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白州 武川 歴史紀行 真実を求めて

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〔三枝守国〕
*薬師御堂、三枝守国初建立は、天禄辛未年(972)也、二度炎上有り、後の炎上は文永七年(1270)也、其後十七年過ぎ、弘安九年丙戊(1286)柱立、其後正応四年(1291)柱立成就畢(ひつ 終わる)
今の堂立以後二百五十五年従初建今に至る、五百七十五年也。
*三枝の先祖五所宮は、承徳元丁丑(1097)四月初て祭る。
長徳四年戊戌(998)九月十九日三枝死去、寿百六歳、今に至る、五百四十八年也と云う、上室茶鎌倉ノ下知状数通に所載当山は薬師如来之霊場、行基菩薩の草創也。
 
〔註〕康和元年(1099)甲斐国雑掌三枝成安
 ☆九月、甲斐国雑掌三枝成安、東寺封戸五十戸の承徳二年分調庸
雑物等所当料の済勘文を注進。     〈東大寺百合文書〉
 ☆十月五日、東寺、封戸の雑物を検納し返抄を甲斐国に出す。
〈根岸文書〉
〔説明〕甲斐国雑掌三枝成安
 
世界大百科事典内の在京雑掌の言及 【雑掌】より
 平安時代に入ると、雑掌は四度使の職掌を代行し、在京して四度公文を扱うだけでなく、調庸、交易雑物、封戸物等に関係する文書を扱い,主計寮の官人とともに返抄(へんしよう)の勘会に当たるようになる。十世紀には〈在京雑掌〉といわれ,諸国の京都における出先機関の性格をいっそう強めた。これが国(くに)雑掌で、その国の〈形勢〉や〈土風〉に通ずるとともに、京にいて、国よりの貢進物に関する公文を扱ったが、やがて一〇〇五年(寛弘二)の山城国雑掌の秦成安を初見として、十三世紀前半にいたるまで甲斐の三枝(さえぐさ)、近江の安(野州)、加賀の江沼、讃岐の綾などのように諸国の有力な土豪の姓を持ち、共通して〈成安(しようあん)〉を仮名(けみよう)とする諸国の雑掌が活動するようになる。
 

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