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白州 武川 歴史紀行 真実を求めて

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**〔甲斐国司〕**
○長徳2年1月25日(996)【『長徳二年大間書』】
◆甲斐権掾…大春日遠明。正六位上。
◆甲斐掾…坂本広茂。正六位上。
◆甲斐掾…三国重信。名替停。
○長徳3年1月28日(997)【『大間成文抄』】
◆甲斐介…賀陽文時(かやのふみとき)
○長徳3年1月28日(997)【『大間成文抄』】
◆甲斐権掾…山背師光 もろみつ 正六位上 補任。
◆甲斐権大目…伊豆友近(ともちか)甲斐権大目。補任。
◆甲斐権小目…大和(名不詳) 甲斐権小目 補任。
○長徳3年5月19日(997)【『権記』】
◆甲斐守…源忠規。甲斐守源忠規の従者、勅旨に狼籍をして逮捕される。
○長徳4年1月25日(998)【『大間成文抄』】
◆甲斐介…賀陽文時。名替停。
◆甲斐介…私氏民(きさいのうじたみ)正六位上。補任。
◆甲斐権掾…山背師光(もろみつ)正六位上。名替停。
◆甲斐権掾…子部吉景(こべのよしかげ)正六位上。補任。
○長徳4年10月27日(998)【『大間成文抄』】
◆甲斐権小目…六人部茂興。正六位上。補任。
○長保1年1月30日ころ(998)【『任国例』】
◆甲斐権大目…秦(名不詳)。前春宮籍。秦忌寸。
 
◇三枝氏について 
*『日本書記』の福草部の姓氏録に「三枝連」
*『続日本後記』の承和十一年(844)の項に三枝直平麻呂。
〔註〕**〔甲斐国司〕**
○承和9年(842)6月3日【『続日本後紀』】
◆甲斐目…飯高浜水。従五位下。
甲斐目飯高浜水など、伊勢国の飯高公の一族二十七人が、飯高朝臣の姓を与えられ、左京三条に本籍を移す。
○承和10年(843)1月12日【『続日本後紀』】
◆甲斐守… 橘時枝。補任。
○承和10年(843)5月14日【『続日本後紀』】
節婦表彰…甲斐国山梨郡の人、伴富成の娘節婦表彰を受ける。
 
〔康和五年(1103)銘の経筒〕
*昭和三十七年、山梨郡勝沼町柏尾山の東京電力の工事現場で康和五年(1103)銘の経筒が発掘された。大善寺の大檀那三枝宿禰守定・守継、藤原朝臣基清らが経筒を仏前に供え、柏尾山に埋めるまでの経過が刻まれていた。
経筒に刻まれた守定・守継が戦国時代に武田氏に仕えて活躍した三枝守友の遠い先祖であろうか。
〔註〕**〔甲斐国司〕**
○長保3年10月10日(1001)【『母后代々御覧記』】
◆甲斐守…源高雅。甲斐守源高雅。従四位下。在任。
○長保4年7月9日(1002)【『権記』】
◆前甲斐守…源高雅。前甲斐守源高雅、権記長保四年七月十六日条に見える。
〔三枝守政〕
応保二年(1162)、甲斐守に任ぜられた藤原忠重は遥任国守として中原清弘を甲斐へ赴任させた。とはいえ、実務担当は在庁官人の三枝守政であった。この頃全国的に熊野信仰が流行し、諸国で社領の創建や拡張が盛んに行われていた。こうした事態に藤原政権は律令違反として弾圧を加えた。
甲斐国でも熊野信仰は盛んで、熊野社領八代荘は門前市をなすほどに信仰者が集まり一国の勢いを持つ小国家のような権勢を誇っていた。こうした事態を受け、中原清弘、三枝守政らは、軍兵を率いて八代荘を急襲、社殿を破壊し、責任者に停廃を命じ、さらに同社の蔵米や高価な物を没収、荘内の要人を逮捕し、教祖に残虐な行為した。
熊野側はこれを朝廷に訴えたが、忠重は撥ねつけた。しかし、検非違使庁が動きだし、罪状が明白になり、忠重は流罪、清弘と守政ら首謀者は禁固刑となり、熊野側の勝利となった。
これをきっかけに三枝氏は没落の一途をたどることになるのである。しかし三枝氏は甲斐源氏の活躍の中でも、三枝守継は於曾氏を名乗り、その分流も能呂(野呂)・石原・立河・石坂・窪田・沓間などの姓を名乗って、甲斐国内に勢力を保持したと考えられる。しかし、その動向は必ずしも詳らかではないが、やがて三枝宗家は歴の中から消えていった。

しかし武田信虎は三枝氏の断絶を惜しんで、一族の石原守種の次男石原守綱に名跡を継がせた。その子虎吉が武田二十四将の一人に数えられる勘解由守友の父である。

 
〔註〕**〔甲斐国司〕**
○応保2年(1162)1月27日【『山槐記除目部類』】
◆甲斐守…藤原忠重。従五位上。藤原忠重が甲斐守に。
○応保2年(1162)4月7日【『長寛勘文』】
◆甲斐守…藤原忠茂。
…甲斐守藤原朝臣忠茂並目代右馬弁中原清弘在庁官事人三枝の守正ら罪名爰に忠茂去年春除目被拝除。
○応保2年(1162)10月6日【『長寛勘文』】
◆甲斐守…藤原忠重。
…忠重が目代中原清弘・在庁官人三枝守政に命じて熊野社領八代荘を停廃する。
○応保2年(1162)10月28日【『応保二年除目大間』】
◆甲斐権介…不任。除目。欠員の甲斐権介は不任。
○長寛1年(1163)1月29日【『長寛勘文』】
◆甲斐守…藤原忠重。熊野社の訴えに対して、陳状を提出する。
○長寛2年(1164)1月21日【『公卿補任』】
◆甲斐守…藤原盛隆。父藤原顕時の大宰権師辞任の替として、甲斐守に任じられる。

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