高野街道記気まぐれ補足 別館

主に高野街道、河内長野付近を中心に書き込んでいます。こんな事を知っているといった方はご教示頂ければと思います

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池上曾根遺跡の大型掘立柱建物の年輪年代

大阪府和泉市の池上曽根遺跡の中心部では、1995年発掘が行われて弥生時代中期後半の大型掘立柱建物が出土して居ます。大型掘立柱建物は、桁行10間の物で、柱穴26個が出て檜木材15本、欅材2本でした。柱根を5本選定して年代測定を行いました。

計測結果は、ヒノキで紀元前52年に伐採された物と判りました。
この建物は多くの学者が、実年代で西暦1世紀後半頃と推定していましたが、この檜木の計測結果、約100年も古く立てられたことが実証できました。
同時代を世界史の観点から紐解くと、クレオパトラの時代です。年代を明らかにする努力も大切であると考えます。

狭山池遺跡の大型木樋の年輪年代

狭山池は大阪府の南部、和泉丘陵と羽曳野丘陵の間を流れる西除川をせき止めて造営された溜池です。北堤の下から排水管部分の木樋が上下で二段に亘って出てきました。
高野槙で造られた配水管は、直径が60〜70cmの太さで、内側をU地形に刳り抜いた物で、樹皮型のサンプルが取れて1995年計測して、616年伐採された事が確認できました。

又上段から出土した、大型船の材料を使用した檜木は、1600年代に伐採された物で、豊臣
秀吉の家臣の、片桐且元が改修した時代と合致しました。

高野槙の木樋は、7世紀始めの築堤と言う事が実証でき、聖徳太子時代に切られた木である事が判りました。

年輪年代測定では、一部を切り取ることが出来れば、確実ですが、最小限のサンプルで計測をして貴重な資料を破壊しなくて良く成りました。

鳥取県国宝三仏寺奥院投入堂の年輪年代調査

断崖絶壁の岩窟内に建てられた特異な建物です。投入堂は建築様式から平安時代後期(1086年〜1184年)頃の建物と推定されていた。
辺材がほぼ完存する投入堂の縁側の板をデジタルカメラで、年輪画像から計測収集した年輪データから、1098年と確定しました。

投入堂には七体の蔵王権現立像が安置されていました。
現在投入堂の正本尊は、他の六体の中央に安置されて居ます。正本尊は檜木材による寄木造であるのに対して、他の六体はいずれも檜木の一木造である。

正本尊の解体修理時には、左脚付け根部分から取り出された、胎内納入文書に、仁安3年(1168)の願文あって、造像完成時期がわかりました。
その時正本尊の光背から得られた材料から、伐採年代を1165年と確認できました。
つまり1165年に伐採された檜木材を使って、1168年に完成した仏像である事が確認されました。

他の六体の内の一体の蔵王権現立像は、大変珍しい事に、檜木の一木から本体と岩座を彫り出して居ます。
年輪年代から見て1025年の伐採年代が確定して、現在の投入堂より145年古い物である
事が判りました。


高野街道を河内長野中心に紹介しています。
わいわいマップhttp://waiwai.map.yahoo.co.jp/map?mid=cuKZ1gfEm9xQIy5M3W1kNum.Tog9G5jnYy.c4Ncy17Y-高野街道記きまぐれ補足用地図
http://sakuratosiro.fc2web.com/koyakaidoukitop/framepage4.html高野街道記もご覧ください。

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