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私はふれあい考古館で、肥前の水甕の展示品を見に行きました。現在進行中の烏帽子台の工事で、昔マンションの計画が在りました。バブルがはじける前で、文化財のトレンチが行われました。白磁の土器の破片が出てきました。甲山一帯は遺跡の宝庫です。大阪スタジアムが過去此処にマンションの建築計画を持っていましたが、試作掘りで止めに成りました。
その後、私も土地の表面に何か無いか、土器の欠片を探して歩きました。あぜ道には、土器の欠片とかサヌカイトの破片が出土していました。当時の生活の痕跡の土器が在ると考えていました。甲山一帯で、口径70cmぐらいの水甕が口を開けていました。
多分下の池から、水を汲んで農業用水として使っていたと思います。大きな物は肥溜めとして残されていたのを四個確認しています。立派な土器では在りませんが、山の上にも残されていたので此処の在ったお城に関係が在る物ではと考えていましたが、造成の為にショベルカーで掘り起こしていました。この文化財の調査を河内長野市へ依頼していましたが、聞いていただけませんでした。動きが鈍いのが現状で、残念です。
最近も大きな水瓶が残されており、口径1mくらいで、肥前の焼き物でした。深さが1m以上でした。
それは10年前に発見された物で、Mさんの家の跡でした。表面にコールタールが塗られており、価値が分らず、割られた気配が見られ、700年前の須恵器の流を組む物と思いました。
表面に「村上」の様印が刻まれています。窯印が在るのは戦国時代以前の物と思われるのです。
私の考えでは、城の関係する甕には、一石・二石の大きな甕が出土しています。
池の周りのあぜ道にフエンスが張られて、入り口が出土した状態で埋められていました。
私も毎年、日生・伊部の駅前の備前焼物博物館へ出かけています。
そこで見たのが、500年前の室町時代の窯元の印が入った物が在りました。
そこで城に関する思いをレポートにして纏めていた物が在りました。たまたまT・Mさんと一緒に現物を確認に行きました。Tさんは地元町会で早速話していただけました。
持ち主のMさんの話が聞けました。父親が購入して、家の水甕に使用していた物で、その後畑に出して、水甕として使い、その後肥溜めに成ったそうです。
寄付の話が纏まり、市に供託する事に話が進みました。郷土資料館の入り口で展示されていましたが、肥溜めに使用していたので、匂いが強く現在は収蔵庫に保管されていて、三石入りの大きな物でした。金剛寺で保管されているのは二石入りの甕です。様印の残りが在る、貴重な物が保管できました。
その後、持ち主だと言うおばあちゃんが現れました。自分の家は畠山の家臣で、城を預かっていて、土地をMさんに譲ったと言う事で、所有権でもめましたが、たかが水甕にも歴史が出てくると凄い話と成ってしまいます。お宝だと分ると、初めて色んな話が広がる物です。
地元の方の話を聞いてもいろんな事が在ります。
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ふれあい考古館は普段から人が少ないです。私もたまに行くのですが、河内長野市も財政が苦しいらしく、発掘する予算もないみたいです。もっと遺跡などを増やして市の観光でもしたらいいと思いますが、腰が重いみたいです。
2008/4/29(火) 午前 9:39