受けた訳でもありますが、この復旧工事に関する費用も、宮崎県や沿線自治体が復旧費用の負担に難色を示した事もありまして、高千穂鉄道としての復旧・運行再開を断念し、結局全線廃止と言う流れとなっておりました。 (旧・高千穂〜天岩戸間) (高千穂橋梁) その後、廃止時に在籍しておりました9両もそれぞれの道を歩み始めまておりまして、トロッコ用でありましたTR−400形気動車に関しましては2両ともJR九州に譲渡されまして、以下画像のように「海幸山幸」用としてキハ125形400番台気動車に改番されまして運行されておりますし、TR−200形気動車201号が阿佐海岸鉄道に譲渡されまして、ASA−300形気動車301号として使用されております。 (キハ125形400番台気動車「海幸山幸」) 尚、それ以外の車両に関しましては、TR−100形気動車のTR−101・202に関しましては新たに開業しました「高千穂あまてらす鉄道」によりまして旧高千穂駅にて保存(101)・運転体験用の車両(202)として使用されまして、それ以外に関しましてはTR−104・105は日之影町の日之影温泉で列車ホテルとして静態保存されておりますが、TR−102・103に関しましては残念ながら解体されまして現在に至っております。 そんな廃止されてしまいました旧高千穂線でありますが、ここからは私が所蔵しております時刻表によりまして国鉄・JR・TRとしての時刻の変化をご紹介してまいりたいと思います。 まずは国鉄時代末期の昭和60年の時刻であります。 (南延岡・延岡→高千穂) (高千穂→延岡・南延岡) 当時は延岡〜高千穂間で上下各6本、延岡〜日ノ影間が上り1本・下り2本、高千穂〜日之影間が下り1本しか運行されておりませんでした。また、始終着としまして南延岡発着の列車が存在しておりましたが、当時は南延岡駅に機関区が存在しておりまして(現在はパチンコ屋となっている部分、NO.1624参照)、そこに所属しておりましたキハ20形気動車がTR化まで運行されておりました。また、当時は日ノ影駅にて車両の滞泊が行われておりまして、2列車が滞泊しておりました。 次は、JR化後の平成元年の時刻であります。 (南延岡・延岡→高千穂) (高千穂→延岡・南延岡) この時刻が、JR高千穂線としては最後の時刻となりましたが、JR末期の時点でも運行本数は変わっておりませんでした。それでも高千穂線の始発列車は日ノ影駅を4時49分と4時台にに発車しておりまして、先述の昭和60年からしますと10分は早くなっておりました。尚、車両はこちらも先述のようにキハ20形気動車が引き続き運行されておりました。 次は、TRとなりまして3年3ヵ月後であります平成4年7月の時刻であります。この時には、JR九州内では787系電車が登場しまして「つばめ」としてデビュー、キハ185系気動車の一部車両がJR四国から移籍しまして新たな特急「ゆふ」・「あそ」が登場したなど明るい話題もありましたこのダイヤ改正時でありましたが、この時の時刻が以下の時刻でありました。 (延岡→高千穂) (高千穂→延岡) また高千穂鉄道も、平成元年の転換時に新たに車庫を高千穂駅に新設しまして、結果全列車延岡〜高千穂間で運行されると言う流れになっておりました。また、運行本数も上り13本・上り14本と、JR末期の時点からしますと本数が倍に増えているのもお分かりいただけるのではないかと思います。 尚、時刻表にあります快速列車は、「たかちほ号」と呼ばれるパノラマカーでありましたTR−300形気動車が運行されていたものでありまして、現在はキハ125形400番台気動車となりました、平成15年導入のTR−400形気動車「トロッコ神楽号」が運行されるまで運行されておりましたが、その後未成線沿いにあります高千穂町内の酒造会社の施設において喫茶店として現在に至っております。 そして、運行休止1年前の平成16年の時刻であります。この時には、JR九州内では九州新幹線が新八代〜鹿児島中央駅間で開通した頃でありまして、南九州の観光もこれから盛んになって行く頃でもありましたこのダイヤ改正時でしたが、その時刻が以下画像であります。 (延岡→高千穂) (高千穂→延岡) 運行本数も、上り14本・下り15本となっておりまして、このうち上り1本・下り2本では先述の「トロッコ神楽号」が運行されておりました。本当にこの本数を見ましても、高千穂鉄道が沿線の足であった事が見ていて伺えるようでありました。 そして、翌年の災害に至る事になります。末期の時点でも上の画像の時刻とほぼ同一でありまして、国鉄・JR時代と比べましても倍にまで本数が変化しまして利用しやすくはなっていたのではないかと思いますが、自然災害によりましてこれが立ち消された事は残念でなりません。しかも、この鉄道も赤字であったようですが、JRの場合ならばもしかしたら再開できていたのかもしれなかったのが、様々な理由もありまして再開できなかったのが残念ではなかったでしょうか。 (北方地区廃線跡区間) 本当に、さかのぼってみましても悲しい末路ではなかったかと思います。もちろん、災害がなかったのであれば、現在も高千穂鉄道自体は存在していたのではないかとも思われますし、私も利用していた事でしょうか。現在、この廃止されました区間では以下画像のように宮崎交通の路線バスが本数自体も高千穂鉄道の休止前並みの本数で運行されておりますし、高千穂橋梁付近までは高千穂あまてらす鉄道が観光用としてトラックなどを改造した車で運行されておりまして、観光資源としての姿を見せております。 これからも、この高千穂鉄道廃止に関しましては残念ではありますが、これら路線バス・観光鉄道が地元沿線の足、及び観光の目玉として運行・利用していただきたいと思う所であります。
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去る10月31日より開催されておりました、「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」は、本日11月5日で今年の開催は終了しました。 今年の開催では、11月3日〜5日と3連休となった方もいらっしゃったようでもありますし、天候も比較的いい日もありまして、多くの方々がお越しになられていたようであります。ちなみに、私は仕事の都合もありまして残念ながら見る事ができませんでしたけどね(上の画像はスーパーひのくにさん提供画像で、掲載日11月5日撮影のものです)・・・ 所で、鉄道関係に関しましても、熊本車両センターからを中心に応援車両がやって来ておりまして、中には普段は鹿児島線鳥栖駅以降を中心に運行しております817系電車VN編成も応援にやって来ていたそうですし、唐津線の佐賀〜唐津方面に関しましても、11月2〜4日に「唐津くんち」も開催されていた事もありまして、やはり熊本車両センター所属のキハ40系気動車(キハ47形・キハ147形・キハ140形)も応援に来ていたそうであります。 さて、今回ご紹介しますのは、私が過去に収めておりました、「唐津くんち」・「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」応援のために運行されておりましたキハ58系気動車の話題であります。 キハ58系気動車は、当時操配用として使用されておりました車両、さらには当時急行列車としても使用されていた車両も応援に入っておりまして、当時の筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター(博多運用)・熊本運転所所属の車両が入っておりました。さらに平成5年から平成22年までは他にもDE10形+14系客車を使用しました、「唐津くんちホテルトレイン」が運行されていたりと、今と比べましても大変にぎわっていた応援・臨時列車の姿だったのではないかと思います。 では、ここからはこれまで私が撮影しておりました、キハ58系の唐津くんち・バルーンフェスタ時の姿をご紹介しましょう。 唐津くんち・バルーンフェスタ時のキハ58系の運行は、平成20年まで運行されておりまして、その年の1ヵ月後には残念ながら廃車・解体と言う道へと進んでしまったほどでもありました。 この時に運行されておりましたのが、画像の筑豊篠栗鉄道事業部直方車両センター(博多運用)所属のキハ58 716+キハ28 2444の2両でありまして、これは画像2・3の車内の姿でもわかりますようにオリジナルの姿を最後まで残した車両でもありました。 (キハ28 2444先頭) 尚、この車両も保留車であった事もありまして、車内の吊り広告は外されたままで使用されておりましたし、この運行の前後には当時車両故障で離脱しておりましたキハ66・67系気動車の代走用として長崎運輸センター(当時)にも貸し出されていた事もありました。 (キハ58 716車内) この車両には、画像のように手書きサボが設けられておりまして、このサボはその後数年間はキハ40系気動車に受け継ぎまして見られておりましたが、現在は新たに製作しておりますのでそう言った姿は見られなくなっております。それにしても、サボの字を見てみますと気が抜けたような印象も感じさせられます。 また、この列車の西唐津行きの車内の姿です。この時は唐津くんちへ行かれる方が多く乗車しておりまして、キハ47形気動車を加えました3両編成でも混雑している事がわかります。 尚、このような姿はおそらくはこの時が最後ではなかったのかなとも思われますので、最後にこのように多く乗車しておりまして、キハ58系気動車も正直疲れるくらいあったとは思いますが、それでも光栄な事ではなかったのかなとさえ思ったほどではあります。 一方、以下画像は平成11年に西唐津駅(唐津運輸区(当時))で撮影しておりました、キハ58系気動車の姿であります。 よく見ますと、先述の2両に加えまして、先述のように当時の熊本運転所からも青色の「DC−EXP」塗装の姿もありまして、大変にぎやかであった事が伺えておりました。 尚、当時平成初頭(記憶があるのは平成4年以降)はキハ58系気動車が6〜8両ほど貸し出されておりまして、6両丸ごと1つの編成で運行されていた事もありましたし、平成19年まで従来の唐津所属のキハ40系気動車・キハ125形気動車に連結されて運行されていた事さえもありました。 このように、当時はこういったキハ58系気動車が「唐津くんち」・「バルーンフェスタ」で運行されていた事がわかります。これからしますと、車両が廃車された事もありまして、そういった賑わいもなくなったようにも思いますが、それでも貸し出しは行われておりますし、臨時列車も運行されております。ですから、この時が唐津線でも最も忙しい時でもある訳ですので、今後もそう言った姿を見せていただきたいものであります。
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若松〜原田間を結びます筑豊線は、現在それぞれの通称が付けられておりまして、折尾〜若松間を「若松線」、(黒崎・)折尾〜桂川(・博多)間を「福北ゆたか線」、桂川〜原田間を「原田線」と、それぞれの通称で運行されておりまして、その分運行自体も分離されております。 このうちの「福北ゆたか線」と呼ばれる区間に関しましては、現在全線にわたって電化されておりまして、使用車両には上の画像にもありますように817系電車・813系電車がこの路線において使用されておりまして、福岡〜筑豊間を結ぶ事もありまして、それら区間を利用します利用者も年々伸びているのがこの「福北ゆたか線」の特徴でもあります。 また、「若松線」に関しましても、今年の3月改正に伴いまして、以下画像の819系蓄電池電車が運行を開始しておりまして、この結果、「原田線」を除く全区間で電車が見られるようになっておりまして、この819系蓄電池電車に関しましても、「福北ゆたか線」への乗り入れも行われております。 そんな筑豊線のうちの「福北ゆたか線」でありますが、今から16年前の平成13年10月に電化開業しておりますが、この電化開業直前まで見られておりましたのが、これからご紹介します客車列車でありました。今回は過去撮影の画像を使いましてご紹介してまいります。 ちょうど16年前になります平成13年9月、現在は「福北ゆたか線」とも称します折尾〜桂川間・桂川〜博多間が翌10月に電化開業する事になっておりましたが、そんな中、門司港〜折尾〜直方〜飯塚間、若松〜折尾〜飯塚間において運行されておりました客車列車も廃止される事になりまして、私も門司港〜飯塚間全線で最後の乗車を果たしておりました。 (スペースワールド駅にて) 筑豊線では、国鉄時代より客車列車がこの頃まで運行されておりまして、かつての客車列車運行系統の中には筑豊線全線を走破する事になります若松〜原田間や、門司港〜(直方)〜原田間と言った列車が運行されておりましたし、他にも旧上山田線や現在は平成筑豊鉄道となっております伊田線へも乗り入れたりしておりまして、そのつなぎで直方方面からの直通列車も運行されたりしておりましたが、年々客車列車も縮小していきまして、最終的には先述の門司港・若松〜飯塚間で残るのみとなっておりました。 この時私がこの時乗車しました列車は、「レッドトレイン」と言われました50系客車が6両、汚物処理装置が設置されておらず使用ができなかった50系客車の対策として汚物処理装置が設置されました12系客車が控え車として1両の7両編成、さらに、牽引機関車がDD51形の合計8両による運行でありました。そのため、赤の車体であります50系客車と青の車体でありました12系客車とはスタイルが違っていた編成が存在していた事がお分かりいただけるのではないかとも思います。 (50系客車)〜オハフ50形車端部 (12系客車)〜スハフ12形車端部 当時、全国の普通列車としましては唯一残っていた客車列車でありましたので、大変注目を浴びておりましたが、九州独自で見られていた仕様としまして、画像のように冷房装置の関係から、窓が一つ埋められておりまして、九州の客車列車でしか見られないものでもありました。実際に、中央寄りの所に窓が埋められていた事がわかるのではないかと思います。 画像は、デッキから車内へ行く両開き扉でありますが、このような形も今思えば珍しい姿ではなかったかと思います。やはりデッキから車内へ行く仕切りと言うもの自体が九州ではあまり見られませんでしたので、懐かしささえも感じられる所ではないかとも思いますね。 こちらの画像は、旧直方気動車区の最寄り駅でありました新入駅〜直方駅間に見られていたものでありましたが、この時には一足先に休車・廃車となった50系客車の姿が見られておりました。やはり、それほど客車需要が減っていた訳でもありましたので、以下画像の姿はまさに残念な姿であったと言えるのではないかとも思う所でもありましたでしょうか。 (新入駅側) (50系客車の廃車車両がが留置されていた姿) こうして、直方駅を経まして終点飯塚駅まで乗車しましたが、運行末期時は各地でファンがホーム上で待っておりましたり、沿線で撮影していた姿がありましたり、特急・快速列車の通過待ち合わせのために停車しておりましたスペースワールド・陣原各駅での停車の際にもファンの方々がが降車しまして撮影していた姿が大変懐かしかったです。 私自身、今回この話題を掲載しましたが、正直もう16年になるのか・・・と言うのが本音でもあります。考えてみましても、現在全国的にもうオリジナルの50系客車の稼働するシーンを見る事はなく、現在見られますのは九州の場合「SL人吉」のような観光列車用として改造された車が主となっております。本当に、先述のように現在は「原田線」以外に電車が運行されております筑豊線でもありますので、これで懐かしく思っていただければとも思います。 (注)当時の撮影技術により、画像が粗くなっている部分、見にくい部分があります事はご了承下さい。
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最近は、キハ40系気動車に関しましては黄地の広島支社塗装から、旧国鉄色のような朱色一色の塗装に塗り替えが進みまして、JR西日本が各支社で見られております単体塗装の姿が伺えるようにもなっております。 そんな芸備線に運行されておりますキハ40系気動車は、所属先は下関総合車両所広島支所(広ヒロ)ではなく新山口駅に隣接します下関総合車両所新山口支所に所属している車を使用しておりまして、所属表記も画像の「広クチ」となっているのが特徴であります。 尚、他にも新山口駅を起終点となっております山口線の気動車をはじめ、山陰線下関地区の気動車も新山口支所所属の車が使用されておりまして、こちらに関しましても「広クチ」の表記がなされております。 さて、時刻表にはもちろんありませんが、これらキハ40系気動車は、所属しております以下画像の下関総合車両所新山口支所があります新山口駅から山陽線を経由しまして広島まで回送されておりまして、実際それらの回送列車が現在1往復存在しております。その回送の両数も5両編成(キハ47形&キハ40形で組成(時にキハ48形もあり))で回送されているそうでありまして、いわゆる「送り込み」がなされております。 (下関総合車両所新山口支所) そして、新山口駅からやってきました列車は、数日間画像1・最後の画像のように芸備線で運用、それから最終日に新山口駅に帰ると言うパターンが取られております。 しかし、今回ご紹介しますように、過去には画像のように送り込みの普通列車が存在しておりました(画像は平成17年時刻表より)。けれども、その後廃止されまして、現在先述のように回送列車として「送り込み」の運用は残されております。こうして見ましても、いずれの列車も約3時間かけて運行されていた事もわかるのではないでしょうか。 (新山口→広島、3546D) (広島→新山口、3549D) ちなみに、こちらは収める事ができておりましたが、下関地区で運行されておりましたキハ40系気動車も画像にありますように新山口駅に隣接します新山口支所への送り込み回送が行われておりまして、こちらに関しましても5両編成において運行されております。 それにしても、なぜ芸備線の三次駅以東ではメインで運行されておりますキハ120形気動車が広島支所に所属しているのに対しまして、このキハ40系気動車だけは新山口支所所属のため「広ヒロ」ではなく「広クチ」なのだろうと思ってしまう所でもあります。そうすればわざわざこのような送り込みをしなくてもいいのではないかとも思う訳ではありますが、何とも不思議な所でもありましょうか。 けれども、ご紹介しました広島・下関地区での運行も、このような送り込みの回送列車の存在はまさに出稼ぎみたいな感じにも見えていいのではないかとも思います。確かに、それぞれに配置していればいい訳でしょうから、わざわざと言う印象は否めないようでもありますが、それでも新山口支所所属車が広島で活躍していると言う所が出ていていいのではないかとも思いますね。私も、その芸備線向けの「送り込み」回送シーンはまだ撮影には至っておりませんが、今後機会がありましたら撮影したいとも思っております。
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