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高野街道を往来する中世の人の中に、高野聖が居ました。
平安時代から鎌倉時代に掛けて、高野山から出て全国を巡りました。
弘法大師の信仰と、高野山参詣及び納骨を進めて、遊行者が諸国を勧進していきました。
焼亡退廃した大堂舎を再興して、納骨と宿坊によって、参詣人を集めて高野山の経済と維持を進めてきました。
僧には三つの型が在りました。
学侶型:仏教原理を研鑽する人たち。
行人型:実務方で勧進を進める人たち。山伏
聖型 :一握りの聖人を目指す人たち。
高野山が火災に合った時は、再建に活躍したのが、実務型の人々です。
1149年源平の合戦が始まった。落ち武者や世捨て人が高野聖と成りました。
しかし有名な高僧たちも出てきました。
俊乗房重厳:(1121年〜1207年)狭山池の改修、東大寺再建などです。
西行法師 :(1118年〜1190年)「願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」
紗門蓮待、熊谷直実入道蓮生、佐々木高綱入道了智などが居られます。
勧進聖・高野聖と言われる人たちが、高野街道を下り、全国へ旅をしました。
鎌倉時代中期までは高僧も出かけましたが、戦国時代以降は差別化されて、乞食のクラスに落ちていきました。
高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。
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