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古文書からこの村の歴史を繙く(ひも解くという難しい字を使いました)と言う話を
します。合わせて、池尻村の、水と信仰に付いても話します。
村と言うのは、行政や暮らしの単位です。又その中に共同体と言う一面も持って居ます。
(一) 始めに池尻村とは
池尻村は、河内国丹南郡、現在の大阪狭山市にあった村です。村域の南には狭山池が在って、北辺には狭山池中樋筋の水を受けて、下流の村々に配水する大満池が在ります。
狭山池の北側には、池尻村が在ります。池尻村は東西に集落を持って居ます。
又村内には狭山池を管理する、池守が居住していました。現在の高野線の東側に、狭山藩の
上屋敷が在り、市役所付近に、狭山新宿と言う、池守の人たちが住むところが有りました。
又旧狭山遊園地付近には、下屋敷も在りました。
狭山藩は、文禄3年(1594年)秀吉の時代に小田原の北条の流れを汲む、北条氏規(うじのり)の領地と成り、元和2年(1616年)徳川幕府に認められて、北条氏信が陣屋を設けました。
○ 狭山藩陣屋上屋敷図
明治29年(1896年)の物です。幕末から明治2年頃の狭山藩陣屋の状況を描いた物で、
上屋敷内に在った、御庭池(口ばに池)も描かれて居ます。
御庭池は天和6年(1620年)に狭山藩の堤防が決壊した後に出来た池である。
南から「上池」「中池」「下池」に分かれて居ます。池の機能は一体のもので、口ばみ池の北西方面の田地を灌漑していました。
高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。
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この前はどうもありがとうございました。
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2008/4/30(水) 午後 6:57 [ みさき ]