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高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。
武家の肖像です。武家といっても色んな階級が在り、下級の武家の物は残されていません。原点として出されるのが、源頼朝です。
神護寺の「伝源頼朝像」で、神護寺略記・仙洞院に残されて物です。しかし作品はこれだけです。
内容に、奉安置後白河法皇御影一幅
又内大臣重盛卿、右大将頼朝卿、など4名の御影が在る事が判ります。又右京権太夫隆信朝臣
一筆方図の者也と書かれており、似絵の名手藤原氏系図の元祖となる人です。
頼朝卿の像として言われてきましたが、現在はクエッションの物です。隆信の作と言われていますが、鎌倉時代以降の作風です。
現在では鎌倉幕府の副将軍足利直義であると言われる物です。
右兵衛督の守がこの様な状態ではないとの見解です。右大将の像ですが、覆す意見として、直義像である意見が浮上しています。
又筆の運び、絵の具の顔料からも、南北朝時代の夢窓疎石像と同じ物です。
東山五文庫の宝永4年(1345年)足利尊氏・義詮の像を奉納したと描かれています。死後の菩提をと貰う為に描いています。資料4 の上段の中央には、神護寺に在る、平重盛像が残されています。
顔立ちが似ています。
足利将軍家の位牌所である、立命館大学のキャンパスに在った等持院に在ります。義詮(義則)以降の15代将軍の位牌が、後ろに木造の像と顔が良く似ています。
しかし義満は、大臣御影に書かれている物とは、極端に違いが在ります。
下膨れで、目じりがつりあがっています。左の似絵では、下がり目で、顔の輪郭が違います。
南北朝時代の物だと言われて、最近の10年前より問題視されています。
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