|
河内長野と街道
文化財と言っても建造物・遺跡・絵画など幅が広いものですが、それを活用するのが仕事です。
専門は考古学を専攻して、遺跡の発掘に関わってきました。初めは大阪市の外郭団体に所属して、近畿自動車道の新設に伴い、その下の発掘に携わってきました。
調査は八尾の長原という所でした。下から古墳がたくさん出てきました。その頃は物部氏の墓だと
言われていました。更にその下からは弥生時代の古い遺跡も出てきました。
墓を発掘すると、子供や戦死の方の墓もたくさん出ています。
三日市の再開発で西片添町の一帯には古くからの古墳時代の墓が13基見つかっています。
出土品について全て調査してきました。
最近ではこれだけの墓を発掘してきて、不安に成ってきました。
先輩の方々の話を聞くと、急に難聴に成ったり、足腰が弱る現象に遭われている人が多いと、聞いています。最近私もこれだけ沢山の方の骨を扱ってきたので、相当足腰に不安が出ていると思います。
私は若い頃より、お神酒で消毒をしてきました。最近では晩酌にビールだけでしたが、焼酎が追加されてきました。その上に地元の天野酒もレパートリーに加わってきました。
特に「なまくら」は常連と成り、毎晩通い飲んでいます。そのお陰で耳も目も腰も正常ですが、家の
山ノ神の祟りが大きい最近です。
馬鹿馬鹿しい話はこの辺で本題に入ります。
最近、聖徳太子が造られた、法隆寺で、創建当時の壁画が出土したことが報道されています。
文化財行政が始まったのは、昭和24年1月法隆寺で金堂の壁画の模写をしている時、寒さの暖房に使っていた、電熱器の漏電で火災が起きました。
それが一つの大きな要因として、文化財保護法が出来ました。
その結果、国宝・重要文化財のランク付けがされていきました。
文化財を国民の共有財産として守ることに成りました。
戦前には三つほどの保護法が在りました。
河内長野市には金剛寺・観心寺と言う大きなお寺があります。
沢山の国宝や重要文化財が保管されています。又長野神社や岩湧寺など河内長野周辺には沢山の文化財が在ります。
国の指定文化財は83件在ります。その内6件が国宝です。
無形文化財は重要文化財保持者として秋山信子さんが人間国宝として居られます。
観心寺・金剛寺史跡として86件持っています。府の指定文化財は21件、市の指定文化財は51件在り、戦前の国の指定文化財は8件在り、合計166件の指定文化財が在ります。
他にも文化遺産が沢山在ります。
全国ランクで比べて見ると、その多さが判ります。
全国レベルで47都道府県別の比較では、東京・京都・奈良に次いで、河内長野市だけで27番目に相当します。
全国市町村1800箇所の中でも、京都・奈良に次いで河内長野市は15番目に位置しています。
大阪府下では、大阪市に次いで二番目です。三番目は和泉市です。
大阪市は茶器中心の美術工芸品や軸物などの個人の収集品が大半を占めています。
又和泉市の場合は、久保惣と言う個人の収集品だけです。
本来その土地に在ったものではなく、個人が収集して集めたものです。反対に河内長野市では、
地元に在って伝えられた貴重なものです。質が違うと考えています。
これは河内長野市民にとっても誇れるもので、次の世代に伝える必要が在ります。
本日の話の中心である理由の一つが、高野街道です。
高野街道は、高野山が吉野・熊野と共に、世界遺産に登録されました。只県境を越えると忠の道です。空海が高野山を開くとき参詣道として使われて、広がっていきました。
本日はその高野街道の概略を知って頂きます。
|