|
朱雀天皇が、源氏物語の「源氏の君」のモデルと言われています。しかし途中から藤原道長に代わってきました。紫式部は小説を書くときに、紙と筆が大量に必要で、当時としては
非常に高価な物でした。そこで藤原道長がパトロンと成り援助したようです。
征夷大将軍の称号は、武家の棟梁と成る将軍は、清和源氏に連なる家系に限るとの認識が
在りましたが、源頼朝を始め源氏です。足利氏は源氏の本流といわれています。
織田信長は、織田家が平氏の家系で「征夷大将軍」には成れなかったといわれるが、彼は
天皇より偉いと考えて就かなかったとも言われます。
徳川家康は、系図を偽造して清和源氏と称したエピソードを持っています。
織田信長は明智光秀の為に、本能寺で一万二千の兵士に囲まれて殺されましたが、遺体は
出ていません。
その時三男の信孝が居ましたが、孫の三法師丸を、秀吉が抱いて登場して、次の天下人と
成りました。しかし秀吉は、関白の方が上位であると、征夷大将軍には成っていません。
その後、三法師丸は、秀吉の養子と成っています。織田秀信と改名しています。
徳川との戦いでは、豊臣側に付いています。
高野山に蟄居後は、高野山麓の向副(むかいそい)で波乱の生涯を閉じました。
鎌倉幕府の執権北条家が世の中を納めるのは良くないと、後醍醐天皇が立ち、楠木正成が
従いました。足利尊氏も精神的には天皇の考えに従っていたので、楠木正成が旅回りの一座に匿われていたのを、見逃しています。
「人の為に死ぬのは。犬死とは申さず」と言っています。国のため陛下のためと言う考えです。
|