高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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ノバティー北舘の入り口付近に、高野街道の道標が建って居る事を聞きました。
一里塚のある場所に、道標は建てられて居ます。ライオンズ倶楽部の寄付で立派な道標が出来ま
した。しかし内容に間違った箇所が在ります。西・東高野街道の合流点では問題ありませんが、内容に少し間違いを確認しました。又、ふれあい考古館でも「中世の土器・陶器」の展示がされて居ますが、間違いを指摘してきましたが、お互いに思い込みが在ると思います。

今回の石碑では、高野街道の合流点が、わざわざ括弧して「長野町」と書かれて居ます。正式に書くのであれば「古野町」です。
又「里道標」との表示ですが、「道標」と言うのは、道の別れる所に存在して、行く先が書かれて置かれた物です。又後何里で高野山へ付くと書く所では「町石」と言います。
今回のように道の別れる所でない所には、「里程標」が正しい言い方です。
里程標の在るところは、一里塚が在った所です。

又文章の中で、「天皇」が高野山へ参詣されたと書かれて居ます。
平安時代には、一度も天皇は京都から外へは出られていません。参詣は上皇(法皇)に成って初めて実現して居ます。天皇が京都からでるのは、非常時の時意外は在りませんでした。
素晴らしい物が造られて居ますが、三箇所の間違いは残念です。
民間が建てたものに付いて、おせっかいと思いますが、難しい問題です。

女人高野と言う言い方は、金剛寺さんを指しますが、よく知られているのは、大和の室生寺です。
室生寺には、平安初期の素晴らしい仏様が在ります。中国からの影響を残しているお寺が在ります。女の人が高野山へ参詣することが、明治時代始めまで禁止されていました。

その時高野山へお参りできなかったので、室生寺へお参りされたと言われて居ますが、本当は、徳川綱吉の時代に、母の桂昌院が仏教の信仰が厚く、室生寺に墓が在りました。
その為に女官を始め女性が沢山お参りされていたのです。


高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。


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