高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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楠公を偲ぶ4

楠木正成の仕事を考える中で、日本の苗字に関する事があります、源氏・平氏・橘・大江・藤原・菅原などが在りますが、中臣鎌足の息子に、藤原不比等と言う人が居ます。奥さんに県犬養橘宿三千代(あがたのいぬかいのたちばなのすくねみちよ)人が居ました。通称は
橘三千代と名乗りました。蛇足ですが、当時犬の肉は大切な蛋白源でした。

石川の流が富田林を過ぎた、古市の付近(河内国古市郡)に三千代は、住んでいたと言われています。
729年(天平1年)藤原麻呂が当地で捕獲した「天王貴平知百年」の瑞字の在る亀を献上しています。その為三千代は、続日本書紀には、「内命婦正三位」の称号を貰ったと書かれている。付近は税金の免除が行なわれています。

当時は稲作が行なわれていて、稲作の豊凶で格差が出ていたと考えられます。そのために
稲作が不作であると死を意味して、「散所長者」の一人が楠木正成でした。

平成14年の秋に、赤目四十八滝を訪れました。延寿院と言うお寺が在りました。日本三大
不動の一つである、赤目不動が祭られています。
友達が近くのゴルフ場で集まり楽しみましたが、伊賀と甲賀(信楽)の丁度中間地点で、
「おとき峠」(昼飯を食べる峠)で自動車道路が走っています。
昔は、千早古道・在宅道の延長上でした。私は延寿院の不動明王が見たかったのですが、
時間が遅くて見られませんでした。

たまたまそこに居られた副住職の松本さんと言う方にお話が聞けました。
天台宗の聖王龍寺を言うお寺でしたが、織田信長の伊賀の乱で、伽藍が焼けたそうで、延寿院だけが再建されたそうです。東大寺の末寺で、現在は融通念仏宗のお寺でした。

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