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そこで次の歌と地蔵尊、五輪塔からして此処の寺は南光寺であったかも知れない。
ヒノのナコジのカラタキ藪でオコヤ恋しのトリがナク。 この歌から、久保長者の子息と南光氏の娘の恋物語が思い出される。
今もこの物語と歌が伝わっている。そして南光も久保もその姓は現存している。南光寺の娘オヤコは絶世の美人であった。
布施を乞う修行僧や、乞食さえも差しのべた優しいその手をおし戴いたということである。此娘と久保長者の小金丸と兼ねてから婚姻が整っていたが、ある日修験風のの武士が南光の家人の不在に乗じてオコヤを犯したので是を恥じたオコヤは自害して果てたので、小金丸はこれをきき南光寺方に走り来ると小金丸宛の一通の遺書を示され是を読んで非常に悲しみその心を哀れみ、自分も彼女の後を追って自害して心中立をした。
この為両家に於て供養をしてそこに二基の五輪塔と石地蔵を刻み祠を建て祀ったと云う話である。
又此藪の川辺より東西に二つの金を掘った孔があると云う。久保長者が川の東と西の二ヶ所を穿って金脈を探したが見当たらず身代を潰したそうである。
中ノ階の上方に日野谷城の出城、塩ノ山城塞があった、川向かいの横大道を正面に眺め、敵兵を弓矢で迎えるのに適当な要害であった。
中ノ階の北の坂道を塩跡坂と云ってその下は古坊である。南浦ノ坂を駈けおり坂、川を越して紅葉坂、此処に毎年十一月廿五日に汐滝の主を鎮封する行事をし、神縄かけと云って大〆縄を張った。
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