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しかし皆さん、楠木正成の人物像を想像してください。出来れば皆さんが、ハイキングで、楠公の足跡を辿ってください。
平成3年には「太平記」がNHKテレビジョンで放送されました。
当時の出演者はご存知のように、楠木正成は武田鉄矢・足利尊氏は真田広之・後醍醐天皇が片岡孝夫・護良親王は堤大二郎・北畠親房は近藤正臣・北畠顕家は後藤久美子さんでした。
護良親王の「良(よし)」は、昭和天皇のお后である「良子」と同じで「ながこ」と呼ばれる。
北畠顕家は堺市石津の辺りで討ち死にしています。俳優の演技も忘れましたが、赤坂城が
落城する場面は記憶に鮮明に残っています。
伊賀の里の服部家に、猿楽一座の花夜叉が逗留していた。足利尊氏が伊賀へ進軍して、幕府勢力の掃討を始めていた。そこに赤坂城の落城の話が届きました。
伊賀では各所に関所を設けて、楠木正成の検分が始まった。能楽の観阿弥の母(河内国玉櫛庄橘入道正遠の娘)は、楠木正成の妹であると言われている。
土肥の武士たちに取り囲まれて、関所で検分されるが、北条尊氏との間に心が通い合ったので逃がした。
北条尊氏の政治理念は、後醍醐天皇が勧めた、村上天皇時代のような天皇主導(武士を排除して天皇や公家で政治を行ないたい)の政府を目指した。その結果建武の親政が実現した。
武士が力を付けた平安時代は400年間続いている。又江戸時代も徳川幕府が300年の歴史を持っている
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