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白州 武川 歴史紀行 真実を求めて

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甲斐大善寺と柳沢家

 
*寛永十年(1633)六月七日源守昌の願文(按に忠長卿国除の後守昌暫く浪人也)古詔状の案に二章自性院とあり一章は五月日、一章は寛永十年癸西(1633)三月日各御奉行所とあり、辰三月二日三枝善右衛門祈願書(按に名は守知時に兄守重病に伏す)三枝系図二巻(土佐守守重能登守守全)所寄附なり、
*元禄十四年(1701)四月十八日御裁許状一章
*宝永三成年(1706)松平美濃守子息、伊織、」左門両人より二十五所ノ祈願所へ米五十俵配分老臣ノ連署一章
 
〔柳沢経隆 伊織(やなぎさわつねたか)〕
元禄七年十一月十六日(一六九五年)〜享保十年八月二十三日(一七二五))は、甲斐甲府新田藩主、のち越後黒川藩の初代藩主。側用人として有名な柳沢吉保の四男。母は側室正親町町子(田中氏とも)。正室は大納言正親町実豊の娘・直子。官位は従五位下、刑部少輔。
江戸神田橋邸にて生まれる。幼名は安通、伊織。元禄八年(一六九五年)六月十九日、将軍徳川綱吉の命令を受けて横手姓に改姓した。その後の元禄一四年(一七〇一年)十一月二十六日、松平姓を名乗ることを許される。宝永六年(一七〇九年)六月三日、父より1万石を分与されて甲府新田藩主となった。宝永七年(一七一〇年)四月七日に元服する。
 
〔柳沢時睦(やなぎさわときちか〕左門
元禄九年六月一二日(一六九六年)〜 寛延三年四月二十四日(一七五〇年)は、甲斐甲府新田藩主、のち越後三日市藩の初代藩主。側用人として有名な柳沢吉保の五男。母は側室の正親町町子(田中氏)。官位は従五位下、式部少輔。幼名は左門。
誕生の年、将軍徳川綱吉の柳沢邸御成の時に御目見し、元禄十四年(一七〇一年)に松平姓を名乗ることを許される。宝永六年(一七〇九年)、父から甲斐山梨郡、八代郡内に一万石を分与されて帝鑑間詰の甲府新田藩主となった。享保九年(一七二四年)、甲斐から越後三日市に移封されたが、まもなく藩主を弟の保経に譲って隠居した。寛延三年(一七五〇年)に死去した。
 
*寛永十九年(1642)七月十七日ノ御朱印以後代々奉頂載、年首拝賀す、」塔頭六坊光明院、(無住)正覚院、(無住)遍阿院(無住)玉善院、一乗院、正蔵坊以上本山派の修験なり御朱印の内毎院千五百坪配分、
*口十七(男六、女十一)
*馬二、末寺三、
門前民戸十七口六十四(男三十四、女三十)
*柏尾村上云寺内(僧三人家僕八人)
*掌寺(雨宮久兵衛、三枝好兵衛)
○岩崎権現(祭神五所熊野三阻、伊豆、箱根)
社地(五十間七十間)上岩崎村にあり大善寺兼帯、別当光明院と云う、御朱印社領二石八斗八升(下岩崎村の内に在り)慶長八年(1603)四奉行証文並に寛永十九年(1642)以来御代々の御朱印大善寺納之
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