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○ 村の形
「加太新田之図面」宝永6年(1709年)の物です。
池尻村は河内国の南部、丹南郡に所在する。狭山池のすぐ北に位置して、村の南端を東除川・西除川が流れて居ます。東西の段丘の上に東池尻・西池尻の両集落が在ります。東側の段丘や平野部には水田が広がります。用水源は、主にため池です。西側の段丘には水の便が悪く、
畑が広がって居ます。両集落は人家が密集した集村で、今でも古い家並みが残されて居ます。
絵図は江戸時代の後半の物で、狭山池の水係が書かれて居ます。
絵図には、中樋と大満池が描かれて居ます。又亨和2年(1802年)の河内国御領分明細書には、
狭山藩の由緒や樋役人が住む新宿に付いての記載が在ります。
池尻から出る水は、上地・下地・西山の三つの水系が在ります。
「村地畝高宛米名前帳」では、古くから村が所有する田地が在り、決まった人が耕作を請け
負って作業した事がかかれて居ます。
又「池尻村家別帳」では、村内の住人の持高と家屋の大きさが記入されて居ます。
「五人組名前帳」では連帯責任を求めて、組長と他の四名の名前が書かれて、村の小さな下部
組織として、治安などに役立てていました。
墓は村単位で造られていて、二箇所有りました。・狭山池大満池の在る、東池尻と、大鳥池の南西に在る、西池尻です。
1716年以降、墓が手狭に成り、墓の拡張が依頼されました。墓は村の共有地で、藩に届出が必要でした。
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