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山梨県の偉人 加賀美平八郎(かがみへいはちろう)衆議院議員

『山梨百科事典』山梨日日新聞社刊 一部加筆
 
生、1861(文久1)・828−歿1933(昭和8).49
甲斐団八代郡南八代村(八代町)の加賀美募兵衛の長男。英、漢学を修め、民権運動に参加したこともあった。
1888(明治21)年山梨県会議員となり2期在任、義兵衛を襲名して1892(明治25)年、第2回総選挙に当選、36年間衆議院議員、無所属から立憲革新党に属した。この間、私塾「成器舎」を同村に開設して地方子弟の育成につとめ、その後、峡中日報を主宰、また農工銀行を設立して経営にあたった。
<飯田文弥氏著>

山梨県の偉人 加賀美東一郎(かがみとういちろう)県会議長

『山梨百科事典』山梨日日新聞社刊 一部加筆
 
生、1853(嘉永6).419−歿、1915(大正4).715
甲斐国南八代村(山梨県八代町)の豪農加賀美伊佐衛門の婿養子。同村の加賀美平八郎、日下部村(山梨市)の実兄依田道長らとともに1882(明治15)年、峡中改進党を結成して自由民権運動に従事。1884(明治17)年、県会議員に当選、よく民間の世論を代表(「山梨県会議員評判記」)した。のち県会議長に就任、かつその前後、郡会議員、村長などを歴任、生涯を通じ地方自治のために尽力、よくその効をいたした。<酒井春常氏著>

酒造業

1884(明治17)年、県会議員に当選してから515年間在任。副議長を経て1897(明治30)年には県会議長に選ばれた。<飯田文弥氏著>
イメージ 1



山梨県の偉人たち 加賀美光賢(かがみみつかた)甲府

『山梨百科事典』山梨日日新聞社刊 一部加筆
 
生、1846(弘化3).214−歿1807(明治40).48
山梨県住吉村(甲府市)出身。家は元来祠官であったが、幼いころ当時甲斐国の名医といわれた高室昌敏の影響を受け医学への目をひらいた。
1868(明治1)年上京して石神良策に師事し、間もなく英国人ウィルスを知り西洋医学を学ぶ。
1872(明治5)年海軍軍医部の創設と同時に軍医頭となり、横須賀海軍病院長、海軍軍医学校長などを経て1891(明治24)年、毎軍軍医総督に任ぜられた。1893(明治26)年には欧米各国の視察におもむき翌年帰国後は宮中顧問官となる。<望月健男氏著>

山梨県の偉人たち 加賀美募兵衛(かがみかへえ)八代

『山梨百科事典』山梨日日新聞社刊 一部加筆
 
生、1835(天保6)・1022−歿、1891(明治24).1014
甲斐国八代郡南八代村(八代町)の豪農。初め次左衛門と称し後募兵衛を襲名した。
1872(明治5)年、八代郡第7区、8区の区長、次いで第22区、23区の区長をつとめた。1878(明治11)年東八代郡長となり、東山梨郡長を兼ねた。
その後、山梨県内の民権派に対抗する立憲保守党の組織化にはたらいた。
1890(明治23)年貴族院多額納税者議員互選人となり(直接国税納税額で県内第4位)、投票の結果若尾逸平と同数となるも、年長の故をもって若尾の当選となった。
<飯田文弥氏著>

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