|
高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。
現在、NHKでの放映で、話題の両雄の肖像をお見せします。
左側が上杉謙信像です。右側が武田信玄像です。
左の謙信公の姿は、女性の顔立ちです。禅宗の僧の形を描いています。
左下の絵は、弘法大師の格好をしており、阿闍梨権大僧正の格好です。当時のお坊さんは、色んな宗派に属して勉強されており、学んでおられました。一つの宗派に属したのは、新しい話です。
大馬印は「毘」と言う字です。法衣に太刀を持ち、腰刀・軍扇を配した上杉謙信像を見てください。
畳は、「繧繝縁」です。この当時は天皇以外では在りませんでしたが、尊厳を持っていました。
京都へもお忍びで二回訪れています。公家に土産を持っていった事が残されています。
そこで認められた特権を描かせていると思います。
左下は弘法大師に似せて描かれた物です。本人の前には、三鈷杵等の祈祷具が描かれています。
多分に自分と弘法大師を重ね合わせて描いた物だと思います。
おいの景勝に位を継がせています。伝説では、生涯妻を娶っていないので、女性ではなかったかと言われています。本人も義理堅く、女性を生涯近づけていませんでした。
右側は上段の絵は、伝武田信玄像です。でっぷりと肥えて、貫禄が在ります。出家して入道の姿です。絵には落款が在り、晴信と言われています。長谷川等伯の若い頃の名前です。
彼はそこそこの大名の絵を描いています。
描かれている刀の紋が、「武田菱」ではなく、足利系の分家で、畠山義続家の家紋「二引両」言う物です。分家で能登の七尾城主でした。
又、描かれた年代が、長谷川等伯の10歳の時です。信玄公は当時既に出家していました。
下の像は、高野山成慶院に原本が残されています。出家前の像です。右下には冑が見られます。
戦国武将の姿が描かれています。高野山では、伝吉良頼康像として、伝えられています。
しかし、この絵の家紋は、武田菱です。
高野山には、武田勝頼の墓が残されています。
似絵の伝承では、いろんな人の名前が出されています。
上杉家は生き残りましたが、武田家は滅んで行きました。
|