高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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高野街道気まぐれ補足別館を拝見しました。

14日現地での現地説明会の話を聞いて居たので出かけて見ました。

13時からの説明会には60名以上の方が来られて居ました。全員で150名ぐらい来たそうです。
今回の新聞記事は、北海道新聞や駿河新聞などにも掲載されたようです。

河内長野市教育委員会小林さんが説明して呉れました。

中世の城は天守閣が在りませんでした。烏帽子形城は、東側は山の麓を、
東高野街道(現地説明ではこういっていますが、高野街道の間違いかな)が走り
更に東側を足見川が流れて居ます。反対に西側は石川が流れて、北側で合流して居ます。
北側には広く開けて居り、交通の要衝です。


烏帽子形城が造られたのは不明ですが、伝説では楠木正成が築城したと伝えられて居
ます。
その後何回か改修の跡が見られて居ます。特に最終に改修されたのが、天正12年
(1584年)
豊臣秀吉が根来攻めの為に、岸和田城主中村孫平次に改修を命じた記録が残されて居
ます。

天正12年は大阪城の天守閣が造られて居ます。
今回の調査では、平成17年から現地発掘の調査が行われて来ました。
昨年掘った所。地下構造物が出て来たので、今年更に掘り進めました。
皆さんは堀の道を歩いて来て頂きました。丁度曲がる所が狭くなって居り、
虎口に続いて居ます。自然の地形を利用した中に手を加えて居ます。
現在の黄色い色の土は、時代で溜まった物です。下には岩盤が在りました。
堀底から高まりが見つかりました。岩盤まで掘ると1.1mの深さと成りました。
堀の中には5m置きに深くなって居り、敵の侵入者を留める役割が在りました。
一般的に堀内障壁と呼ばれて居ます。

空堀の中を侵入して来た敵は、土塁で防止されて、城の守りを固めて居ます。
関東地方では堀が広いと、「障子掘り」と言う工法が使われて居ます。
北条氏が得意とする技術でした。西日本では大坂城以外では見つかって居ません。
当時の新しい工法でした。
北条氏の技術を継承した集団が居たと考えられて居ます。


今回の出土では瓦や丸石が出土して居ます。多分外から持ち込んだもので、
今回の発掘を含めて「ふれあい考古館」で第36回テーマ展示
「高野街道沿いの遺跡」展を行って居ますので、帰りに見て下さい。


書かれて居た内容と同じような物でした。


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