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河内守護職畠山氏の戦い
錦部郡絵図 天保8年(1837年)を見ていただきます。(天見・流谷地域の中世を探る2参照)
高野街道沿いに、石仏城跡が描かれています。
付近には烏帽子山城・金胎寺山城・嶽山城などの畠山氏の関係の城である。伝説では楠木氏の
城と言われていました。
高野街道は、和歌山沿いの紀州へ抜ける道です。三つの城には縄張りの跡が残されています。
紀州の場合は、根来寺の僧兵を見方に付けていました。秀吉の紀州攻めと烏帽子形城は、秀吉の天下統一の重要な拠点でした。
天正12年(1584年)徳川家康・織田信雄の連合軍として攻めました。
この時紀州の根来勢は、徳川・織田方に通じていたので、紀州からの防衛やあるいは進攻基地として、岸和田城主中村一氏に改修させていて、これが現在残されている姿です。
そこでタイムストップして残されています。
城跡からは、石の礎石跡が出ています。頑強な建物が在ったと思います。近世の城郭は、石垣が
造られています。鉄砲に対応した城郭構造です。近世の城では鉄砲に対する城郭造りが必要で
した。
烏帽子形城の城郭は、同じような構造で、瓦は出土していますが、石垣が造られていませんでした。
根来の鉄砲に対応した構造が造られていたと思います。
堀や空掘りも見られます。空掘りは、此中を兵士が走り回っていました。
全国的に見ても、市街地に近く、時代の判る物は珍しく、国の指定文化財にしたいと考えています。
千早城・赤坂城は、楠木氏の時代の物では在りません。戦国時代に改修されています。
高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。
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