高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。


政略の犠牲 織田姉妹の肖像を話します。

右上は浅井長政夫人「お市」の方です。三人の娘を産んで、柴田勝家と再婚しています。
茶々は浅井の血を残す為、秀吉と結婚しました。

左上の絵は、お市の方の妹である、細川昭元夫人像です。小袖で内掛けの姿です。
信長の末の妹で、細川本家の昭元夫人です。「お犬の方」と言われました。
天正10年(1582年)亡くなりました。昭元は細川且元の五代孫です。政略結婚で再婚です。
信長は北近江を守らせています。

最後に下段には、戦国大名夫婦の肖像です。
細川幽斎夫妻で、戦国時代から江戸時代の前期に生活しています。天授庵の所蔵品です。
お堂は南禅寺の付近で、徳川家康のブレーンの一人です。三回忌の法要の時、以心崇伝が賛を
入れています。

元和4年(1618年)遺言に残されていました。仲の良い夫婦で、双幅として残されています。婦人は
隈川宿の大名沼田光兼の娘です。
細川忠興のお母さんで、キリシタンとしても有名です。細川家の雰囲気が判ります。
幽斎は京都で生まれていますが、7歳で和泉半国守護細川元常(父の兄)の養子と成りました。

子孫の細川護煕(ほそかわもりひろ)79代の総理大臣は、旧肥後熊本藩主細川家の第18代の
当主です。戦国武将細川忠興の子孫です。

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