高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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地図の写真を探したのですが見あたらなかったのでまんまを使います。
大阪府狭山池博物館の資料です。

○ 村の暮らし
江戸時代の村には二つの性格が有りました。支配の末端としての村と、人々の生活の名としての村が在ります。年貢は村を単位として集められて、領主に納められました。
年貢を一時保管するために、郷蔵が建てられていました。又村には共有地が在り、その土地の樹木の伐採には厳しい掟が有りました。

池尻村絵図
明治時代の物で、三つの池が書かれて居ます。東西の池尻が書かれて居ます。
狭山陣屋には、蓮池が書かれて居ます。陣屋の東側には大満池が在り、付近を電車が通って
居ます。新池もいくつか描かれて居ます。

北野田駅前付近には、擂鉢池・中池・すずめ池、池尻村の領域であるが、水を流す為に、土地の高い所に池を作って居ます。
その為に富田林村にも池を作って居ます。

洪水や旱魃の時には、税の免除がされていたのが詳しく書かれて居ます。
年貢の免除は、南河内狭山藩として書かれて居ます。
又年貢米を一時貯蔵する為に、池尻の田中家が有りました。
その上に不便で有るので、東池尻にも作るように要求が出されて、二年後に造られて居ます。

しかしその要求に対して、地味なものを造るように、請け書も出されていました。
又村で暮らす上では色んな共同作業が在ります。共有地の松林の下草刈りはしては成らない等、自分たちの決まりを庄屋へ提出して居ます。

火事や非常時の対策の取り決めは「地下定め」と言います。
忙しい時の手伝いや細かい事が取り決められました。
又家督相続では、分家を余りしないように制限して居ます。

正面の絵図は3m以上の絵図です。江戸時代半ばの「加太新田之図面」宝永6年(1709年)6月作成されて居ます。

中心は富田林市内が描かれて居ます。新池・八雲神社が描かれて居ます。
縮尺はめちゃくちゃですが、享保時代に新しく開発された新田の絵図です。
池尻村の東側に接している甘山村の新田開発して出来た物です。

開発は遅れていました。
五軒家の集落が描かれて居ます。ため池の様子が詳しく書かれて居ます。
「甘山村・池尻村領堺之江図」が残されて居ます。又関係の古文書では、甘山村・半田村に
囲まれていて、境界線で揉めていました。万治2年(1656年)に甘山村が池尻村に対して、
土地の境界を訴え出ていました。

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