高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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一方元寇の役に話を戻します。
元の大軍を滅ぼしましたが、論功行賞で武士に土地を与えなければ成らなくなり、北条幕府は、土地を確保する為に、戦いが多く成りました。権力者の一族以外は排除されて行きました。
村人たちには信任されていました。

赤阪城の周りはどうだったかと言うと、文化会館前に楠木正成の誕生の地と言う石碑が建って居ます。NHKの太平記が始まった頃、楠公遺跡の柱跡の報道がされました。
それらの資料は、資料館に保管されて居ます。
館内には、右手の展示品が、山伏の修験道の人たちの衣装が在ります。

千早赤阪村水分は、田の無い地帯です。楠木正成の職業は何で有ったのかが問題です。
伝説では、和泉の国若松荘で、輪川寺に入る年貢を、奪略を行っていた事が書かれて居ます。
私は今で言う、物流の支配者であったと思います。播磨の赤松則村や児島高徳・佐々木道誉など
と交流が有りました。九州地方との水運や交通の利用者として交流してきました。

楠木正成は、国府を中心に、大和川より流れて、大阪潟へ流れ込む、恩智川などを使って、川を
支配してきました。大和川からは大阪へ向けて、恩智川・玉串川・平野川・久宝寺川などが流れて
いました。管理は弟の正季(まさすえ)に任せて居ます。

大名は土地を守っていたので「一所懸命」と書いていましたが、今では「一生懸命」と書きます。
楠木正成は、土地持ちの大名がハード面としたら、ソフト面を持った大名で有ったと考えるのが判り易いと思います。

平成14年秋に、赤目四十八滝の民宿に泊まりました。
付近に布引の滝が在ると聞いたので出かけました。話の通り、布引と言う表現のように、さらさらと流れていました。延寿院と言うお寺が在り、国宝「日本三不動」の一つ赤目不動が祀られていると、聞き出かけました。不動院に安置されていて、伝教大師最澄の作と伝えられています。

お不動さんがそんなに種類が有ることを知りませんでした。
滝谷不動が「目赤不動」と言う事は知っていました。富田林の滝谷近く嶽山に、願昭寺が在り、「目白不動」が在りました。

五色の不動尊が在ります。赤・黒・白・青・黄です。中国では黄色が中央で、その他の四色が方角を現しているそうです。赤→南、黒→北、白→西、青→東です。
東京では、目黒と目白が在りますが、東と南は海に面しているので、無いそうです。

お寺には、良く「院」と言う名前のお寺が在りますが、それはお寺の下にある塔中に当たるものです。
今回「延寿院」と言うので、お寺は無いのか調査しました。たまたま居られた、副住職の松本さんに
お話が聞けました。天台宗の聖王龍寺と言うお寺ですが、織田信長の伊賀の乱で伽藍が焼失し、
延寿院だけが再建されました。その結果、融通念仏宗のお寺で在る事が判りました。



高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。


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