韮崎市の家塾 奥の舎塾 志村天目『韮崎市誌』中巻 第二章 学校教育 第一節学制以前の教育 一部加筆
南下条村。文化年間、心学者志村天目は、心学布教のためしばしば「奥の舎」(現・中込義直宅)を訪れて近郷子弟のため講演を行い、大きい影響を与えた。天目は末木村(現・一宮町)の人。加賀芙光章に国学・儒学を修めた後、京都の手島堵庵から心学を学んだ。郷里に忠款舎(ちゅうかんしゃ)を開設して、この学を講ずるとともに石和代官・川崎平右衛門の命によって、国内へあまねく出張・巡回して心学の布教による社会教化を生活の仕事とした。
解説心学とは、江戸時代、神・儒・仏の三教を融合して、その教旨を平易なる言葉と通俗な比喩で説いた一種の庶民教育であって、修錬のため静座を重んじ、社会教化のため道話を用いているが、この教学は石田梅岩を祖とする石門心学に始まり、手島堵庵・中澤道二に伝えられ、さらに柴田鳩翁に至って拡大され、一時に全国へ広がっていった(『広辞苑』より)。
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