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武田の戦い 海尻の合戦
天文九年(一五四〇) 信玄 二十歳
  長野県南佐久郡南牧村
  城将 平賀源心
一月十六日、晴信は板垣信形ら約五千の武田軍を統率して三方から海尻城に攻め込み、難なく城を奪った。小山田信有を城将とする武田軍五百余を残して甲府へ引き揚げたが、同月三十日未明、敵勢が城を奪還しょうと攻め寄せた。奇襲を知った晴信、ただちに行動を開始して正午ごろ、城を包囲した敵軍に攻め入り三百十三人を討ち取って追い払った。晴信、警固のため城に数日逗留して二月七日ごろ甲府へ帰陣した。
〔注〕海尻合戦は『甲陽軍鑑』が原本。信憑性は薄い。
武田の戦い 小荒間の合戦
  天文九年(一五四〇)信玄二十歳
  山梨県長坂町小荒問
  城将 村上義清
 二月十八日、北信・葛尾城主村上義清の属将清野、高梨、隅田の侍大将が率いる三千五百余の信州勢は甲州に越境、八ヶ岳山麓の小荒間の番所を攻めた。武田軍の足軽大将多田三八(のちの多田淡路守満頼)の手勢は夜更けを待って残雪の原野を徒歩で敵陣に忍び込み、晴信ら武田方の本隊が駆けつける前に、七十二の首級をあげて信州勢を敗走させた。
〔注〕『甲陽軍鑑』のみ記載。

武田の戦い 韮崎合戦

武田の戦い 韮崎合戦
 天文七年(一五三八)信玄十八歳
 山梨県韮崎市韮崎町塩川河原
 敵将 諏訪頼重・小笠原長時
七月十九日、信州の諏訪板重、小笠原長時、の連合軍九千六百余が甲州へ越頃、韮崎の河原で晴信の武田軍と合戦。一日に四度激突したが、武田軍の猛攻の前に信州軍は二千七百四十八の遺体を置き去りにして退去した。
〔注〕晴信二番手柄は『甲陽軍鑑』の記載が原本になっている。
武田の戦い 海ノ口城攻略
    天文五年二五三六) 十六歳
    長野県南佐久郡南牧村
    城将 大井貞隆 援将 平賀源心
  十一月二十一日、父信虎に従い初出陣。八千余の武田軍は海ノ口城を包囲。大雪と必死の抵抗に阻まれて三十四日間、数回にわたり攻撃したが落城せず、信虎はあきらめて帰館する。途中、晴信は三百余騎を引き連れて海ノ口城へ引き返し、油断していた大井軍の虚を衝いて一瞬にして城を攻め落とした。
〔注〕晴信初陣の記録は後年作の『甲陽軍鑑』『武田三代軍記』によるもので確証はない。

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