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白州 武川 歴史紀行 真実を求めて

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韮崎市の家塾 長養義塾 山本国雄

『韮崎市誌』中巻 第二章 学校教育 第一節学制以前の教育 一部加筆
 
穴山村石水。城源院住職山本国雄は天保(183044)の未年、檀徒の子弟を集めて寺子屋を開き専ら手習をなさしめた。安改元(1854)年一月下総の隠士、堀秀成を聘して、皇学を教授し、『古事記』・『日本書紀』を始めとして、我が国の古典・歌詞・章句を講じたから、遠近より来り学ぶもの七〇〇を超え、秀才、逸足を輩出した。輿石守郷、八代駒雄韮崎市偉人伝 八代駒雄 等はその門下生である。
堀氏は明治初年、侍講となって東京に出で、当塾はこれとともに閉鎖した。

解説 

堀秀成(文政二・1819〜明治二〇・1887)下総古河藩の家老の家に生まれたが、向学の志あつく家督を弟に譲って、富樫広陰の門に入り国学を究め、天保のころから駿河・甲斐・武蔵の国々に出講した。甲斐への滞在は御岳社中の請いによって、ここを本拠として市川大門にいたが、安改元(1854)年、穴山村の守屋真虞清等の招請によって、同村石水に長養義塾を開設して国学を講じた。時に秀成は三五、六歳の壮年期であり、その教授は厳しかったが談論風発、まことに人を引きつけるものがあった。風格を慕って遠近の子弟はその門に入り学問に励んだ。
 秀成の国学とするところは国語の学特に、五十音図の一音ごとに有する幽顕二法にわたる妙用を重んずるものであって、ために万葉集は古言・古意を知る基であり、『古事記』、『神代紀(日本書紀)』は古道を知る梯(きざはし)であると教えている。穴山滞在の折著した「古道掟綱」という書物は、おそらく秀成学の入門書であるが、「(皇国は)天の下の本つみ国なれば、正しく神随の道備れるを、上(かみ)フ代より言拳(ことあげ)して道々(ことごとく)しく云はざる国体(くにがら)であって、異国と相違するゆえんを、言霊(ことだま)・巖(いつ)・稜威(みいず)・畏敬(ことかしこみ)・禊(みそぎ)・千足(ちたる)などの古語をもって発としている。また国学を古道または皇学と称している。
 時に暮府の威令衰え尊皇の風はここ峡北の地にも押し寄せていた。皇学を説く秀成の下へは、各地から出講の懇請があり、秀成は席の温まる暇なく、各地の門弟塾で熱心なる講演を行っていたことと考えられる。「郡勢一斑」には長養義塾は明治初年まで続いているが、「秀成年譜」によれば安政五(1858)年ごろ秀成はこの地を去っている。ただし、秀成の学はその後も各地の門弟塾で講ぜられていたし、「古道投網」がなお読まれていたことは、明治八(1875)年内藤伝右衛門によって出版されていることによっても証明される(『山梨百科事典』『穴山小学校育周年記念誌』『国学者伝記集成』)。
 

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