甲斐の武将 加賀美遠光(かがみとおみつ)南アルプス市『山梨百科事典』山梨日日新聞社刊 一部加筆
生、1143(康治2)年、甲斐国若神子(山梨県須玉町)逸見の館で生まれ(?)幼名は豊光丸。甲斐源氏の始祖新羅三郎源義光の曽孫で、武田氏の始祖太郎信義の弟にあたる。
今の若草町加賀美に居城、大井、奈胡東・西河内領(峡西地方から南巨摩郡鰍沢町にかけての一帯 富士川町)および於曽郷(塩山市)を治め強大な勢力を誇った。1170(嘉応2)年、高倉院の病気治癒祈願の功により昇殿を許され、定紋「三階菱」をたまわるとともに近江国志賀郡の管領に任じた。
また1180(治承4)年、有名な富士川の合戦に長男光朝(秋山)、2男長清(小笠原)を従え、知勇もって敵を撃波、余勢をかって平家追討軍として一の谷、屋島・壇の浦に連戦した。その戦功により後鳥羽院恩賞をたまい、信濃守兼北陸道探題となる。また1189(文治5)年の奥州平定には大将として参画、源頼朝の勢力拡大に多大の功があった。
だが一方、頼朝の権力欲の犠牲者としてわが子太郎光朝を失う悲運に見舞われている。遠光は長命で、ゆかりの寺「法善寺記」に「寿齢八十八歳ニテ卒ス、法諱シテ遠光院殿長本深甚誉大功大居士卜号ス」とある。
<塩沢忠氏著>
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