高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。


大臣御影に書かれた物は、説が在るといわれています似絵の代表的な物ですが、作品として国宝ですが判定が難しくなっています。似絵の紹介をした物が多く在りますが、中央右に在る、大宰少貳・武藤景資像を見ると、「蒙古襲来絵詞」によると、無馬具足似絵ですが、馬や具足は偽絵です。

蒙古襲来の合戦を終えて、首実験の場面です。首が二つ書かれています。
武藤と言うのは、九州に多い名前です。本来は武蔵の守で藤原姓でしたが、少貮しとしてしまいました。家の代々の官職を氏としました。最後は島津氏に滅ばされています。
総大将の姿です。高崎御陵が描いています。最終は地頭と成っています。
似絵の左側には馬の顔も描かれています。似絵でスケッチであると描かれています。

奥書には、騎兵500騎の大勢力でした。当時の御家人では50〜100騎が普通でした。
九州では100〜200騎の物が多かった。恩賞に預った時に「似絵」に表記されています。
右下には多く残されている三好長慶の像が在ります。徳島安房の人で、主は細川且元です。
盟主の細川氏は没落しています。代わって三好氏が頭角を現しています。
信長の時代に、松永弾正は近畿を支配した人です。堺を拠点として支配したのが三好氏です。
堺は自治都市といわれてきましたが、三好氏が裏で支配していました。

長慶の三回忌の法要の時に飾られて物で、重要文化財です。永禄9年(1566年) 聚光院が所蔵しており、笑嶺宋?殕が賛を書いています。
一介の細川の家老ではなく、近畿の覇者である三好氏の姿です。

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