韮崎市の家塾 堤家塾 堤常陸『韮崎市誌』中巻 第二章 学校教育 第一節学制以前の教育 一部加筆
南下条村。堤氏は世襲の神職で、代々近郷の子弟を集めて教授をした。堤常陸の時、甲府代官松坂左衛門の命により、学問所を自宅に設け、常陸は学頭を命ぜられ、講師として宮地村神主矢崎式部(好貫)、柳澤村浪人駒井甚蔵(現武川町)、横手村浪人横手彦左衛門(現白州町)が出席して国史・漢学を講じたから来り学ぶ者が多かった。
解説常陸(天明七〜文久三)は少時江戸に出て市川米庵および佐藤一斎に学び、学成りて帰郷、父主苗の学問所を継ぎ、次いで里仁会学頭となったが、その子西園また家学を受けて家塾を経営した(家塾・寺子屋調・参照)。明治初期の教育、下条学校−既に学頭常陸亡く(文久三歿、七五歳)その次男(長男夭)堤左兵衛正矩(学号西園)里仁合の伝統を継ぎ教学に専念するも、学校の職員構成など細部はつまびらかでない。
教学内容も現存書籍等から、里仁舎当時より平易なものに見受けられるが、算法が取り入れられていること、および地誌、博物、日本史、読本等、逐次官学への移向が認められる(『藤井小学校官周年記念誌』)。
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