高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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○ 慈尊院
弘仁7年(816年)弘法大師が、高野山開創の時、高野山参詣の要所に当たる当地に、表玄関として伽藍を草創氏、高野山一山の庶務を司る『政所』を置き、高野山への宿所並びに冬期避寒修行の場所としました。
高野山建設の金や資材を集めました。現在は紀ノ川の水害で流されていますが、高野山を造るための重要な場所でした。

どんな貴人でも此処から、高野山への参詣は、20kmの距離を歩いて登りました。馬や駕籠は使わせていません。

○ 弥勒堂(ご廟)
大師の母御前が承和2年(835年)83歳で入滅されたので、お墓としてご廟を建て、弥勒菩薩をお祭しています。21年に一回の公開しか行われていません。寛平4年(892年)に造られた仏像です。
国宝に指定されて居り、檜の一本造りです。

弥勒仏は、弥勒菩薩が一般的には、56億7000万年後、釈迦の救いに漏れた、人々を説教して
救済されると、言う考えが、大衆に広まりました。
右手は施無畏・予願印で、お釈迦様の姿です。お釈迦様の教えは、言葉では判らないので手の形で示しています。仏教の世界へ入るように呼んでいる姿だそうです。
蓮の台座は、当時の色が残されています。仏様の目が印象的です。

文化財を見ながら、三日市付近を通って行った話をします。
慈尊院の話から始めます。

弘法大師空海は、宝亀5年(774年)讃岐の国多度津で父は豪族佐伯氏の出で、母は中級の官僚の娘でした。空海には二人の弟が居ました。
15歳で、桓武天皇の皇子伊予親王の家庭教師であった、母方の叔父である、阿刀大足に付いて
論語・孝経・史伝・文章を学びました。

18歳で京の官立の大学に入り、官僚と成るための勉学をしました。大学での専攻は明経道で、
春秋左伝・毛詩・尚書などを学びました。
求聞持法を授かって、大学を中退して、紀伊・四国の山々を巡って、記憶力の増進を図りました。

経験の元で、宇宙と一帯と成り、宇宙より与えられた命を磨き、真言密教を求め始めました。
永貞元年(805年)長安の西明寺に入り、密教の第七祖である、唐長安青龍寺の恵果和尚を訪ね、以降、約半年に渡って師事した。学法灌頂・金剛界の灌頂を受けた。伝法阿闍梨位の灌頂を受けた。
恵果和尚が60歳で入滅されたので、日本へ帰りました。

国費留学は20年の期限が在ったが、2年で切り上げて帰っています。その時インド以東の真言密教を持ち帰っています。
恵果和尚は東の国日本へ帰り、密教の布教を行うように遺言していました。
当時遣唐使の船が、唐に入っていて、その船で帰りました。大同元年(806年)の事でした。
真言密教を持ち帰って、弘仁6年(816年)修禅の道場として高野山を開き、山の整備をしました。

同時に弘仁12年(821年)四国香川県の満濃池の補修を命じられて、決壊が止まらなかった、
護岸工事を成功させました。
庶民の為の『綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)』と言う、教育の門戸を開き、勉強学校を造り、
画期的な社会福祉・慈善事業を始めています。
仏教が社会福祉を目的にしたのは、鎌倉時代の仏教以降だと言われていますが、平安時代の始めに空海が日本文化の為に活躍を広げています。

承和2年(835年)3月21日入定しました。
空海を愛して信仰して、高野山を信仰してきました。1200年の歴史の中で、文化を育てて、高野山から発信してきました。

河内長野市は東・西高野街道が合流して、三日市宿が在り、高野山とは縁が深いところです。
又観心寺、天野山金剛寺と空海との縁も深いものが在ります。
特に槙尾山施福寺は、空海が1200年前に真言密教を習得して、大宰府から京都へ向かいましたが、平城天皇により、京都への退去命令(闕期の罪)がだされました。その一時期、施福寺で過ごして
います。

俊乗坊重厳は平安時代の終わりに、東大寺の再建を行いましたが、狭山池の改修も行っています。
建仁2年(1202年)の事です。各地に『別所』と言う資材・資金の中継基地を造りました。又高野山には新別所専修往生院を造り、聖の規律を図りました。
高野山との長い歴史の中で関わってきたことが判ります。
本日は高野山の魅力をスライドで見ていただきます。

大同元年(806年)平安時代、空海が中国に留学して、唐より帰朝後、密教の道場として高野山を
開きました。承和2年(835年)が伽藍の完成を待たず生涯を閉じられました。奥の院で入定され
ました。延喜21年(921年)東寺長者観賢の奏上で醍醐天皇より『弘法大師』の諡号が贈られて
います。

真言宗では宗祖空海を『大師』と崇敬して、その入定は死でなく、禅定に入っている物として、
高野山奥の院御廟で、空海は今も生き続けていると信じられています。
この様に存在して、人々を救済することがだと言われています。
天皇・貴族・庶民に至るまで、高野山を霊場として参詣してきました。

西・東高野街道のルートは、人々が通った道です。
高野山には1200年の歴史が在ります。様々な人々が宗派を超えて、お寺を造っていきました。
江戸時代は2/3の大名が、奥の院のご廟の近くに墓石を造っています。
天下の霊場として、名をはせています。日本有数の霊場です。

室町時代の頃、NHKドラマで山内一豊が活躍していた時、イエズス会のザビエルやフロイスが、
高野山に対して、日本有数の大きな寺で、日本全国から参詣者が来ていることが、当時のローマ
法王庁に連絡されていました。
2002年7月7日高野山は、大峯・吉野熊野三山(速玉・那智・青岸渡寺)や紀伊半島で、人々が
訪れる霊場として世界遺産に登録されています。

(五)  西除川を取り巻くため池群の役割

推古天皇の時代から歴史的な段階を踏んできたので、改修工事に先駆けて、大阪狭山市が発掘
調査を行いました。
沢山の土木工事の跡が出てきて、堤防に納められていたので、池の周りが、タイムカプセルとして
造られていました。

下流域には沢山のため池が在り、水は子池・孫池に溜り、水路で配られていて、ネットワークが出ています。

                                         以 上

(四) 重厳上人と片桐且元の改修

鎌倉・室町時代に入ると重厳上人が出てきて改修が行われました。
建仁2年(1202年)石棺で樋管を改修しました。堤の高さは10.2mまで大きく成りました。
今年は重厳上人の没後800年と言う事で、奈良国立博物館で5/28まで「大勧進 重厳」の展覧会が行われました。狭山池博物館からも重厳の改修碑が出展されました。

平成の改修で、北堤の護岸工事に使われていた石碑は発見されました。
重厳上人も社会事業に貢献されていました。石碑には行基菩薩の徳をたたえて、改修工事を行った事が刻まれています。
特に東大寺の南大門の作成と、国宝の運慶・快慶の仁王像を奉納しています。
山口県から関西へ掛けての大きな工事を行われています。

重厳の改修碑から判った事は、改修工事の仕事内容が克明に刻まれていました。
「謹んで三世十万の諸仏・菩薩に申し上げます」に始まり、「狭山池はその昔行基菩薩が64歳の時、天平3年辛の歳に初めて堤を築き、樋を伏せました。しかし年月を経る内に、崩れてしまいました。」

「ここに摂津・河内・和泉の狭山池下流にあって恩恵を受けるのは、50余りの郷の人々の要請により、建仁二年の年の春より修復を計画した。」
「2月7日初めて土を掘り、4月8日に初めて石樋を伏せ、4月24日に工事を終えました。」
とか書かれていました。

その後、壊れて石碑も捨てられて、護岸工事の材料として使われていました。
工事は2月の水が不要なときから計画して、4月に完了して、5月の田植えの時期には完了させていた突貫工事でした。特に摂津・河内・和泉の三箇村からの要請で、沢山の人を集めた事が判ります。
又50余りの村に水が配られていた事が判ります。

平成の発掘で判った事は、石棺のリサイクルで護岸工事の中に石碑が発見されました。
書かれた内容から、木管が石棺に変えられた事です。
「良く坊さんが石棺を使用して罰が当たらないのか」と言う質問です。
本来は墓を暴いたのでは無く、当時の古墳群を農業用地に、開発したとき出土したものが流用されたと思われ、再利用できるものは使うと言う考えが在ったと思います。

片桐且元は、近江の国の生まれで、豊臣秀吉に使えた。関が原の戦いでは秀頼を助け、徳川家康との調整役でした。狭山池とは、河川流域に水を配る重要な拠点であり、高級官僚が関わってきました。

木製枠工
取水塔の西側から出土していますが、慶長13年(1608年)改修時に造られたと思われるが、樋を
伏せる時の、オープンカットされた部分の補修に使われたと考えられます。一部地震との関係も充分
考慮する必要が在ると思われます。又、伏見大地震は1596年に起きていて、狭山池の堤にも、地震の跡が残されています。

それだけ狭山池は、農業用水としての役目を持っていました。
現在は農業用水としてのみならず、治水ダムとしての役割を持っています。
水を多く溜める為に、平成の改修は行われました。又底の泥を排出しています。


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