韮崎市の家塾 宮澤家塾 宮澤重礼『韮崎市誌』中巻 第二章 学校教育 第一節学制以前の教育 一部加筆
駒井村。寛政五(1793)年宮澤重礼は生山正方へ入門、国学・儒学の教を受け、同じく九年師の勧めに従って江戸へ出て、苦学の末、ついに昌平黌(しょうへいこう)学問所に入り、碩学佐藤一斎の教えを受け、学成るや帰郷、名主としての公務にはげむかたわら、仕事のあいまに村民を教化し、風俗淳美なる理想境の実現を企図して、「行餘館」を開設、近郷より師の令命を聞いて集まるもの多数、切瑳琢磨の道場として知られていた。邸内には佐藤一筋撰文の「行余館碑」が立っている(県立図書館・資料)。
解説佐藤一齋(一七七二〜一八五九・安永一〜安政六) 江戸末期の儒者、美濃岩村藩士信由の子。名は坦、通称幾久松・捨蔵。中井竹山、林述斎に学ぶ。文化二(一八〇五)年林家の塾長。天保一二(一八四一)年以後、幕府儒官として一生を送った。立場上表面は朱子 学をとったが、陽明学の影響を強く受け、陽朱陰王といわれた。門人に安穏艮斎・渡辺華山・佐久間象山・中村正直・横井小橋らが輩出。著書『言志四録』・『近恩録』などがある(『角川・日本史辞典』)。
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