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*通校するに天平中(729〜749)阿弥陀如来を所安置の本尊西明寺は何頃にか照して、鎌倉以前より薬師如来を本尊とし、今の金堂に安置せしにや、
*暦応二年(1339)の注進状に「浄瑠璃寺薬師如来」とは見えたれど金堂は不載、此時の火災にも免れしやらん、
*天文廿四年(弘治元年 1555)九月五日造営供養の記に天文九年(1540)八月十一日、一昼夜大風あり本堂以下破損して国主晴信の下知を得国中棟別一升勧進他力を以て修治すと云々、実に五百年来の旧造ならんこと左もあるへし、
*本尊薬師(木仏坐像長三尺相伝う行基の作正月八日開扉、一七日国家安全の祈願護摩執行、正月九月大般若経転読)同宮殿(積二間余三重椽(?)金飾美麗也、屏に武田菱の紋あり、刻書に云う、甲信太守武田晴信公御武道堅固御祈祷之故也と)
*日光月光(長各八尺余)
*十二神将(長各三尺五分許但一鉢は後世所修補工尤も劣れり)右運慶作也、毎像脊中に記あり、子神に記して云う、大善寺十二神将始勧進僧厳海密房仏師僧運慶三河公筆師僧上実円勝房嘉禄三年(安貞元年 1227)大戈丁亥閏三月十五日始之、『西神記』云う、嘉禄三年(1227)大戈丁亥五月十一日西神造立始之、右志者為四恩報恩為大法師円融現当二世之悉地成就円満也、右金剛弟子順円大仏師道慶三河公、末神の胎中に記云う、大仏師僧運慶願主金剛弟子阿闍梨湛禅安貞二年(1228)大東戈成子三月廿一日、又再興ノ板記に大将彩色本願大泉坊長胤法印(旦那杉田与五右衛門、梶原源右衛門、坪井住金藤縫助)
*永禄五年(1562)壬戌四月十日、本願東坊長秀開眼供養師護摩堂阿闇梨玉泉坊慶紹(八幡松枝百文松本道泉内万仁百文)薬師如来一躯(金造)相伝う、三枝守国の守本尊也、
*賓頭慮尊者(旧作ナリ、作者不詳)
*大黒天(木像弘法ノ作上空不動明王(木像也伝云信玄の所寄)
*七号袈裟一襲(信玄所寄赤地金爛)
*水晶念珠一聯(同寄附也)
寛政中(1789〜1801)松平甲斐守、当寺に詣し懇望さるるに依りて之を贈る、和歌一首を詠して謝せらるに依り藩臣久城部次兵衛、吉田権十郎をして添書致意せしむ)
法性院とののもたまへる念珠をゆつり
きこえけるかしこざを謝す 保光
かすくに念の珠をくりかえし
むかしを今になほあふかなむ
*白栴檀釈迦ノ坐像(松平美濃守保明(柳沢吉保)の北堂看経仏なり故ありて当時に納む)
〔註〕柳沢 保光(やなぎさわ やすみつ)は、江戸時代中期の大名。大和郡山藩第3代藩主。郡山藩柳沢家4代。2代藩主柳沢信鴻の長男。
*大般若本尊十六善神(画面に書あり、主願道清岩崎竹内筆者和泉表絹本願西光坊長祐律師、文明十六年(1484)甲辰霜月廿三日)
〔註〕この他、文政二年(一八一九)の修復箱書がある。
*大般若経(元禄九年(1696)土屋定直寄進)
〔土屋定直〕 元禄二年(一六八九年)〜宝永二年閏四月九日(一七〇五年五月三一日))は、常陸土浦藩の嫡子。老中を務めた第二代藩主・土屋政直の三男。官位は従五位下、出羽守。
兄・昭直が早世したため代わって嫡子となる。元禄九年(一六九六年)に徳川綱吉に初御目見し、元禄十六年(一七〇三年)に叙任する。兄と同様、宝永二年(一七〇四年)に早世した。代わって弟の陳直が嫡子となった。
*仏前供物器三具(銘云寄進永禄四年(1561)七月七日柏尾山常什杉之坊明乗と、按ずるに杉之坊古迩今審ならず、又虎四月四日杉之坊明乗がたつ子と云う者に授くる遺状一通あり、文中に行平秋広の二刀小鍛治の脇差云云と見えたり、今倶に其伝なし)
*金鼓銘(奉施入柏尾山大善寺鰐壱口徳治二年(1307)丁未十一月廿日願主権律師快俊)
*銅燈籠二(奉寄進甲州八代郡柏尾山大善寺慶長十三戊申(1608)五月十三日大久保石見守(長安)敬白)
〔大久保石見守〕
1545〜1613 天文十四年生まれ。はじめ武田信玄につかえ,武田氏滅亡後徳川家康にしたがい猿楽(さるがく)を業とした。鉱山開発の才能をみとめられ、石見(いわみ)銀山,佐渡・伊豆(いず)金山などの奉行を歴任。慶長九年東海・東山・北陸三道の一里塚建設を指揮した。慶長一八年四月二十五日死去。六十九歳。死後不正が発覚したとされ大久保家は改易となった。
*不動明王画像一幅(竪壱丈壱尺二寸五分横壱丈五尺余表具天弐尺玉寸地壱尺二寸五分縁弐尺弐寸五分)巨勢金岡筆也
〔巨勢金岡〕
平安時代前期の宮廷画家。巨勢有行または采女正・巨勢氏宗の子とする系図がある。官位は従五位下・采女正。
中納言・巨勢野足を曾祖父に持つ少壮貴族の出身であったが、その豊かな画才を朝廷に認められ、宇多天皇や藤原基経といった権力者の恩顧を得て活躍した。貞観十年(八六八年)から同十四年(八七二年)にかけては宮廷の神泉苑を監修し、その過程で菅原道真や紀長谷雄といった知識人とも親交を結んだ。
日本画独自の様式を追求・深化させ、唐絵の影響を脱した大和絵の様式を確立させた功労者とされる。またその子孫は、後世において巨勢派と称される画家集団を形成、宮廷画や仏画の分野において多大な影響力を発揮した。しかし、その作品は一切現存してはいないと伝えられているが、ネットで検索で数点見える。
〔柳沢吉保奉納 観世音菩薩画像一幅〕
宝永二年酉(一七〇五)二月とこれは御朱印にあり、二月十九日引き渡しなり。吉保初め懇下望み被封の上、本州恵林寺不動明王へ祈願の願書を捧げ置きしに、封を受け後に願いを解いたと云う。
柏尾山(大善寺)に奉納の画幅あり、記に云う、奉蔵、武州川越城主従四位下行侍従兼出羽守源朝臣柳沢吉保とあり。
【筆註】この記載事項は重要である。これまで、一蓮寺や常光寺それに恵林寺の所蔵物については詳細の記があるが、この柏尾山大善寺に奉納されたという画幅(観世音菩薩画像一幅)については触れられていない。調べてみる必要がある。
『甲斐国志』大善寺の項を見ると、
「水晶念珠一聨」同寄付なり。寛政中、松平甲斐守様(吉里)当寺に詣でし、懇望さるるに依りて之を贈る。和歌一
首を詠じて謝せらる。藩臣久城部次兵衛、吉田権十郎をして添え書き致意せしむ。
法性院とののも賜へる念珠をゆつり
聞こえけるかしこさを謝す 保光(吉保)
かすかすに念の珠くりかえし
むかしを今になほあふかなむ
◎『白旃檀釈迦の坐像」松平美濃守保明の北堂看経仏なり。故ありて当時(寺)に納む。
*『脊記』云初度愛甲州岩崎一分ノ地頭武田築前権守源武政以鏑表具被加修理者也、
〔武田築前権守源武政〕
大善寺の嘉元4年の記録に「岩崎一分地頭武田筑前権守源武政」とあるのが初見、この地は、武田信光の子信隆が領地。
*嘉元四年丙午(1306)二月廿八日、爾后之表本当寺住僧式部公長遷此近里勧化被加修補畢、時住寺岩殿権少僧都明泉代別当権大僧都栄賢表具師錦之住僧聖通延徳元年己西(1487)九月八日、人皇六十代醍醐帝延享年中(1744〜1748)金岡一書之明年代に糺す、 *慶長壬寅七年(1602)迄凡七百年歟、慶長七壬寅七月十二日注之(当寺護摩堂住)紹宥、
*又寛永十二(1635)亥延亨二丑(1745)両度裏打表具の記あり文之を略す、毎年七月六日夜ヨリ一七日護摩修行天台大師画像表装に記云、奉表補給天台大師御影甲斐国柏尾山公用也、
*天正五年丁丑(1577)霜月大師当番常行堂総持院慶相法印願主是也、太刀一握(銘云運有天命依義軽武州住昭重作天文二年(1533)八月十四日)
右の外古画器品あり寛永以来宝永正徳頃に至り、三枝、土屋、神尾、佐竹等ノ諸家より仏像、諸具祭旗、幕、戸張の類寄贈する所甚多し、今皆省略して記さず、毎四月十四日祭礼舞台にて児子舞、衆徒剣舞等あり、
*藤切り祭
庭上に二丈許の柱を建て藤蔓を縄とし、これに纏い修験者一人が柱上に攣ぢて修法し、終り剣を以って其縄を両断となし、地に墜すを、香火群集の人噪(さわぎ)立ちて左右に之を引き勝負を争うことを旧式とす(或は勝負に因りて年内吉凶を占うとも云う)この「柏尾藤切」と謂う覚山の祭祀にも此式あり、彼所にては真截(しんきり)と唱う。
*『回国雑記』(文明十九年(1487)聖護院宮准三后道与の道の記也)
かし尾といえる山寺に一宿し侍りければ住持のいはく
後の世のため一首を残しはべるべきよし、しきりに申
し侍れけれは、立ちながら口にまかせて申しつかはし
ける、かし尾と俗語に申ならはし侍れとも柏尾山にて
侍るとなん
かけたのむ岩もとかしはをのつらから
ひとよかりねに手折てそしく
〔*『回国雑記』〕
名所、古寺の巡歴記。聖護院門跡准后道興著。長享一 (1487) 年成立。著者が文明十八年(1786)から翌年三月までに、北陸、関東、奥州諸国を遊歴した折の紀行文。
*寺宝に安元三年(1117)下し文一章花押あり(寺伝に平相国の下文也云う、柏尾寺社迯脱の大衆如本可令帰住云々惧に花押讃等に所載と異なり附録に録す)
*九月八日禁制写一章平花押(以下写本八通の事は前に記せり、此状仮名文なり、延慶三年下知状に拠る、按に建久九年(1198)塔供養の時の禁制一見えたり、北条時政の押か)
〔北条時政〕平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将。伊豆国の在地豪族の北条時方(もしくは時兼)の子。源頼朝の正室・北条政子の父。鎌倉幕府の初代執権。
*建仁四年(1204)二月廿八日下知状写一章、遠江守花押(別所四至の内先例に住す云々とあり、寺の東に今も別所と云う処あり是か)
*建保元年(1213)十二月廿九日下知状写(菅野図書允清原図書少允清原、柏尾山四至内乱入狼籍輩事と云々、建仁建保は実朝将軍の時也)
*嘉禄二年(1226)十一月三日下知状写(武蔵守平、(北条時房)相模守平(相模守平朝臣 執権北条時頼(朽木家古文書))
〔北条時房〕
北条 時房(ほうじょう ときふさ)は鎌倉時代初期の武将。北条時政の子。北条政子・北条義時の異母弟。鎌倉幕府初代連署。延応二年(一二四〇年)死去。享年六六。時房死去後の連署は一二四七年に甥北条重時が就任するまで空席となった。
〔連書〕
鎌倉幕府の役職。執権の補佐役であり執権に次ぐ重職で、実質上の「副執権」 *嘉禎三年(1237)十二月六日下知状写(左京権大夫平(源義清)、修理権大夫平(藤原宗兼))
〔源義清 (左京権大夫)〕
源義忠(八幡太郎義家の三男)の四男、河内経国(義行)・義高・忠宗の弟、義雄の兄、義久の父、義高の祖父。
*建長元年(1249)十二月廿三日守護所文書一章文字剥けて不分明花押は脊面にこれ有り
*弘長二年(1262)十月十八日紛失状写(武蔵守平朝臣(北条時房)、相模守平朝臣(北条時頼))
*弘安七年(1283)八月廿三日下知状写一章(左馬権頭、陸奥守)三月十四日宣旨一通皇后宮大進在判進上土御門前原大納言殿とあり、柏尾寺造営の事なり、弘安七年(1283)と見えたり
〔北条業時 左馬権頭、陸奥守〕
一二五九年(正元元)四月七日、従五位下に叙し、弾正少弼に任官。七月二七日、左馬権頭に遷任。一二八三(弘安六)四月十六日、連署に異動。七月二十日、従五位上に昇叙。駿河守如元。九月二十六日、正五位下に昇叙。駿河守如元。 一二八四年(弘安七)八月八日、陸奥守に転任。 〔弘安七年 1283 八月二十三日 甲斐大善寺文書〕
*関東御教書
当寺本堂大善寺造営の事、勧進甲斐国中、その功を終しむべきの由。仰せ下さるる所なり。仍って執達件の如し。 弘安七年八月二十三日 左馬権頭(貞時御判)
陸奥頭 (業時御判)
*正安三年(1290)大善寺請衆交名草勧進何某云々の書二通
*延慶三年(1310)五月五日下知状三章(陸奥守平朝臣、相模守平朝臣)信濃国棟別十文銭貨勧進の事同一章は隠岐守殿とあり(同年九月五日一章あり写なり、隠岐前司入道殿とあり)
延慶三年(一三一〇)
五月五日、鎌倉幕府より大善寺に下知状が発せられる。
その文中に嘉禎三年(一二三七)に鮎沢宿雑事を免じたことが記される。
〔「大善寺文書」関東下知状(山4六〇二)〕
甲斐国柏尾山衆徒等申、信濃国棟別 拾文銭貨事右如解状者、当山者薬師如来之霊場、行基菩薩草創也、右大将家建久年中雖被定寺内四至、更無立錐之田地、爰文永七年有火災本堂大善寺以下焼失、去弘安七年可勧進国中之由被成御教書畢、而地頭御家人等依無一分
之助成、未遂数宇之造営、建久九年当山塔供養時、有狼藉之輩者可搦進之由被仰下畢、嘉禄二年賜国中人夫、嘉禎三年被免鮎沢宿御雑事畢、代々将軍家御帰依如此、早不論神社仏寺之領、無謂権門勢家之地、賜信濃国棟別、欲致本堂以下造営云云者、任申請充取件国
棟別拾文銭貨、可令遂造営功之状、依仰下知如件、
延慶三年五月五日
平朝臣(花押) 陸奥守(大仏宗宣)
平朝臣(花押) 相模守(北条師時)
※嘉禎三年の鮎沢宿雑事免許についての関東下知状は、東京大学史料編纂所の影写本が残されている
*正中三年(1326)三月廿五日紛失状、修理権太天平朝臣花押(北条貞顕なり)。
〔北条貞顕(ほうじょう さだあき)〕
鎌倉時代末期の武将。北条氏の一門で鎌倉幕府第十五代執権(在職は正中三年三月十六日(一三二六年)執権と成る。三月二十六日、執権退任。出家、法名:崇顕。一三三三年(元弘三年、正慶二年)五月二十二日、鎌倉幕府滅亡に際し東勝寺で北条高時らと自刃。享年五十六。
*建武四年(1337)六月十三日足利家の寄進状(左兵衛尉源持平泰□□)各花押あり。
*建武四年(延元二年)(1337)七月十六日陸奥守花押(右押譜所載斯波陸奥守家長の押也)
*小岡郷寄進状一章、暦応二年(1339)四月十九日散位花押一章(是は国街在庁宮人乃証状なり、以上三章皆小岡郷の事を載せる)。
*暦応二年(1339)五月日注進状案文一章(建武三年(1336)五月炎上の事なり)。
〔暦応二年(1339)四月十九日〕『柏尾大善寺文書』
国衙在庁の証状の添状も有之
一色氏・金丸氏・土屋氏の家系を按に本州の在りし。
一色氏は左京大夫範氏四世の孫満範より出る趣なり。武河(上条南割)の大公寺の所建大興寺殿(範氏法名)の牌子あり。始祖の香火場に営む所なるべし。
*観応二年(1351)六月廿日名主職補任状一章留守所(花押)
国別当(花押、国衛在庁より出づる所の許状なり)
*文和四年(1355)二月廿五日修理亮信春寄進する所の証状(信春は武田氏也)
〔武田信春(たけだのぶはる)
没、一四一三年十一月十六日(応永二十年))は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。甲斐武田氏第十二代当主。信時流武田氏の子孫で武田信成の子。官位は陸奥守及び伊豆守。
兄弟に基信、武春、布施満春、栗原武続がいる。子は信満、穴山満春(武田信元)、下条信継、市部信久、吉田成春、観音寺遠大西堂、法弥陀仏(一蓮寺住持)、上杉禅秀正室、小笠原長基正室、武田信繁室など(信春の系譜・子女については「円光院武田家系図」をはじめとする武田家系図類に拠る)。
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