高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。


当時の天皇は、天台か真言のどちらかに関わっています。そこで密教のお坊さんの姿「法体」です。襟が僧坊襟で、三角形の衣です。

後白河天皇の住まいの、法住寺殿は京阪四条の三十三間堂の在る、後白河上皇の御陵の付近で、現在のパークホテルに宮殿のお堂が在りました。
院政の時代には、上皇は鴨川を越えて、北白河・岡崎付近で、鳥羽の付近に住んでいました。
京都郊外に上皇は住んでいました。京都の中心には天皇が住んでいたのです。

歴史上は、平清盛を手玉に取った人です。木曾義仲を利用できる時は利用して、源頼朝が天下を
取ると、義経を利用して権力を残してきました。武家同士の争いを利用して権力を残しています。
凄い顔が表情から読み取れます。
神護寺に古い絵が在り特徴は頭長が平らです。

後白河法皇像は、右側が左側の絵を基にした為信の作です。法住寺稜の中の三昧堂にお祀りされていた、仏像の中に納められていた、胎内画です。現在は宮内庁が管理しています。天皇陵からの出土品は、ずべて宮内庁が管理してきました。ここでも僧坊襟が描かれて
います。

この絵には裏書が描かれていて、為信の筆で応長元年(1311年)6月13日と書かれています。
基にした絵を写した物です。忠実に再現されています。
右側の天子御影に残されているのは、為信の筆で、芸術・美術的な物では無く、信仰の対象と
して作られた物です。
後白河・後鳥羽・花園と見事な作品が残されています。

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