山梨県偉人伝 抜隊(ばっすい)『山梨百科事典』山梨日日新聞社刊
生、1327(嘉暦2)−歿、1387(元中4).2.20。
相模中村の生まれ。いみな(諱)は得勝。抜隊は法号。
出雲雲樹寺孤蜂覚明和尚に参じ、「万挙を隊と道(い)う」の語から抜隊の号を与えられ、印可(宗門の免許皆伝に当たる)を受けた。平生富士山を愛し、近江に住んだころ富士山に法を説いた奇瑞を夢見たといわれ、ついに甲斐に入国した。守護武田信成、厚く帰依して塩山の地を寄せ、向岳庵を創建して開山に請じた。南朝後亀山天皇は皇運回復を祈願された。1547(天文16)年、武田晴信の奏請により、勅命により「恵光大円禅師」とおくりな(謚)され、以後向岳寺を改めて向岳寺と唱えることになった。<佐藤八郎氏著>
姓は藤原。1378(天授4)年武蔵から入国、高森(塩山市上竹森)にはいり、1380(天1授6)年向岳庵をはじめた。戒律きびしく、鎮守罰酒神を勧請、正法興隆を祈念、行道持戒の僧を擁護した。<値松又次氏著>
|
甲州市の偉人








